弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年8月11日

セミパラチンスク

著者:森住 卓、出版社:高文社
 セミパラチンスクとは、カザフスタン共和国の東部、草原地帯にあった旧ソ連の各実験場のこと。その広さは日本の四国全体に匹敵する。1949年から40年間にわたって、実に467回もの核実験がなされた。それによってひき起こされた放射能汚染は深刻であり、ガンや白血病が多発し、多数の奇形児がうまれた。
 旧ソ連には地図にのっていない秘密都市があった。秋山さんが行った宇宙開発の都市が秘密都市として有名だが、ここは核実験のための秘密都市だった。核戦争で生き残るための実験として、モスクワの地下鉄と同じものがつくられ、核爆発の破壊力や放射能の影響などが調べられた。
 核実験は地表面だけでなく、地下でも行われた。その343回のうち、120回、つまり3回に1回は失敗した。ということは放射性ガスが周辺に流れたということ。今でも、放射能は、東京の30倍以上を示す。セミパラチンスクのガン死亡率は他州に比べたら3〜4倍と高く、とくに食道癌は18倍以上。母親の染色体異常は他地域の3倍以上。
 人々は、そんな高濃度に放射能汚染された地域に今も住み、生活している。二重胎児、一つ目の胎児など、奇形児のすごさには息を呑む。顔じゅうが大きなコブで覆われてしまった少年など、可哀想で、とても正視できません。それでも家族に見守られて生活しているのが救いです。一見すると静かで平和な草原地帯なのですが、その実相はあまりにも衝撃的です。
 核兵器を根絶しようという叫びを、日本人の私たちはもっともっと声高く上げなければいけない。つくづくそう思いました。

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2005年8月10日

ポンパドゥール侯爵夫人

著者:ナンシー・ミットフォード、出版社:東京書籍
 フランス国王ルイ15世の愛妾としてフランスの宮廷に20年間君臨しつづけた世にも名高い侯爵夫人の伝記です。
 太陽王・ルイ14世は1715年に亡くなるまで実に72年間もフランスに君臨しました。しかし、この本によると、その長命は国のためにはならなかったと決めつけられています。ルイ15世はその孫になります。
 ポンパドゥール夫人が死んだとき、遺産目録を作成するのに、弁護士2人が1年以上かかったといいます。家具から彫像、宝石そして馬車からドレスまで、3000点以上あり、品数が1ダース以下というのはほとんどありませんでした。本も3500冊以上、詩集、小説、歴史と伝記ものが各700冊以上ありました。
 ポンパドゥール夫人はパリ警察報告書を読んで、それを国王に面白く話して聞かせていました。この報告書は、今日の大衆紙と同じで、ゴシップ満載でした。また、郵便物を検閲のため抜きとったものも読み、冗談の種としていました。
 ポンパドゥール夫人は善良で愛想がよかったのですが、リシュリュー?などの敵意をもつ人々が、当時も、その後もたくさんいました。貴族からすると、彼女はパリのブルジョワ階級を体現する人物だったのです。貴族が遊んでいるうちに貧乏になっていくのと反比例して、ブルジョワ階級はますます裕福になり、権力をもつようになっていったことから、貴族はブルジョワ階級を憎み、その階級に属するポンパドゥール夫人を憎んだのです。
 また、民衆にとっては別の意味からも不人気でした。フランスでは、国王の愛妾は伝統的に人気がありません。成り行き次第で、国王のかわりに非難の標的にされることがありました。国王の不人気な行動はすべて愛妾のせいにして、なおも民衆は自分たちの君主を愛しようとしたのです。
 これは日本でも同じです。君側の奸を斬る必要があるというのは、戦前の日本でも右翼の常套語でした。実は天皇自身の意思にもとづく行為であったのに、その側近が悪いのだ、天皇は悪い側近にのせられているだけ。だから、悪い側近を取り除けば、誤りのない賢王の政治が実現できる。そんな論理です。
 ポンパドゥール夫人は、国王のおかげで地位が上昇していき、侯爵夫人から公爵夫人となり、ついに王妃つき女官に任命されました。これはフランス国内最高の身分の女性だけに与えられる地位でした。
 ところで、国王ルイ15世は、ベルサイユ市内に娼婦を囲っていました。労働者階級出身の若い娘たちです。借りていた建物は「鹿の苑」と呼ばれていました。この少女たち自身は、通ってくる男性が国王だとは思っていなかったといいます。金持ちのポーランド人で、王妃の親類だと聞かされていたのです。それほどルイ15世は健康でもありました。いえいえ、なんと幼いころは、ひ弱で、育ちあがるかどうか危ぶまれていたのです・・・。ルイ15世が壮年期の30年間に射止めた雄鹿は、1年で210頭にものぼります。
 わが亡きあとに洪水はきたれ。この言葉はポンパドゥール夫人のものです。平民出身でありながら、美貌と才気で国王ルイ15世の寵愛を得て貴族になって20年間、42歳で亡くなるまで権力をほしいままにした女性の一生を少し知ることができました。

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2005年8月 9日

教養の再生のために

著者:加藤周一、出版社:影書房
 日本型全会一致集団というのは、目的を与えられたとき、とくに困難な問題を与えられたとき、それを実現するためには非常に有効に働く。みんなが協力してチームワークが滑らかにいく。ところが、目的がまずかったり、方向転換しなくてはいけないときには、その能力がない。無惨な無能力性を暴露してしまう。カタストロフになる。
 だから、少数意見の尊重をきちんとしない限り、いまも多数党がわれわれが多数なんだから言うことを聞けといっている限り、戦前の過ちと同じことをくり返す危険がある。民主主義の最大の危機は多数党の横暴にあります。少数意見の尊重が民主主義なんです。いまの日本の国会では、日本国憲法改正論者が圧倒的多数を占めています。まさに、この多数党の横暴によって憲法改正が具体化しつつあることを、私は心から心配しています。
 アメリカのイラク攻撃が始まる前、全世界で史上空前の反戦運動が起きた。しかし、アメリカは戦争を始めた。それを全面的敗北と感じて思考停止してしまった人がいる。しかし、それは一種の頽廃なのだ。
 シカゴ大学では昨年の3月、大学内の学生、教官、労働者が集まった反戦ティーチインがありました。1300人の会場が満席になったそうです。そこで、労働組合の代表がこう叫んで、満場の拍手を浴びました。
 労働者と学生が団結すれば、絶対に負けない。
 市場経済派(よくシカゴ学派と言われます)の総本山のあるシカゴ大学で、このような反戦集会が開かれているのを知って、私はとても励まされました。
 いま大学は、企業のように活動することが望ましいという風潮ばかりです。教養学部は役に立たないということで削減される一方です。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?全般的な知性の拡充と洗練をめざし、技術的もしくは専門的訓練のための必要に狭く限定されないもの、それが教養です。
 それって、何の役に立つというのか。就職に有利になること、お金になること、地位につながることをやれという発想は、奴隷的もしくは機械的な技術を身につけるだけではないか。そういうのは、この社会で生きていくために不可欠なことではあっても、人生の唯一の目的ではない。このことがいまの日本では、あまりに語られていないように思えます。
 さまざまな物事を自分自身の知識や判断力で判断することのできる人を目ざすには、一見すると何の役に立つのか分からないような古典を学んだりすることにも意味があるものなのです。大学を卒業して、いつのまにか33年もたった私も、今、つくづくそう思います。
 そして、そのためには創造力が大事だということが再三、この本のなかで強調されています。他人の苦しみに関心をもつことです。自分とかけ離れた境遇の人間の痛みが分からないではすまされないのです。
 国家は経済難を戦争で解消しようとする。民主主義とは、一度もったら持続するというものではなく、永久革命を必要とする制度であり、思想であり、生き方に他ならない。そのためには、想像力を解放し、教養の再生を図る必要がある。
 東京経済大学でなされた学生向けの講演録なのですが、まさしく、そのとおりだ、今の私にも本当に必要な内容だと何度もうなずき、すごく感銘を受けました。

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2005年8月 8日

海外企業進出の智恵と工夫

著者:田中四郎、出版社:経済産業調査会
 日本輸出入銀行に30年間いて、世界銀行に出向したり、トロントやリオデジャネイロに駐在して、いまは日本国際協力機構にいる調査マンが海外へ進出した企業が成功するポイントを分かりやすくコンパクトにまとめた本です。
 私は、マルドメという言葉が気になりました。ドメスティックという単語を丸で囲んだものです。国内業務専門、外国語は大の苦手、海外のことはまったく分からない、海外ビジネスに無関係の人間だということを意味します。一つの会社内で、国際派と国内派の二つの派閥ができ、2つのグループの間で人間関係が円滑にいかない状況がよく生まれる。しかし、このような溝は埋める必要がある。国際派と呼ばれる人ほど国内業務の核心を理解していなければならないし、国内業務に従事している人こそ海外の動きに絶えず目を光らせ、国際感覚を磨いている必要がある。
 なるほど、なるほど、よく分かります。そうなんですよね・・・。
 日本企業が海外に進出すると、出先の企業は必然的に法的には日本企業ではなくなる。出先の企業は現地法人であって、日本法人ではない。当然のことながら現地の国の法律にしたがうことになる。日本の親会社は現地法人の株主にすぎない。日本から派遣されている現地法人の幹部は、自分は日本企業を経営しているのではなく、駐在国の企業を経営しているのだということを、片時も忘れてはいけない。
 この点も、実際には頭で理解していても、身体がついていかないところなのでしょうね。
 世界経済フォーラムは、日本企業は、世界第17位という悪いビジネス環境のなかで、世界第7位という良い企業活動をしているという評価を与えています。
 日本のビジネス環境は世界的にみて相当に低い。日本は世界で一番ビジネス経費が高い。日本を100とすると、アメリカは66.3、ドイツ66.0、イギリス64.0となる。日本は、安全で能率的な場所ではあるけれども、賃金水準が高いうえに、サービスコストも高い。そして経費も高い国のひとつである。
 うーん、そうかなー・・・。なんだか、しっくりこないところもありますが、ひとつの視点ではあると思いました。

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2005年8月 5日

世界遺産・高句麗壁画古墳の旅

著者:全 浩天、出版社:角川ワンテーマ21
 奈良県明日香村の高松塚壁画古墳そしてキトラ古墳には、天井に精密な天文図が描かれ、また、壁面には鮮烈でカラフルな貴族男女像が描かれています。さらに東西南北の方角を守護する神獣の四神(東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武)もありました。
 そのキトラ古墳の天文図は高句麗の都、いまの平壌の夜空で観測されていたものだという指摘には驚かされます。なるほど、この本で紹介されている高句麗の装飾壁画をカラー写真で見ると、そのあまりの共通点に言葉を失います。
 有名な聖徳太子の画像には両脇に2人の王子が立っていますが、その髪型「みずら」は、高句麗古墳の壁画とまるで同じです。高句麗のお寺(定陵寺)が一塔三金堂であったとほとんど変わらない形式で、奈良・飛鳥寺も一塔三金堂でした。
 日本ではいまも相撲が盛んですが、高句麗壁画にも2人の力士が四つに組んでいる姿が描かれています。高句麗壁画には、疾駆しながら真紅の舌を吐き出す青龍が描かれていますが、首に蛇腹のような包帯を巻いていて、獰猛な足と3本の爪をもっているところは、高松塚の壁と共通しています。
 高松塚古墳・キトラ古墳の源流が高句麗にあるというのが、たくさんのカラー写真を見れば見るほど、うなずけます。やっぱり日本の古代文化は朝鮮半島の方から伝わってきたものなんですね・・・。

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三面記事の栄光と悲惨

著者:ルイ・シュヴァリエ、出版社:白水社
 パリにあるポンピドゥー・センターは大統領の名前をとったものですが、そのポンピドゥー元大統領と同世代の著者による近代フランスで報じられた三面記事の研究です。
 1847年8月、プララン公爵夫人が殺害された。犯人は子どもたちの家庭教師と不倫をしている夫である公爵しか考えられない。しかし、公爵を逮捕するには国王が貴族院議長の命令がない限り許されない。そこで、プララン公爵は自分の屋敷にとめおかれた。しかし、民衆は納得せず、屋敷周辺に集まり、一般市民と同じように裁いてギロチンにかけろと叫んだ。一週間後、公爵は毒を仰いで自殺する。民衆は怒り、自殺を許した当局を批判し、矛先は貴族制ひいては七月王政そのものへと向かった。これが七月王政の瓦解を早めた。
 フランス映画の傑作といわれる「天井桟敷の人々」にも登場するラスネールという人物も紹介されています。殺人・窃盗などの罪で死刑になった人物です。映画にも泥棒大通りというシーンがあり、どことなく猥雑な雰囲気がよく出ていました。
 近代フランスのセンセーショナルな犯罪がいくつも紹介されています。でも、今の日本なら、まったくそんなフランスにひけをとらないほど、異常な犯罪ばかりになってしまっていますよね・・・。

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遙かなるノモンハン

著者:星 亮一、出版社:光人社
 1939年(昭和14年)5月に起きたノモンハン事件については、いくつかの本を読みましたが、この本は、ノモンハン事件の舞台となったところに著者が出向いて、そこが今どんな様子なのかを写真で紹介しているところに目新しさがあります。
 ノモンハン事件で、日本軍(関東軍の精鋭)はまさに惨敗した。ソ連軍の新式戦車などの物量に圧倒され、肉弾突撃をくり返すばかりだったのだから敗れるのも必然だった。しかし、日本軍は、ここからほとんど何も学ばなかった。責任者を形ばかり更迭しただけ。最前線から生命からがら脱出してきた将兵を、なぜ玉砕しなかったのかと叱ったあげくに冷遇し、ソ連軍の捕虜となって送還された将校にはピストルを与えて自決させた。しかし、小松原司令官や辻参謀たちはのうのうと生きのびた。なんとむごいことでしょうか・・・。
 ソ連軍のジューコフ将軍はスターリンに次のように報告した。日本兵は強かった。下士官はよく訓練され、頑強に戦った。しかし、古参の士官と高級将校は訓練が不十分で、積極性が無く、紋切り型の行動だった。関東軍の作戦参謀も同じことを指摘している。前線指揮官は第一級で、下士官や兵も戦闘に習熟して優秀だった。しかし、中・小隊長に弱点をかかえるものが多く、大隊長はもっとも手薄だった。
 今でも、精神訓話だけが好きな日本人って、多いですよね。科学的というか合理的な裏づけもなくても部下に無理強いする上司がみちみちているように思います。とくに昨今の国会方面は、そんな人間ばかりという気がします・・・。

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2005年8月 4日

戦場の現在

著者:加藤健二郎、出版社:集英社新書
 早稲田大学の理工学部を出て、建設会社勤めのあと戦場ジャーナリストになったという異色の人物によるレポートです。
 中米・中東・東欧・アジア・アフリカなど世界各地の戦場に出かけて写真をとってきました。現地で何度も捕まった体験をもっています。本当に危ない瞬間を何度となくくぐり抜けてきたことがよく分かる本です。どうして、こんな危ない目にあおうとするのか不思議な気がします。でも、著者のそんな行動のおかげで、私たちは安全地帯にいて寝っころがりながらも世界の実情の一端を知ることができるのですから、少しは感謝しなくてはいけないのでしょうね・・・。
 逃げるときには、たくさんの人が逃げる方向へは行かないことが重要だ。
 戦場では、実際に人が殺されるのはあまりない。しかし、戦況報告はたいてい大きく誇張される。それは、現場にいた者のほとんどすべてが、戦闘を大げさに捏造することによってトクをするからだ。
 今回のイラク戦争では、アメリカ軍は通常なら侵攻する前に空爆によってイラク軍を叩くはずなのに、それをしていない。それは、イラク軍が抵抗しないことに確信をもっていたからだ。イラク軍には組織的な抵抗をする戦力がなく、イラク兵には戦う意思をもっていない。これをアメリカ軍は事前に察知していた。なーるほど、ですね・・・。
 日本の自衛隊でも、実際にイラク復興のため実働するのは、1日わずか50人程度でしかありえない。では、自衛隊はイラクに何をしに行っているのか。それは日本の国防のためでも日本人の安全のためでもなく、ましてやイラク人のためなどであるわけはない。自衛隊をイラクへ派遣する目的は、自衛隊の運用範囲拡大のための前例つくりである。つまり、本当の目的は、日本国内における自衛隊の地位向上、権限拡大、運用範囲の拡大である。現地イラクの事情とは関係のないところで、日本政府の思惑によって決まってなされていることなのである。
 うーん、そうなんですよね。そうとしか考えられません。真面目にイラクの人々への人道支援をしたいのなら、世界のNPOに資金援助すればもっと効果的だということは既に大勢の人が言っていることです・・・。

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2005年8月 3日

イラクー湾岸戦争の子どもたち

著者:森住 卓、出版社:高文研
 1991年1月に始まり、わずか43日間で終わった湾岸戦争が終わって7年後の1998年にイラクへ行った写真家による写真集です。劣化ウラン弾が今なお大勢のイラク人とりわけ子どもたちを苦しめていることがよく分かります。
 劣化ウランは半世紀に及ぶ核兵器や核燃料の生産過程で生み出される。だから、総計 110万トンの半分近くがアメリカ(47万トン)であり、ロシア(43万トン)。しかし、日本も2600トンも生み出している。これは放射性廃棄物として厳重に管理・保管しなければならない。そのためには莫大な費用がかかる。
 ところが、劣化ウランが固くて重いことに着目してアメリカの兵器産業は兵器に利用することを考えついた。劣化ウラン弾は戦車に命中すると、分厚い装甲を貫通し、その摩擦熱で一気に燃焼させて乗員を焼き尽くす。同時に煙霧状(エアロゾル)化する。これは広範囲に拡散する。
 巡航ミサイル・トマホークも劣化ウラン弾がつかわれた。結局、広島に落とされた原爆の2万倍から3万倍の放射能がペルシャ湾岸地方にばらまかれた。その結果どうなったか。イラク南部のバスラ市では、湾岸戦争前の1988年にガンで死亡した人は34人だった。ところが、1996年219人、98年428人、00年に586人、01年には608人と急増した。
 無脳症の赤ちゃんの写真があります。生まれたときから頭部の上半分が欠損しています。口から泡を吐き出し、何時間も生きてはおれません。白血病に苦しむ子どもたちもたくさんいます。治療薬のため頭髪が抜けおちてツルツル頭となった少年のつぶらな瞳が印象的です。
 ミルクが買えないため栄養失調で死にかけている赤ちゃんは、ガリガリで顔が尖っています。水頭症の赤ちゃん、皮膚ガンの少年、腹水がたまってお腹がポンポンに膨れあがっ
た少年の写真が次から次へ紹介されています。子ども専用の墓地もあります。一日に4、5人が埋葬されます。広い墓地にたくさんの墓標が見えます。どれもこれも目を逸けたくなるものです。でも、私たちは現実をしっかり見つめるべきです。
 そんななかでも、イラクの子どもたちの目が輝いているのが救いです。学校はスシ詰め。遅れて登校すると座る机もありません。床にすわりこんでノートをとります。
 いったいイラク戦争とは何だったのか。それはイラクの人々に何をもたらしたのかを考えさせる貴重な写真集です。

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2005年8月 2日

それでもやっぱりがんばらない

著者:鎌田 實、出版社:集英社
 がんは冷やしたらダメ。乳がんや子宮がん、卵巣がんなど、女性のがんはあたためなければいけない。体温が上がると、がん細胞とたたかうリンパ球が働きやすくなる。免疫機能は温度が上がった方が働きやすくなる。身体を温めるのは、がんの予防にもなる。また、副交感神経を刺激すると、リンパ球が増える。だから、がんとたたかうためには、ホッとしている時間をつくることが大切。
 余命告知はあたらないことが多いわりに、本人や家族を暗い気持ちにして免疫機能を低下させる。免疫機能を上げるためには、希望をもてる話をすべき。ところが、あとで家族から責められないように、医師はことさら厳しく告知する傾向がある。そんな言葉にまどわされず、希望を持ち続けることが大切だ。
 著者は父親から一度も誉めてもらったことがないそうです。厳しく、怖い父親だったようです。叱られて、叱られて、ぼくは育った。こう書かれています。学校の百メートル競走で1位になっても父は誉めてくれなかった。学校の試験でいい点をとっても父は誉めてくれなかった。余力を残しているのを見抜いていたからだ。全力を出しきらない息子を父親は認めようとしなかった。
 うーん、なんだかよく分かりません。なぜだったんでしょうね・・・。私は、それほど父親から直接誉めてもらったという記憶はありませんが、それでも叱られて、叱られて、ということは決してありませんでした。
 なんだか、ほのぼの、ほんわり軽い気持ちにしてくれる本です。カットの絵も癒し系です。私と同世代の著者は定年まであと10年を残して、院長として勤めていた病院を早期自主退職してしまいました。すごい決断です。がんばりすぎないで、自分に正直に生きていきたいという著者の静かな訴えがよく伝わってくる本です。

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2005年8月 1日

日本退屈日記

著者:サイモン・メイ、麗澤大学出版会
 日本が放棄しなければならないのは、生活のほとんどすべての面にわたる無責任な官僚たちによる秘密主義、もみ消し、統制が占めている比重の大きさである。
 日本の最悪の暗黒面は、秘密主義や嘘をつくことや道徳的責任の回避に対して、極端なまでに寛容なことだ。
 うーん、なるほど、そうかもしれませんね。政府の嘘に対して国民が怒りを示さないからこそ、今も小泉首相がノウノウと政権に居坐り続けているのです。
 日本には三悪がある。和という名の合意や秘密主義、生活のほとんど全局面に及ぶバカげた官僚主義化。これが腐敗、非能率、不誠実、自然環境の破壊、無用な公共事業、お粗末な建築物、不十分な高等教育などを助長させてきた。だが、国民たちの計り知れない弾力性、忍耐、技能、精密さへの愛好心、健全な判断力、そして最後に現実主義と適応力とのおかげで、今よりも強い新日本が出現するだろう。
 日本人は、ひとつの仮想現実をもっとも手際よく製造する業種、すなわち平和産業を創出した。平和産業は過去を想い出すどころか、過去を決して想い出させなくすることに専念している。記憶というより催眠効果だ。
 なるほど、鋭い指摘ですね。小泉首相をはじめとする歴代の日本首相が8月6日の広島の祈念式典に参列しても、平和が遠ざかる一方だという理由がよく分かります。
 忘れるという粗暴な技術を会得した国ありとすれば、それは日本だ。自己検閲こそは日本の特技だ。日本という国は、独裁者のいない独裁政治国家に似ている。
 野心を抱く民衆扇動型の政治家たちは、軍隊のタブーを屈辱とみなし、解放者ぶりもよろしく、嬉々としてタブーを廃棄せよと叫んでいる。いま、自民党と民主党の若い40歳代以下の政治家たちに好戦的な連中が多いというのは、本当に困ったことです。
 ロンドン大学の哲学教授が1年間、東大で哲学を教えました。寿司をこよなく愛するイギリス人ですが、決して象牙の塔に閉じこもっている人ではありません。ベンチャー企業の経営にも関与しているのです。そんな哲学教授が、東大の官僚主義に閉口した話などが具体的に語られ、日本という国を再認識させられます。
 最後に、京都の俵屋旅館に泊まって最高級の懐石料理に舌鼓をうつ場面が登場します。私も、一度は行って味わってみたいと思っています。どなたか行かれましたか・・・。

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2005年8月31日

対テロリズムの戦略

著者:佐渡龍己、出版社:かや書房
 2004年から2005年まで、1年2ヶ月、イラクのバグダッドに滞在していた経験にもとづく本です。著者は防衛大学校を卒業して陸上自衛隊に入り、在イラク日本大使館に勤務しました。
 著者は対テロリズムの戦争においては、人を殺さない戦争を考えるべきだと、再三再四、強調していますが、軍事には素人の私も、まったく同感です。
 テロリズムは心の戦争であり、勝敗はつかない。民衆はもちろん、敵を殺しすぎることは、テロリズム戦争を泥沼化する結果となる。報復の悪循環を避けるために、テロリストは殺してはならない。
 アメリカ軍はテロリストとイラクの民衆を殺しすぎた。このため、イラク民衆のアメリカ軍に対する憎しみは日ごとに強くなっている。これが、テロリズムをなおさら苛烈にしていく。アメリカ軍は、イラクにおけるテロリズム戦争をおさめることができない状態に陥っている。
 それより、テロリストを逃がしてやることだ。民衆によってテロ戦争に勝利をおさめる。テロリズムは、民衆によってあぶり出すに限る。民衆の心をつかんだものが勝利をおさめる。
 なるほど、なるほど。私も本当にそう思います。
 日本はテロリストの攻撃目標となる可能性がある。テロリストは、弱いところ、宣伝効果のあるところ、政治的に効果の高いところを攻撃する。日本は、この三点を備えている。日本本国、サマワへの自衛隊、在留邦人は、他国に比較して弱い。宣伝効果も高い。
 バグダッドの日本大使館には、自衛隊を退官し、民間の警備会社に所属している4人が派遣されている。平均年齢56歳。
 これは、いわば戦争請負会社のような警備会社ですよね。
 テロリストは尽きない。テロリストとなる原因が克服されない限り、同じ考えをもつ者が生まれる。テロリズムは再生産される。
 アメリカの真似を日本はしてはならないとされています。まったくそのとおりです。心ある人の考えは一致することを知って、私はうれしくなりました。好戦派の自民・民主の若手国会議員には、ぜひ読んでもらいたい本です。

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2005年8月30日

転落弁護士

著者:内山哲夫、出版社:講談社
 私と同じ団塊世代。警視庁(事務系)に入ったものの、司法試験を目ざして退職し、一回で司法試験に合格(30期)。東京・銀座に事務所をかまえ、夜の銀座で豪遊をしているうちに筋の悪い事件に手を染めるようになり、ついに5000万円の詐欺罪で逮捕される。温かい先輩・同期の弁護士たちの活躍で執行猶予5年の温情判決を受けたものの、事件屋と組んだ大企業相手の恐喝事件が発覚して懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け、甲府刑務所に4年ほど服役。いまは法律事務所の調査員をつとめている(調査員とは一体何をするのだろうか・・・?)。
 金もうけのために弁護士になろうという浅ましい根性こそ、転落する伏線だった。法律を金もうけの道具に使おうという浅ましい心が、結局、身を滅ぼすことになってしまった。
 夜の銀座で消費したお金は、おそらく1億円は下らないだろう。
 弁護士は、やはり銀座に法律事務所を構えている方が断然、受けが違う。「銀座の先生ですか、さすがですね」となり、同じ東京でも池袋とは格段の落差がある。
 裏筋の連中のヤバイ仕事を、イエスと言って悪徳弁護士の道を歩むことも、ノーと言って弁護士の良心を守りつづけることもできず、弁護士の良心の残骸と顧客失うことの恐れを引きずって、優柔不断のままこれを引き受けることが転落弁護士への道を歩むことになる。
 この本を読むと、弁護士が転落して道筋がよく分かります。銀座には縁のない私にも反省させられるところはありました。
 後半は、刑務所生活が生々しく描かれています。刑務所は静かなところだと思っていましたが、どうも違うようです。騒音地獄だということです。収容者がラジオのボリュームを最大にして聴くからです。
 そして、刑務所にも独特のヤクザがいて、収容所を支配しようとします。
 刑務所ヤクザというのは、実におかしな連中で、刑務所ではカタギはヤクザに奉仕するものと思っている。カタギの食い物を取りあげるのが刑務所ヤクザの楽しみの一つで、死守しなければならない特権だという。
 著者はこれにあえて反攻したため、とんだ陰謀に巻きこまれてしまいます。
 刑務所で収容者をいじめたり虐待するのは看守ではなく、同じ収容者である。もし収容者の自治にでもまかせてしまったら、ろくでもない連中の支配する地獄と化するだろう。
 これを読んで、ナチスの強制収容所を思い出しました。ナチスは収容所内の生活はかなり「自治」を認めていました。そのため、囚人頭などの横暴がひどかったというのです。
 著者が仮釈放で刑務所を出てから働きはじめたところで、ひどいタコ部屋的な、奴隷のような扱いを受けたことも明らかにされています。
 出所した人間の再犯率が高いのは、刑務所の処遇に問題があるのではなく、むしろ社会の受け入れ体制にある。刑務所を出所したばかりの者に対して、刑務所以上の酷な仕打ちをする雇用主があまりにも多い。なるほど、と思いました。
 いずれにしても、この本によって、何のために弁護士になろうとしているのか、なったのか、やはりその原点の意義がきわめて大きいことを知りました。転落の道をたどらないための反面教師として、大いに学ぶものがある本です。

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2005年8月29日

ワインの女王、ボルドー

著者:山本 博、出版社:早川書房
 この夏、ボルドー地方に行き、サンテミリオンで3泊してきました。広々としたぶどう畑の真っ直中にある別館に泊まり、ゆったりとした日々を過ごすことができました。日本に帰ってきて一番に読んだのがこの本です。
 今回、私がボルドー地区を選んだのは、ブルゴーニュ地方へは18年前に行ったことがあるからです。それほどワインの味がわかるわけでは決してありませんが、赤ワインの色の良さ、舌になじむ味わいには魅せられます(私は日本酒と同じく、白ワインは飲みません。以前はどちらも飲んでいましたが、今は卒業した気分です)。
 したがって、この本も私の行ったサンテミリオン地区だけを取りあげて紹介するのをお許しください。著者は大先輩の弁護士ですが、本格的なワイン専門家です。
 ボルドー・ワインを少し飲みこんだ人なら、サンテミリオンと聞けば、なんとなく人なつっこくて、いやみやはったりがなく、いつも安心できる赤ワインを連想するだろう。事実、サンテミリオンのワインは安心して手を出せる気安い仲間なのだ。メドックのシャトー・ワインが格式高く品のいい山の手の令嬢だとすれば、サンテミリオンのワインは下町娘の気だての良さが現われたようなワインである。
 そうなんだー・・・。気安く安心して飲めるワインの里に出かけたのか・・・。道理で下町風の街並みだったな、そう私は思いました。
 サンテミリオンへ行く道が分からず、ボルドー駅からタクシーで行きました。小一時間かかりました(70ユーロ)。ところが、実は、TGVにはギルドーの手前にリブルヌという駅があり、そこからはタクシーでも10分で着くのでした(20ユーロ)。サンテミリオン駅もあるけれど、なにしろ本数が少ないのです。
 サンテミリオンはドルドーニュ河の右岸に迫る小高い丘と、それに続く高台および後背部のゆるやかな起伏をもった丘陵地帯なのである。畑も傾斜地のものが少なくない。
 サンテミリオンの中心部は、こぢんまりとしていて、5分も歩くと町はずれに出てしまうようなところ。ヨーロッパの古い中世の街が、時間の流れを止めたようにたたずんでいる。びっしりと建てこんだ古い家並みの狭い石畳の急坂を登ると丘の上の中心に古い寺院がある。寺の裏へ回ると、古くてぽつんと立った鐘楼の塔があり、そのまわりが石畳のテラスになっている。ここからのぞくと、目の下に赤瓦の屋根がかたまっているが、瓦は苔むしているし、建物の壁も古くさい。その先には、あちらこちらに段々畑のぶどう畑とはるか先の遠景の山々が望める。
 ここは中世のヨーロッパ中で巡礼が流行った時代、大切な宿場町だった。鐘楼のテラスのところにレストラン・プレザンスがある。
 行った人でないと描けない街並みの描写です。まったくそのとおりの情緒あふれた小じんまりとした古い町です。ともかく、周囲に延々と広がるぶどう畑には圧倒されてしまいます。遊園地型のバスに乗って、街の周囲を35分で巡ってみました。両側は、ずっとぶどう畑です。それも中心地に近いほど高級ワインを製造しているというのですから不思議なものです。ぶどう畑にはたくさんの小鳥がいて、たまにウサギも見かけました。
 なぜ、ここがワイン産地として有名かというと、やはり土壌のようです。丘は畑の基層が固い石灰岩の岩盤になっています。道に落ちている白い石は白墨です。子どものころ、路面によく絵を描いたのとまるで同じです。
 基層の下には暑い砂利層となっている。氷河時代に中央山岳地帯から運ばれてきた石がこのあたりに砂利になって残ったという。
 サンテミリオンのぶどうは、メルローが中心。カベルネ・ソーヴィニョンも少し混ぜてはある。だから、メドックに比べてサンテミリオンを飲んだらいい。
 うーん、なるほど、そうなのかー・・・。そう思いました。レストラン・プレザンスでは3種の赤ワインを少しずつ飲ませてくれました(デキュスタシオン)。そのときには、サンテミリオンの隣り町のポムロールのワインが一番のみやすい気がしましたが・・・。
 町なかのワイン販売所でカーブ入場無料という看板につられて入ってみました。地下の洞窟にワインが樽と瓶と両方びっしり寝かせてありました。すごいものです。堅い岩盤を何年かかって、どうやって掘ったのでしょうか・・・。
 ツーリスト・ビューロー(素敵で親切な日本人女性が働いていました)で、シャトーワイン見学ツァーに申し込みました。フォンロックというワイン・メーカーです。ちょっと渋みの強いワインでした。空きっ腹ではワインはとても飲めません。
 パリのシャルル・ドゴール空港でトロットヴィエーユのワインを見つけて買いました。黒ラベルに金色の枠と文字が輝くデザインです。口当たりのいい、こくのあるワインでした。
 3日間、ぶどう畑のなかをさまよい歩きました。快晴でしたので、真っ黒に日焼けしました。あわてて野球帽を買ってかぶりました。爽やかな風に吹かれて、とても心地よいひとときでした。うーん、良かった・・・。
 サンテミリオンの写真をたくさんとってきました。ここでお見せできないのが残念です。どなたかトラックバックで一面のぶどう畑が広がる風景をのせていただければ・・・。

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2005年8月26日

天下城

著者:佐々木 譲、出版社:新潮社
 戦国時代、近江の国に穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団がいた。親方9人と250人ほどの職人を擁する石積み集団であった。この集団が織田信長の安土城の石積みにあたり、また、大阪城の石積みも担当した。
 この本は、安土城の基礎(土台)をつくった石工集団を主人公としています。安土城の建物をつくった大工集団を主人公とした本が別にあります(「火天の城」、山本兼一、文芸春秋)。石工集団は、大工とはまた一味ちがった専門家集団だったことがよく分かります。
 私は安土城に2度のぼり、天主台跡に立ちました。ここに昔、信長が立っていたのだと思うと、なんとなく感慨深いものがありました。
 天主台は、本丸の地表面から見て高さ45尺、天主台の上の広さは南北の最長部が20間、東西の最長部が17間という四角形。天主の底面は12間四方という広さ。こう書いても、実は尺とか間とかいうのがメートル法に慣れた私にはピンと来ません・・・。
 安土城には追手門(正面にある大手門のことだと思います)から入って、広い追手道が真正面に一直線に上がっていきます。私も現地で確認しました。のぼり切ったところを左折します。その両側には信長の重臣たちの屋敷があり、何かあると左右から攻撃できる配置になっているのです。現地では発掘がすすんでいて、かなり当時の状況が推測できるようになっています。
 この追手道は天皇を安土城に迎えたときのことを考えて、広く一直線の道路に信長はしたとされています。さもありなん、です。
 長篠の合戦で、穴太衆が活躍したとされています。織田・徳川連合軍が鉄砲3000挺を1000挺ずつ三段柵で構えているところを武田軍が無謀な突撃をくり返して惨敗したという有名な話は事実に反するという本があります(「鉄砲隊と騎馬軍団」、鈴木眞哉、洋泉社新書)。この本も、従来の通説どおりではありません。柵と壕と土塁の三点セットで、石積み職人集団が活躍したとしています。また、織田・徳川連合軍がもっていた鉄砲の数は1000挺としています。先ほどの本は1500挺としていますが・・・。
 お城の石垣といえば、熊本城のいかにも整然とした石積みは見事なものですよね。あれを見たら、なるほど高度に専門化した石積み職人の集団がいたことは直ちにうなづけます。

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帰国運動とは何だったのか

著者:高崎宗司、出版社:平凡社
 戦後の日本にいた在日朝鮮人60万人のうち9万人以上が北朝鮮へ「帰国」していきました。それを学術的に冷静に分析・検討しようとした本です。なるほどとうなずけるところが多々ありました。
 北朝鮮を「地上の楽園」と手放しで礼賛した人物は、オレはそんなことは言っていないとして謝罪を拒んでいるようですが、当時の日本は、それこそ朝日も産経も、要するに右も左も、人道的見地からこの帰国運動をすすめていたということがよく分かりました。
 日本政府は、戦後、朝鮮人を厄介払いしたいと考えていました。それは、生活保護を受けている人が多かったこと(8万人をこえ、年間17億円かかっていた)、生活難からの犯罪者が多いこと、共産主義者が多いこと、などからです。
 帰国者を受け入れた北朝鮮にとっては、労働能力のない、また病人が多かったということで頭を痛めたようです。受け入れ先も決まらないうちに、毎週1000人もの帰国者が2年間にわたって押し寄せていったとのことです。
 日本人妻をふくめて、帰国者のその後の生活状況について、今なおよく伝わってきません。大変に不幸なことだと思います。もちろん、いくつか断片的に、いかに悲惨な状況におかれているかは、本やニュースなどで知らされてはいるのですが・・・。
 それにしても、1945年12月に日本共産党が再建されたとき、党員総数180人のうち100人が朝鮮人だったというのには驚いてしまいました。
 帰国者のなかには、北朝鮮が期待どおりでなかったら、またすぐ日本に帰るつもりの人々もいたようです。ところが、不幸なことに、そんな自由な往来は許されず、一方通行のみで今日に至っています。残念なことです。鎖国のような今の事態は改められるべきだと私も思います。いかがでしょうか・・・。

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宇宙のからくり

著者:山田克哉、出版社:講談社ブルーバックス新書
 空間が曲がれば、時間も同時に曲がる。なんということでしょう。時間が曲がるとは・・・。動いている時計は遅くすすむ。うーむ、どういうことなのかなー・・・。
 光は秒速30万キロメートルですすむ。これは何に対しても同じこと。光の速度を測定する人が静止していても、時速1万キロで走っていても、光と反対方向で動いていても、いつも光は秒速30万キロメートル。光の速度を増減する方法は何もない。光の速度は徹底して一定なのである。うーん、どうしてなんだろう。なぜ、それがそうだと証明できるんだろうか・・・。
 宇宙が発生する以前には時間はなかった。時間は宇宙の発生と同時に生まれたのだ。宇宙の発生より前には空間もなかった。なるほどなるほど、なんとなく分かった気がしてきました・・・。
 距離に関係なく、すべての銀河は光の発生時である140億年前に発生しはじめた。うーん、そうなのか・・・。
 銀河の大部分は見えない暗黒物質(ダークマター)で構成されている。ダークマターというと、映画「スターウォーズ」を連想させますね。宇宙の90%以上が、正体不明の暗黒物質で構成されている。
 宇宙を膨らませているのは、なんと真空だった。空間に何の物質もなくても、暗黒エネルギーだけは存在し、それが空間を膨らませる。うーん、なんだか、分かったような分からないような。真空といっても、そこにエネルギーはあるなんて、一体どういうことなのかしらん・・・。
 たまには、こんなことを考えてみるのもいいようです。ハイ。

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2005年8月25日

ペルセポリス

著者:マルジャン・サトラビ、出版社:バジリコ
 イランの少女マルジのお話です。アルプスの少女ハイジのようなファンタジーではありません。イランの現代に生きる多感な少女がどう生きてきたのか、マンガで描かれています。なるほど、そうなのかと思いながら、日頃はマンガをほとんど読まない私です(もちろん、大学生のころはマンガ週刊誌を愛読していましたし、手塚治虫のファンでもありますが、基本的にマンガは卒業しました)が、頁をめくるのがもどかしいくらいに没入して読みふけりました。
 オビに、子どもの頃、革命がありました・・・、戦争がありました・・・、人がたくさん死にました・・・とあります。たしかにそうです。イラン・イラク戦争があり、イスラム革命があり、何十万人もの人々が戦死し、また権力に反抗したとして処刑されていったのです。
 少女マルジは14歳まで高級技術者の家庭に育ち、親元にいました。その後、ヨーロッパに脱出しました。そこでは、過酷なイランでの体験がそのまま受けいれられない状況に置かれ、悩みます。アナーキズムやマルクス主義にも影響を受けますが、失恋の苦しみは自殺願望にもかりたてるのです。なかなか厳しい人生のひとコマが続きます。
 1969年生まれの少女が、さまざまな苦しみを経て大人の女性になっていく過程が黒いタッチの絵で描かれていますので、身近な話として想像できるのです。
 12ヶ国でベストセラーになったということですが、日本でもたくさんの人に読んでほしいと私は思いました。そんな感動を与える、いい本です。

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2005年8月24日

幻想曲

著者:児玉 博、出版社:日経BP社
 麻布永坂の御殿と呼ばれる孫正義の自宅の地下室には、電子式のゴルフコースがあるそうです。世界の有名な名門ゴルフコースがスクリーン上に再現され、その天候までインプットできる仕掛けです。地下室でゴルフができるなんて・・・。
 ソフトバンクはプロ野球へ参入し、孫は先日の博多山笠で台上がりまでしました。孫は、福岡市内の城南中学を卒業して久留米大学附設高校に入学しているので、福岡とは縁も深い。生家は鳥栖駅に近い無番地。祖母は残飯集めにリヤカーで周辺をまわっていた在日韓国人で、そのリヤカーに孫ものっていたのです・・・。
 「日経ビジネス」誌で連載されていた記事を単行本にしたものですから、重複・くり返しがあります。しかし、それだけに同時進行ドキュメントという雰囲気も味わうことができます。
 設立して1年もたたないアメリカのちっちゃな会社、大学生が始めた会社に115億円も投資し、3年後には5兆円の含み益をもたらしました。成功する確率が90%のものより、50%程度のものに数多く投資する。このような投資スタンスがあったのです。
 しかし、失敗した投資もありました。孫は父親にならってパチンコ店を経営して日銭を稼ごうとしましたが、あえなく撤退。山口でのリゾート開発も失敗しました。経営を全面的にまかせた人物は何年後かに追い出し、10億円とかの大金を支払わされました。
 美しき(麗しき)誤解のうちに、他人の褌で勝負する。
 孫の言葉です。なるほど、と思います。24歳で社長になった孫は、1億円ものお金を財界人の知人に個人保証してもらって調達します。自分には提供できるような担保が何もなくても、1億円が借りられるとは、たいした信用ですね・・・。
 それにしても、孫が重度のB型肝炎にかかり、あと5年の生命と宣告されたことがあったというのには驚きました。にもかかわらず、孫はご存知のように今もピンピンしています。ですから、この本に孫の病気のその後のことが何も書かれていないのには不満が残ります。それにしても、20代の若者が1000億円もの大金をもうけるなんていうのは、まっとうな社会のあり方なのか、大いに疑問です。みなさん、いかがですか?

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2005年8月23日

ヒトラー、最期の12日間

著者:ヨアヒム・フェスト、出版社:岩波書店
 天神の小さな映画館で見ましたが、久しぶりに満員盛況で、壁側に補助イスも並べられていました。画面は圧倒的な迫力があり、2時間半ほどがあっというまでした。
 ヒトラーの女性秘書ユンゲの回想記をもとにした映画です。等身大のヒトラーが登場しますので、その不可解な性格が描かれていますが、人によってはヒトラーを美化しすぎているという批判もありうるところです。ユダヤ人だけでも600万人を殺した人間という魔性がきちんと描かれていないという弱点があるでしょう。それでも、ヒトラーの最期の12日間にナチスの首相官邸(地下要塞)で何が進行していたのか、イメージをつかむには絶好の映画です。
 私はこの本とあわせて「ベルリン陥落1945」を読んでいましたので、ベルリン攻防戦でロシア軍が大々的に強姦の限りを尽くすなど、いかにひどいことをしたのか、ナチス・ヒトラーが、それは国民が我々を選んだことによる自業自得だと冷たく突き放していたことを知ることもできました。この映画は、そのあたりを知ると、もっと深く受けとめることができます。
 この本には、初めに主な登場人物が戦後の行く末をふくめて紹介されているので便利ですが、映画には名札がありませんので、この人はいったい誰なのか、人の名前が呼ばれるまで分からないというもどかしさがあります。
 それにしても、ヒトラーは56歳の誕生日を迎えて10日後には自殺するのですが、私もいま同じ56歳です。どうして、同じ年齢であんな悪虐非道なことができたのか、とても理解できず不思議でなりません。ただし、映画に登場するヒトラーは、56歳とはとても思えない草臥れはてた老人です。ところが、ヒトラーは絶頂期(1939年8月)には次のように述べていました(50歳のとき)。
 ドイツ国民のなかで、私ほど自信あふれる人物は未来永劫出現しないだろうという事実がある。また、私より権威ある人物も、この先現われることはないだろう。
 これは、「ニューヨーク・タイムズが見た第二次世界大戦」(原書房)に紹介されている言葉です。異常なほどの自信です。
 この本は、ヒトラーを、政治世界に漂着した賭け事師に過ぎないと断罪しています。ヒトラーを先人たちと区別していたのは、個人をこえる責任感、冷静に私利私欲を抑えた労働倫理、歴史的道徳観といったものの完璧な欠如だった。ヒトラーは、歴史上類例のない自己中心主義によって、この国の存続をみずからの人生の時間と一体化させた。
 ヒトラーには非常に狭い軍事的目的を超えてものを考える能力が明らかに欠如していた。彼は生涯にわたって徒党を率いる成り上がりボスにすぎなかった。徒党のボスとしては、殺戮と強奪の理念をこえる計画など追及する気はなかった。彼には漠たる戦争目的すらなかった。あるのは、ただひとつ、強者の権利という法則だけである。
 いまの日本にも、勝ち組の論理がのさばっています。ぞっとします。
 ナチス・ドイツ最期の日々。この期に及んでもなおSSは脱走兵を捜し出して銃殺してまわっていました。1ヶ月あたり数千人という自殺の伝染病がはびこっていたのです。飲酒(深酒)とあわただしい性的放縦(若者たちの乱交)があちこちで見られました。
 ベルリン攻防戦で赤軍は30万人もの死者を出しました。ドイツ軍の戦死者は4万人ですが、このほか50万人が戦争捕虜としてソ連領に連行されました。
 ずしりと重たいものが胸にのしかかってくる本です。でも、事実ですから、しっかり受けとめるしかありません。

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2005年8月22日

警視庁捜査一課殺人班

著者:毛利文彦、出版社:角川書店
 戦後ながく警察の本流は警備・公安警察であって、刑事警察は傍流だと言われてきました。これは歴代の警察庁長官が警備・公安畑出身者で占められてきたことで証明されます。
 ところが、最近の公安警察の凋落ぶりは目を覆うものがあります。その典型がオウムによる警察庁長官狙撃犯を公安が捕まえることができなかったことです。いえ、公安は2度も逮捕し、世間に胸を張って公表したのです。でも、起訴にもちこむことができませんでした。自分とこの長官を狙撃した犯人も捕まえられないなんて、そんな警察はまさに世間の笑いものです。これで公安警察の威信はまったく地に墜ちてしまいました。最近、東京あたりでビラ配りという市民的自由をふみにじる逮捕・起訴事件が相次いでいます。これは、公安警察が失地回復を狙ってのことだと観測されています。
 この本は、このところ本流にいるとされる刑事警察の実態に迫ったものですが、なかなか読みごたえがあります。携帯電話をもっていると、それだけで所在を追跡できるということを初めて知りました。電源が入っている限り、携帯からは微弱電波が発信されている。全国にはりめぐらされた電話会社の基地局を追っていくと、その携帯の微弱電波はどの基地局で拾われているかをとらえることができる。つまり、だいたいどのあたりにいるか観測できるわけ。
 取調べ官のスタイルもさまざまです。ともかく最初に、言葉と態度でガツンと容疑者に一撃を加える。容疑者のプライドを粉々に崩し、服従の本能を呼び起こさせる。これが一つ。
 ホシは多かれ少なかれ、自分自身と闘っている。取調官は、そうしたホシの心理の変化を読みとらなければいけない。取調官は、あまり奇異な性格ではつとまらない。人の痛みの分かる、ふつうの感覚をもちあわせていなければ無理だ。
 人殺しに対しては、三尺高いところに上げてやると思うのが殺し(殺人班)の刑事。三尺高いところとは死刑ということ。本能的に減刑対象となる犯人の行動を封じたいという発想が刑事にはある。これも一つ。
 殺しのホシは犯行を自供したからといっても、100%反省しているわけではない。ホシにとって、謝罪と自供は、自分の身を守るための行為なのだ。死刑を免れたい、刑罰を軽くしてほしい。一番かわいいのは自分、だから、情だけでは殺しのホシは落ちない。
 取調のテクニックと、それ以上に取調官もさまざまな人がいることがよく分かります。
 Nシステムの構築・運用の主体は警察庁刑事局。当初から犯罪捜査がシステム導入の目的だという。1986年からNシステムをはじめ、2003年9月現在、全国580ヶ所にNシステムが設置されている。全国すべてのデータが警察庁の中央制御コンピューターに蓄積される。目あての車が通ると赤ランプが点灯する仕掛け。もちろん公安警察もNシステムを愛用している。
 Nシステムが、オウム事件のとき、大活躍したのは有名な話です。でも、怖い話ですよね。

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2005年8月19日

セビーリャの冷たい目

著者:ロバート・ウィルスン、出版社:ハヤカワ文庫
 ポルトガル在住のイギリス人によるサスペンス小説です。
 スペイン・セビーリャでは毎年1万5千件もの殺人事件が発生する。たいていは麻薬がらみで、残りは家庭内のいざこざ、情痴のもつれによる。被害者と加害者とは必ず顔見知りで、親密な関係にある。このことを背景として、しかし、今までになく類いまれなほど残虐な殺人事件が発生するのです。
 スペインで第二次大戦中に内戦があり、人民戦線とファシスト勢力が殺しあったことが物語の重要な背景として登場します。そして、ソ連に攻めこんだナチス軍にスペインのファシスト勢力もいて敗退しながら残虐行為を重ねていたことも紹介されます。
 そんな経歴を戦後ひた隠しにし、画家として名を売っていた人物が殺されます。殺される前に、被害者のまぶたが切りとられてしまいました。目をふさいで見ないですむようになるのを防ぐためです。いったい、何を殺される直前、強制的に見せられたのでしょうか・・・。次から次に残虐な殺人シーンが出てきて、気持ち悪くなるほどです。
 殺された人間が生前つけていた日記を読みながら、いかにその人間が虐殺を続けていたか、綿々と書きつづられていきます。では、その虐殺された人々の死体を見せられたのでしょうか・・・。
 ルール違反になるのを承知のうえで、見せられたものをあえてバラします。それは殺された人々の、かつての幸せだったころの映像だったのです。お前が殺した人は、こんなに幸せな生活をしていた。お前はそれを何の正当な理由もなく奪い去ったのだ、よく見ておけ・・・。うーん。そうなのか・・・。それこそ人間の心にグサリと刺さる映像なのかもしれない。そう思いました。
 私はいま死刑相当事案を担当しています。殺された人の遺体の写真はむごいものです。目をそむけたくなります。でも、殺された人が生前、幸せに笑顔で生活していたときのフィルム(映像)を殺した被告人に見せたとき、彼がどう思うか。それもショック療法として劇的効果があるかもしれない。つい、そう思ったことでした。

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信仰が人を殺すとき

著者:ジョン・クラカワー、出版社:河出書房新社
 モルモン教徒は世界中に1100万人いるそうです。1830年に、アメリカ人のジョセフ・スミスがはじめました。信者はジョセフ・スミスをモーゼやイザヤに匹敵するほどの偉大な予言者だと信じています。そのモルモン教にも原理主義者がいることを知って驚きました。信者(聖徒)には、複数の妻をめとる神聖な義務があると本気で信じこんでいる人々です。
 創始者のジョセフ・スミスは、実際、48人の女性と結婚しました。最年少は14歳です。その教義のなかには、男性が晩年に大きな喜びを得るには、少なくとも3人の妻が必要である。この聖約を守らなければ永遠の断罪を受けることになると書かれているそうで
す。驚いてしまいます。世間に対しては一夫多妻制をきっぱり否定しつつ、その内側では、とうぜん継続すべきものとしてひそかに一夫多妻制を奨励し、実際に、教会の幹部は多数の女性たちと結婚していました。
 モルモン教会の運営は、大管長と使徒評会という15人の男性が最高権威者です。女性はありえません。モルモン教会は、ブリガム・ヤング大学を所有・管理し、そこから毎年3万人の若い男女を世界中へ布教活動に送り出しています。私の町にも、自転車に乗って駆けめぐっている白人男性二人連れをよくみかけます。ケント・ギルバートもかつてはその一人でした。そして、ブリガム・ヤング大学の99%は白人です。だらしない服装は禁止されていて、女子学生は飲酒もコーヒーも禁止されています。
 日曜日の仕事はすべて休み。モルモン教は妊娠中絶を禁止し、養えるかぎりできるだけ多くの子どもをうむ神聖な義務があります。ですから、アメリカのなかでユタ郡はもっとも出生率が高くなっています。同時に、共和党員の多い郡でもあります。
 神の選民でもあるモルモン教徒は、本質的に高潔であり、なんの償いもする必要はない。お金もうけも正しい仕事だとされています。
 信者同士で信用しすぎる傾向があるため、ユタ郡ほどホワイトカラーの犯罪が多いところはないとされています。詐欺の首都と「ウォール・ストリート・ジャーナル」は呼びました。
 それにしても、宗教家(信者)が信じるあまりに人を殺すなどということは、とても考えられないことだと思います。でも、これはキリスト教徒だけではありませんね・・・。

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ワインと戦争

著者:ドン&ペティ・クラドストラップ、出版社:飛鳥新社
 ヒトラーは鷲の巣と呼ばれる山荘に貴重な超高級ワインを貯めこんでいました。ナチス・ドイツが1945年5月、シャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・ムートン・ロートシルト、シャトー・ラトゥール、シャトー・ディルケム、ロマネ・コンティなどなど、古今第一級のワインが50万本もありました。なんとなんと・・・。
 ところが、実はヒトラー本人はまったくワインに興味をもっていなかったというのです。ひと口、有名なワインを味わったとき、ヒトラーは、「ただの酢と少しも変わらないじゃないか」と言ったそうです。でも、ほかのナチスの高級幹部はそうではありません。ゲッベルス宣伝相は洗練されたブルゴーニュ・ワインを好み、ゲーリング元帥は偉大なボルドー・ワイン、とりわけシャトー・ラフィット・ロートシルトがお気に入りでした。リッペントロップ外相はシャンパーニュの愛好家であり、パーペン元首相もワイン通です。
 この本は、ナチス・ドイツに占領されたフランスのワイン産地がどうやって守られていったが、その苦労のほどを明らかにしています。
 シャトー・ラフィット・ロートシルトを守るため、ヴィシー政府はこれを没収した。フランス政府の財産にして、ドイツ軍当局に没収させないようにしたのです。
 ドイツのためのワイン総統という役割を果たす人間がいて、面従腹背の危ない綱渡りをしていったようです。さすがはワインを愛するフランス人ですね。
 ブドウに最適な土壌は、水はけがよく、根が地中深く下がり、砂利の多い土地。そこは野菜には、あまり適しない。ブドウは過酷な条件の方が良く育ち、野菜は甘やかさなければいけない。
 アルザスでは、少なくとも4万人の若者がドイツ軍として、ほとんどロシア戦線で戦死した。終戦直後、ドイツ軍はボルドーを撤退するとき、攻撃しないなら港は爆破しないと提案し、レジスタンスはそれに同意した。それで、ボルドーは救われた。
 戦争が終わって、対独協力者は厳しく処罰された。レジスタンスによる即決裁判で、少なくとも4500人が死刑に処せられた。フランス新政府は、対独協力の罪で7000人に死刑を宣告し、800人が処刑された。別に3万8000人が刑務所に入れられた。
 ところで、私はこの夏、ボルドーワインの産地のひとつ、サンテミリオンに3泊してきました。見渡すかぎりのワイン畑のなかのホテルです。陽差しは暑いのですが、人々は日光浴を楽しんでいました。木陰にいて風が吹くと、涼しくて暑さを忘れます。美味しいワインをしっかり堪能し、久しぶりに生命の洗濯をしてきました。

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2005年8月18日

核に蝕まれる地球

著者:森住 卓、出版社:岩波書店
 表紙の写真はインドの女の子(8歳)のうしろ姿です。生まれたときから、肋骨と背骨が曲がっていました。インド東部ビハール州のジャドゴダはカルカッタから列車で西に5時間の山岳地帯にあります。ウラン鉱山がそこにあるのです。ウラン鉱山は、その廃棄物をダムに捨て、周辺の環境汚染には何の対策もとっていません。奇形児が出ても、おかまいなしです。
 イラクの劣化ウラン弾による被害やセミパラチンスクの核実験場の周辺の放射能汚染による影響については前に紹介しました。ここでは、ビキニ水爆実験とアメリカの核実験場周辺の実像をみてみます。まずはビキニです。
 1954年3月、ビキニ島に近いロンゲラップ島で、アメリカは15メガトン水爆「ブラボー」の実験をしました。このとき、有名なまぐろ漁船第五福龍丸など、操業中の日本の漁船800隻ほどが被害を受けました。ロンゲラップ島には死の灰が2、3センチも降り積もりました。こどもたちは、ときならぬ白い粉を身体にふりかけてはしゃいでいたそうです。やがて、発疹、発熱、嘔吐、下痢をひきおこしました。島民は近くの島に収容され、やがてロンゲラップ島に戻されました。どの程度の放射能による影響があるか、その人体実験をされたのです。島民は完全にモルモット扱いです。
 アメリカのワシントン州ハンフォード核施設の周辺でも被害が出ています。長崎に投下された原爆のプルトニウムも、ここでつくられました。ハンフォードは、西側世界ではもっとも放射能汚染のひどい地域です。ところが、日本は、このハンフォードの農産物(小麦やジャガイモ)を輸入しているのです。放射能汚染について、過去も現在もまったくノーチェックのままにです。
 臭いもなく、味もなく、痛くも痒くもない。すぐに発病するでもない。五感では感じることができない。しかも、放射能の被爆によって発生するのは、ガンや白血病など、通常の病気だ。しかし、問題の地域には、ガンや白血病そして先天的異常など放射能の影響と思われる病気の人が、異常に多い現実がある。
 恐ろしい、知りたくないけど、知らなければいけない現実を、目のあたりにしてくれる「美しい」写真集です。

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2005年8月17日

女性のからだの不思議

著者:ナタリー・アンジェ、出版社:集英社
 女性に毎月ある生理(この本では月経)は何のためのものなのか。多くの哺乳類は子宮がそれほど華麗に血管で飾りたてられていないため、生理の出血はほとんどない。
 ある学者(ストラスマン)は、子宮を常に肥沃な状態に維持するよりも、生理があった方が安くつくからだとしている。生産のためのぜいたくな準備を、月のうちもっとも妊娠しそうな排卵時だけに限るのは筋が通っている。胚が到着しない子宮内膜とその生産物を維持するのは重荷なので、そっくり片づけてしまう。そして翌月、また一から始める。生理4回で6日分の食物に相当するエネルギーが節約できるという。
 生理で40リットルの血液と分泌物が排出される。著者はこの疑問に対する答えは一つとは限らないとしている。逃げているとも思われるが、なるほど、そうなのかなとも思う。
 子宮は製薬工場でもある。たとえば、ホルモンを分泌し、タンパク質と糖と脂肪をつくる。さらに、違法ドラッグの一種でもあるベータエンドルフィンやダイノルフィンも放出する。これは自然の鎮静薬で、科学的にはモルヒネやヘロインの親戚にあたる。また、マリファナに含まれる活性成分と同じ分子のアナンダミドもつくる。ところが、子宮が、このような鎮静薬や化学物質やホルモンの前駆体をつくって分泌する目的はほとんど分かっていない。だから、子宮全摘手術にはまだ疑問も大きい。
 初乳は、タンパク質と炭水化物そのほかの成分の混じった粘っこい液体をつくる。脂肪は含まれない。初乳の黄色はニンジンを黄色くする成分、ビタミンAとBをつくるのに必要なカロチノイドをたっぷり含んでいる。また、多量の白血球と抗体を含み、免疫系ができていない新生児を助ける。
 乳の成分は動物ごとにちがう。成長の速い動物はタンパク質をつくるアミノ酸の多い乳が必要。猫や犬など肉食動物はアミノ酸のせいで濃い。短期間に体に脂肪を蓄えなくてはならないゾウアザラシのような動物は高脂肪の乳をのむ。ゆっくり成長する動物の乳はアミノ酸の量が比較的少ない。人間の乳はアミノ酸含量がもっとも低く、ネズミの乳の12分の1。牛乳は母乳の4倍のタンパク質を含むので、加工せずに赤ん坊に与えてはいけない。新生児の腎臓はまだ高タンパク質を処理できないから。
 人間の乳はタンパク質が少なく、ラクトース(乳糖)が多い。人間の乳は粉末ジュースのように甘い。このラクトースはグルコースの2倍のカロリーを新生児に供給する。栄養素の吸収にも重要な役割を果たし、赤ん坊の胃がカルシウムや脂肪酸などを最大限に摂取できるようにする。
 乳が限りなく魅力的である理由のひとつは、いかに母親の栄養状態が悪くても、乳の成分をほとんど変動させないことにある。足りない成分は体内から調達する仕組みだ。人工乳に母乳の真似はできない。人間の乳は200以上もの成分を含んでいて、その多種多様な役割の全部はまだ解明されていない。たとえば、ラクトフェリンは母乳中にわずかしかない鉄分を生物として利用可能とし、鉄とともに病原菌が胃のなかに入らないように防ぐ。人工乳には含まれていない成分だ。
 乳房にがんができやすいのは、養うべき子があらわれるたびに、ふくらんだりしぼんだりを繰り返さなくてはいけないから。身体のほかの部分では、遺伝子が細胞の成長を抑制するが、乳房ではその抑制が強くないため、悪性腫瘍が足がかりをつくりやすい。
 人間の身体の基本は女性のからだです。そのからだの不思議をかいま見た思いです。

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2005年8月12日

漢語四方山話

著者:一海知義、出版社:岩波書店
 漢字の読み方に、呉音と漢音があるというのは、もちろん私も知っていました。ただし、どちらが呉音で、漢音なのかはいつまでたっても覚えられません。
 呉音は昔の中国の今でいう上海や南京あたりの南方音で、漢音は中国の長安や洛陽という北方音が伝わってきたものです。たとえば、生は一生と書けばショウとよみ呉音で、人生ならセイと読んで漢音です。奈良時代(792年)以降、朝廷は漢音の方が正規の字音で、漢文を読むときは漢音で読むようにと繰り返し布令を出しました。しかし、漢音以前から伝わっていた呉音はしぶとく今日まで生き残りました。仏教もそのひとつです。
 仏教は漢音が伝来する前の奈良朝以前から日本に伝わっていましたから、お経は呉音で読まれてきました。仏教関係の言葉はだいたい呉音で読むものになっています。たとえば、文殊(モンジュ)、殺生(セッショウ)、声明(ショウショウ)といった具合です。
 ところが、元号は朝廷の布令に反した読み方になっています。
 明治、大正、昭和、平成を漢音で読むと、メイチ、タイセイ、ショウカ、ヘイセイとなります。つまり、漢文は漢音で読むべしという布令を守っているのはヘイセイだけなのです。あとは、朝廷自らが呉・漢混合でやっています。
 私は大学に入学するまでは元号の使用が当然だと思っていました。昭和42年の入学ですから、大学のクラスは42L??17Dという表記になっていました。今では当然のことながら05入学という表記になっています。ちなみに、娘が今春入った大学では4年後に卒業する年をとって09と表記するとのことです。昭和が平成に変わってから、私は元号使用を基本的にやめました。とくに何年間していたかというのが問題になるときには、元号では計算できないという不便さがあるからです。
 天皇一代一元号というのは、たかだか明治以降のものでしかありません。それまでは一人の天皇がいくつもの元号をつかっていたのです。江戸の大火で有名な明和九年は「めいわく」と人々から呼ばれるようになって、元号が変えられたということです。これだけ国際化がすすんでいるのですから、仲間うちだけでしか通用しない馬鹿馬鹿しい制度は早く捨て去りたいものです。

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アウシュビッツを越えて

著者:アナ・ハイルマン、出版社:東洋書林
 アウシュビッツに強制収容されながら生き抜いた、当時14歳のユダヤ少女アナの物語です。アウシュビッツが工場群を併設した施設であったことがよく分かります。
 アナ・ハイルマンは、弾薬工場で働いていたため、死を免れたのです。でも、姉は、弾薬工場で扱っていたその火薬をひそかに外へ持ち出し、アウシュビッツ収容所内の抵抗組織に渡し、そのことが発覚し、他の3人の若い女性とともに1945年1月5日、全収容者の前で絞首刑に処せられました。持ち出された火薬は、1944年10月のアウシュビッツ内の暴動(蜂起)につかわれ、死体焼却場のひとつが爆破されました。いずれ自分たちは死ぬと分かっていたので、どうせ死ぬのなら、何らかの意味ある死を選びたいという意思にもとづく行動でした。
 著者はポーランドのワルシャワに生まれ育ちました。ユダヤ人といっても正統派というより同化ユダヤ人として生きていた家庭です。平穏な中流階級の生活を過ごしていました。
 三人姉妹の末っ子として、いくらかの波風がたちながらも平和な毎日の生活でした。その淡々とした生活描写が心をうちます。それが、ナチスドイツにポーランドが占領されて、一変するのです。ワルシャワにユダヤ人のゲットーがつくられます。両親はマイダネク強制収容所に送られ、直後に殺害されました。
 1943年9月から1945年5月まで、アナは強制収容所の辛い、非人間的な生活を生きのびます。その不屈の意志には、ただただ頭が下がります。
 幼いころの三人姉妹の、いかにも賢そうな写真が心をうちます。

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壊滅

著者:エミール・ゾラ、出版社:論創社
 1870年に始まった普仏戦争で、フランス軍がいかにたたかい、プロシア軍に敗れていったか、刻明に再現したゾラの小説です。ナポレオン3世がみじめにもプロシア軍の捕虜になっていく様子も描かれています。そのことがパリ市内での反乱(パリ・コミューン)を呼び起こします。後半には、パリ・コミューンが壊滅していく様子も記述されています。
 プロシア軍なんかに負けるはずがない。こんな確信で始めた戦争ですが、実はフランス軍の指揮命令系統は無謀なナポレオン3世のもとで、滅茶苦茶でした。てんでんバラバラにたたかい、退却していくのですから、統制のとれたプロシア軍にかなうはずがありません。まともに食事をする間もなく、後退命令が出され、指揮命令が貫徹していないため、無為に何時間も立ち往生する。そして、次々に敵の砲弾によって殺され、負傷していく兵士たちの様子が実に生々しく刻明に描かれています。
 ナポレオンを崇拝していたボナパルティストの兵士も、ナポレオン3世が空想的な精神と、できの悪い頭脳をもつ、無能な人間だということを認めざるをえない現実がありました。
 400字詰めの1400枚の長編小説で、660頁の大部な本です。この本を読んで、普仏戦争の実相に初めて触れた気がしました。ナポレオン3世を美化するなんて、とんでもないことだと改めて実感したことです。

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暁の旅人

著者:吉村 昭、出版社:講談社
 順天堂大学医学部の開祖ともいうべき医師・松本良順の一生をたどった小説です。吉村昭の小説はいつも綿密な取材に裏づけられ、読み手をぐいぐいと引きずりこんでしまう迫力があります。
 松本良順は江戸時代に生まれ、幕末期を幕府の医官、奥医師といいます、として生き、朝廷軍からのがれるため江戸を去って奥羽へ逃げていきます。新選組の土方歳三の助言で横浜村に戻り、そこで明治政府に捕まります。釈放後、医師として再び活動をはじめ、初代の陸軍軍医総監となるのです。
 松本良順は若いころ長崎に行き、オランダ人の医官・ポンペから学びます。ポンペは刑死人の遺体を解剖して日本人に医学の根本を教えました。良順はしっかりそこで学んだのです。攘夷論者は外国人が日本人の遺体を切り開くなんてもってのほかだと反対するなかでの出来事でした。
 良順は新選組の屯所に出向き、診察するようになりました。屯所のなかに清潔な病舎をつくり、病人を養生させて回復を早めたのです。
 江戸幕府が崩壊するとき、良順はまず会津に走りました。そこで野戦病院をつくって負傷者を介護します。ところが、いよいよ会津も落城間近かとなります。山形・鶴岡へ逃げ、仙台にまわります。そこで武器商人であるスイス人のスネルの船に乗って、実父のいる横浜村に戻るのです。もちろん、逮捕される覚悟でした。出所後、良順は洋式病院を開設します。陸奥宗光などの援助を受けてのことでした。これが今日の順天堂大学病院となるのです。江戸から明治へ、波瀾万丈の人生を歩いた一人の医師の生きざまに没入しながら、心地良く読みふけることができました。

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シェイクスピアの密使

著者:ゲアリー・ブラックウッド、出版社:白水社
 シェイクスピアを脇役とし、俳優兼速記係の少年を主人公とする痛快冒険物語です。
 「シェイクスピアを盗め」「シェイクスピアを代筆せよ」に続く第3弾です。
 舞台は17世紀のロンドン。シェイクスピアが座付の劇作家として活躍しているころです。熱心なカトリック教徒だったメアリー女王が亡くなり、エリザベス女王はカトリックを弾圧しています。カトリック神父は逮捕されますし、国教会のミサに出席しないと多額の罰金を払わされるのです。
 「恋におちたシュークスピア」という面白い映画がありました。この映画を見ていたので、当時のロンドンの雰囲気をイメージしながら読みました。当時のイギリスでは、女王にも下層階級にも、シェイクスピアの劇は大人気でした。
 芝居は宮内大臣一座と海軍大臣一座とが競争してはりあっています。シェイクスピアは、いつも頭をウンウンうならせてアイデアをしぼっているので、可哀想なほどです。
 アイデアは、あるとき、天空から雨のように降りそそぐ。かと思うと、日照り続きで、すべてが、自分の脳みそさえもが干上がってしまう。アイデアがどこから、なぜやってくるのかは分からない。そんなときには、だれかのアイデアを盗むしか手がない。
 どの物語も、これまでに百回は語られている。それに百回も生身の人間が物語りを生きている。私たちに残された望みと言えば、その物語を新しいやり方を語ること、それだけだ。
 ふむ、ふむ、まったくそうなんですよね。まったくの独創性を期待するより、ちょっぴり新しい装いをこらして別の切り口からとらえてみたら、新鮮な話になるのですよね。でも、これって、口でいうほど簡単ではありません。私は、いま本格長編小説に挑戦中です。

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