弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2005年7月 7日
失われた革命
著者:ピート・ダニエル、出版社:青土社
1950年代のアメリカ南部を深くえぐり出した快作です。520頁もの厚さですが、ぐんぐん引きずられるようにして一気に読んでしまいました。オビの文章を紹介します。
資本主義の波に翻弄される農民たち、プレスリーに象徴される黒人音楽と白人文化の融合の可能性、公民権運動の台頭、人種隔離主義者の反撃、そして人種共栄をめぐるリトルロック事件。混沌と激変の狭間でいくども訪れた改革・融和のチャンスがことごとく失われてしまったのはなぜか・・・。
この疑問を見事に解明していく文章には胸のすく思いがあり、同時にアメリカ社会の病根の深さに暗澹たる思いにもかられます。では、少し内容を紹介しましょう。
公民権運動は、白人を困惑させ、アフリカ系アメリカ人(この本では黒人とはいいません)に希望を与えた。白人の多くは人種隔離や宗教や男女観などにみられるゆがんだ歴史観を受け継いでいた。黒人労働者と白人労働者とを統合しようとする動きは戦後すぐに挫折し、共産主義(アカ)のレッテルを貼られて粉砕されてしまった。小心な聖職者たちは関わりあいを恐れてしりごみし、優柔不断な白人リベラルは、冷酷非道な人種隔離主義者にまったく太刀打ちできなかった。
人種差別の壁に体当たりしたのは南部に定住した北部人たち。彼らは黒人に関する南部の伝統を無視した。彼らは黒人に対して平気で敬称を用い、高い給料を支払い、平等の権利を支援した。
ところが、黒人男性と白人女性との結婚は、昔から白人の心に埋めこまれた恐るべき悪夢だった。共産主義者が陰で人種統合の糸を操っているのに違いないと考えていた。
今の日本でもまだアカ嫌いは少なからず残っていますが、アメリカの方がもっと極端のようです。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)は私も読みましたが、大々的に農薬をつかって引き起こされた恐るべき自然環境破壊には背筋も凍るほどの戦慄を覚えました。この本によると、南部農業は大量の化学薬品をつかい、巨大農場での単一農作物栽培、農耕機械によって支えられていたというのです。薬品会社が安全だと誇大広告し、それを農務省の安全宣言が促進していました。
空中農薬散布機の墜落死亡事故が55件もあり、そのうち7件はパイロットが毒性農薬を吸引し、手がしびれ吐き気がして墜落したというのです。すさまじいものです。それでも国は薬品会社と一緒になって農薬の危険性を隠しつづけました。
私は、庭でまったく農薬をつかいません。ですから、花も葉も、すぐに虫喰い常態になってしまいます。それが自然の状態なのです。
1950年代のアメリカ南部に流行したのが、南部音楽とカーレーシングです。自動車レースは労働者階級の究極のスポーツでした。月曜日から金曜日まではおとなしく飼いならされているかに見える彼らも、週末の行事ともなれば、大いに羽目をはずすのだった。その後、世界的評価を得てからは商品化され、商業主義が下層文化をねじ曲げてしまった。
人種隔離の壁をうち崩す役割を果たしたのは、地域のリーダーではなく、ミュージシャンやスポーツ選手たちだった。
ロックンロールと同様に、黒人パフォーマンスが広い範囲で人々に受容されるようになったこと、とくに白人女性に歓迎された事実は、白人人種隔離主義者のイデオロギーと真っ向から衝突した。
「どこへ行っても黒人ばかりだ。テレビ・ショー、野球、フットボール、ボクシング、まったく切りがない」と白人たちは嘆いた。電話回線を黒人と白人とで別のものに分けるよう申し入れたという。こんな、まるでバカげたことが横行していました。
農場の機械化、化学薬品、それに南部を白色化しようとする野望が三つどもえになり、黒人農場主の数を激減させた。1940年には15万9000人だった黒人農場主は、1964年には3万8000人に落ち込んだ。
白人は、子育てのときには、黒人女性の手を借りて、黒人の影響力が及ぶままにしておきながら、公共の乗り物や法廷などで、人種の純潔性を保つという名目で人種隔離を実行しようとする。これは、いかにも不合理だ。
この本の白眉は、リトルロックの9人の生徒の話です。1956年9月、セントラル・ハイスクールに9人の黒人生徒が入学した。白人人種隔離主義者の群衆が学校の外に集まった。アイゼンハワー大統領は、ついに連邦軍を出動させた。
校内でも人種隔離主義の生徒たちは、黒人生徒に嫌がらせをし、黒人生徒と仲良くする白人生徒を脅迫した。9人の黒人生徒のほとんどがきちんと中産階級か労働者階級の家庭の子どもだった。9人の生徒たちは、校内で一部の白人生徒たちから毎日ひどいいじめにあった。平手うち、小突き、にらみ、「クロンボはさっさと出ていけ」とトイレの鏡に口紅で書かれていた。9人は、やられてもやり返さず、じっと虐待に耐えた。女子生徒が階段から突き落とされたが、犯人の女子生徒は「私は本で彼女を押しただけ。彼女には指一本さわっちゃいないから」と主張した。スカートは昼休みにインクをまき散らされ、台なしになった。昼食時、熱いスープが肩にぶっかけられた。彼らはひたすら耐え、白人の権力に挑戦した。
そして、全員ではなかったが、無事にハイスクールを卒業した。卒業式は何の妨害も受けなかった。人種隔離主義者は敗北した。
40年後、9人の生徒たちをふくめて関係者が一同に再会した。そのとき、当時いじめの先頭に立っていた女子生徒も謝罪をして参加した。
私は、この一連の出来事を知って、本当に9人の生徒たちの勇気に改めて心から敬意を表したいと思いました。といっても、彼らも今では60代前半です。つまり私よりは年長なのです。未来は青年のもの。青年が動けば世の中は変わる。こんな言葉を、私たちは 20歳前後ころによくつかっていました。久しぶりに思い出したことでした。
この本の最後に「ミシシッピーバーニング」として映画にもなった3人のボランティア(うち2人が白人)が殺害された事件が紹介されています。つい最近、その犯人のひとりの裁判が始まったという記事を読みました。アメリカの深南部では、まだまだ差別がなくなったわけではないことを思い知らされるニュースでした。