弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年8月 9日

教養の再生のために

著者:加藤周一、出版社:影書房
 日本型全会一致集団というのは、目的を与えられたとき、とくに困難な問題を与えられたとき、それを実現するためには非常に有効に働く。みんなが協力してチームワークが滑らかにいく。ところが、目的がまずかったり、方向転換しなくてはいけないときには、その能力がない。無惨な無能力性を暴露してしまう。カタストロフになる。
 だから、少数意見の尊重をきちんとしない限り、いまも多数党がわれわれが多数なんだから言うことを聞けといっている限り、戦前の過ちと同じことをくり返す危険がある。民主主義の最大の危機は多数党の横暴にあります。少数意見の尊重が民主主義なんです。いまの日本の国会では、日本国憲法改正論者が圧倒的多数を占めています。まさに、この多数党の横暴によって憲法改正が具体化しつつあることを、私は心から心配しています。
 アメリカのイラク攻撃が始まる前、全世界で史上空前の反戦運動が起きた。しかし、アメリカは戦争を始めた。それを全面的敗北と感じて思考停止してしまった人がいる。しかし、それは一種の頽廃なのだ。
 シカゴ大学では昨年の3月、大学内の学生、教官、労働者が集まった反戦ティーチインがありました。1300人の会場が満席になったそうです。そこで、労働組合の代表がこう叫んで、満場の拍手を浴びました。
 労働者と学生が団結すれば、絶対に負けない。
 市場経済派(よくシカゴ学派と言われます)の総本山のあるシカゴ大学で、このような反戦集会が開かれているのを知って、私はとても励まされました。
 いま大学は、企業のように活動することが望ましいという風潮ばかりです。教養学部は役に立たないということで削減される一方です。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?全般的な知性の拡充と洗練をめざし、技術的もしくは専門的訓練のための必要に狭く限定されないもの、それが教養です。
 それって、何の役に立つというのか。就職に有利になること、お金になること、地位につながることをやれという発想は、奴隷的もしくは機械的な技術を身につけるだけではないか。そういうのは、この社会で生きていくために不可欠なことではあっても、人生の唯一の目的ではない。このことがいまの日本では、あまりに語られていないように思えます。
 さまざまな物事を自分自身の知識や判断力で判断することのできる人を目ざすには、一見すると何の役に立つのか分からないような古典を学んだりすることにも意味があるものなのです。大学を卒業して、いつのまにか33年もたった私も、今、つくづくそう思います。
 そして、そのためには創造力が大事だということが再三、この本のなかで強調されています。他人の苦しみに関心をもつことです。自分とかけ離れた境遇の人間の痛みが分からないではすまされないのです。
 国家は経済難を戦争で解消しようとする。民主主義とは、一度もったら持続するというものではなく、永久革命を必要とする制度であり、思想であり、生き方に他ならない。そのためには、想像力を解放し、教養の再生を図る必要がある。
 東京経済大学でなされた学生向けの講演録なのですが、まさしく、そのとおりだ、今の私にも本当に必要な内容だと何度もうなずき、すごく感銘を受けました。

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