弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年7月 8日

太平洋戦争と上海のユダヤ難民

著者:丸山直起、出版社:法政大学出版局
 センポ・スギハラとして名高い、リトアニアの杉原千畝・日本総領事が発行したビザで助かったユダヤ人の流れついた先のひとつが上海でした。上海には日本軍が占領した当時、2万人をこえるユダヤ人がいて租界をつくっていました。
 日本軍がユダヤ人排斥に走らなかった理由のひとつに、満州にユダヤ資本を導入しようという狙いがあったことが指摘されています。満州の関東軍参謀長だった東条英機もその趣旨の通達を出しているそうです。日本軍部は日独伊の三国同盟を結びつつも、ドイツの言いなりにはならず、ユダヤ人を排斥しませんでした。それは彼らなりの思惑があったからです。ただ、満州にユダヤ人の入植地をつくろうという日本側のプランはユダヤ人側から拒絶されました。日本軍の占領地という不安定なところに入植しても、将来性がないとユダヤ人側は判断したのです。
 1941年に上海にいたドイツ人は2万5000人。そのうち2万2000人がユダヤ人で、ナチ党員はわずか300人程度でした。日本とドイツの関係がぎくしゃくした原因のひとつがスパイとして摘発されたゾルゲ事件でした。ゾルゲ事件については何冊も本を読みましたが、ゾルゲの使命感と有能さには感嘆すべきものがあります。
 上海にユダヤ人を居住する区域が指定されましたが、そこには中国人やロシア人も住んでおり、いわゆるゲットーとか強制収容所ではありません。通行証があれば外出もできました。ヨーロッパ各地から流れてきたユダヤ人たちは、逆境に耐えつつ、音楽や演劇コミュニティの活動にうちこむ余裕をもち、かえってユダヤ人としての自覚を高めていくたくましさをもっていました。戦後、イスラエルの要人となった人物を何人も輩出しているのです。さすがはユダヤ人です。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー