弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年7月29日

江戸の養生所

著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書
 私は、20代のころ山本周五郎を夢中になって読みました。しっとりとしたうるおいのある雰囲気に心が洗われる気がしたからです。「赤ひげ診療譚」も好きな本でした。その舞台となった小石川療養所は、いまの東大・小石川植物園内にありました。黒澤明監督によって「赤ひげ」として映画化され、世界的に有名になっています。本書は、その小石川養生所の実像を描き出した本です。
 小石川養生所の収容定員はわずか40人。享保7年(1722年)、4万坪の小石川御薬園の一角(1000坪)に発足しました。養生所に診療・入所を希望する病人があまりに多かったので、定員は40人から100人へと増やされました。7年後には150人定員にまでなりましたが、そのあと少し減って、117人定員で幕末を迎えました。養生所の医師は、幕府の歴とした役職であり、医学館として医師養成の機関でもありました。
 ところが、養生所への入所希望者は次第に減っていきました。というのは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があったからです。しかも、入所者にとっては、なにかと物入りの生活でもありました。月に最低500文、今でいうと数万円は必要だったのです。つまり、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできませんでした。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳があっていました。衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたのです。
 幕末を迎えて、養生所周辺に大名屋敷が建ち並ぶようになり、そこで射撃訓練まで実施されはじめました。これでは小石川養生所はもちません。
 小石川養生所の入所者総数(140年間)は3万2千人。そのうち全快した人は1万6千人。入所患者の平均は200人ほどでした。うーん、そうだったのか・・・。江戸の実情を少し知った思いです。

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ニコライ・ラッセル

著者:和田春樹、出版社:中央公論社
 帝政ロシアのナロードニキ時代を生きた人物が、日露戦争で捕虜となったロシア兵を革命側に工作するため日本にやってきて、それなりの成果をあげていたというのです。まったく知りませんでした。その人物が本書の主人公、ニコライ・ラッセルです。
 ヴ・ナロード(人民の中へ)と叫んでいたナロードニキ運動は、学生時代にセツルメント活動に3年あまり没頭していた私にとっては、なんとなく親近感を覚えるものです。でも、ロシア皇帝(ツァーリ)暗殺などの結果、ナロードニキ運動は壊滅させられます。ラッセルはアメリカに亡命し、ハワイで上院議員にまでなります。そこへ、再びロシアから亡命者がやってきて、ラッセルは祖国ロシアの変革を志すのです。たちまち、日露戦争で7万人もいたロシア兵の捕虜への工作を始めます。
 ロシア兵捕虜へ日本が人道的な扱いをしたことは定評があります。第二次大戦のときとは、まるで違うのです。九州にも、福岡と久留米そして熊本に各2000人以上ずつ捕虜収容所がありました。
 世の中に知らないことの多いことを改めて思い知らされました。

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清帝国とチベット問題

著者:平野 聡、出版社:名古屋大学出版会
 儒教も漢字も共有していないモンゴルやチベットなどが、なぜ漢民族を中心とする中華民俗の不可分の一体となりえているのか。この疑問を清時代にさかのぼって解明しようとした本です。よく分からないところが多かったのですが、清王朝について少し理解することができました。
 清王朝はもとは女真族ですが、その信仰する文殊菩薩のマンジュシュリーにちなんだマンジュ(満洲)も改称したのです。初めて知りました。
 賢帝として名高い乾隆帝は、漢の人を満洲族が抑圧した歴史を抹殺しようとして「文字の獄」という禁書(書物を焼却した)をしたということも知りました。
 雍正帝は、モンゴルの活仏が北京に来たとき、自分より上座にすわらせ、敬意を表しました。
 李氏朝鮮は北方の野蛮人「オランケ」にすぎない清帝国への服従を拒絶しようとしました。それでも力にはかないません。そこで、朝鮮は表向きは清帝国に服従しながらも、内面では、女真=胡=オランケが支配する中国は真の中華ではありえず、今や中華の精髄は儒学を高度に発展させた我が国(朝鮮)に承継されている。したがって、我が朝鮮こそ中華である。このような「小中華」思想をうみ出しました。
 少しだけ歴史が分かったような気がしました。

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NHK

著者:松田 浩、出版社:岩波書店
 NHKの放送総局長が安倍官房副長官のもとに出向いて番組の事前説明をした。そして、その直後に番組内容が変更された。NHKはこのことが発覚したあと、それは通常業務の範囲内だと正当化し、逆に内部告発したチーフ・プロデューサーをジャーナリストとして軽率だと非難し、さらに記事にした朝日新聞を虚偽報道と決めつけた。なぜ、こんな権力におもねる偏向が「みなさんのNHK」で起きるのか・・・。
 結論は、NHKの新財源確保という金もうけにあった。海老沢体制のNHKは視聴者と正面から向きあおうとせず、永田町にばかり顔を向けていた。NHKは、デジタル化やハイビジョン普及という国策推進とひきかえに、将来の新財源を確保し、放送・通信融合時代の新サービスを手に入れようと、権力との間でギブ・アンド・テイクの経営戦略をすすめていた。権力とのもちつもたれつの関係は、政治と太いパイプをもつ派閥がNHK内で発言力を増大させることになった。
 かつてのミスターNHKともいうべき礒村尚徳は、日本のメディアはアメリカに完全に洗脳されている、コインランドリー・オブ・ブレイン(自動洗脳機)という評もあるほどだと公然と批判しました。なるほど、NHKは有事法制反対などの政治的な性格をおびた集会やデモをほとんど報道しません。
 NHKの会長は、政治的な意見の対立が国民の間にあるときには、その対立を激化させないのがNHKのモットーだと高言しました。ということは、権力側の言い分のみ報道するということにほかならなりません。たとえば、田中角栄が収賄罪で捕まり、ようやく保釈されて目白台の私邸に戻ったとき、当時のNHK会長がまっ先にお祝いにかけつけました。
 名高い民法学者である我妻栄がNHKの経営委員長になれなかったことを初めて知りました。60年安保のとき、安保反対を表明したからです。また、憲法学者の伊藤正己もNHK会長に内定しながら自民党の反対にあってなれませんでした。この2人がトップになれなかったというNHKが不偏不党であるはずがありません。
 NHKの受信料の支払い拒否・保留件数は75万件にもなっています。わが家もそのひとつです。もともと私はテレビをほとんど見ませんので支払わなくてもいいように思うのですが、視聴者の声を放送に生かす気がないところにお金だけとられるのはまっぴらごめんです。

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2005年7月27日

靖国問題

著者:高橋哲哉、出版社:ちくま新書
 靖国神社については、新聞を丹念に読んでいるので、ほとんど知っていると思っていましたが、それがまったくの間違いだったことをこの本を読んで深く認識させられました。汗顔の至りです。
 靖国神社は1869年に東京招魂社として創建されたものです。その前からあったわけではありません。10年後の1879年に靖国神社と名前を変え、別格官幣社となりました。日本の戦没者祭祀の中心施設となったのは日露戦争後のことです。
 靖国神社には、日清、日露、第一次大戦だけでなく、台湾出兵から台湾霧社事件や「不逞鮮人」討伐など、日本が植民地を獲得し、そこでの抵抗運動を弾圧するための日本軍の戦闘行為がすべて正義の戦争とされ、そこで死亡した将兵が英霊として顕彰されています。
 靖国神社は、戦士を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするところである。家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自らの国のための「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。
 この本には、靖国神社に合祀されている遺族の陳述書が紹介されています。大阪地裁に提出されたものです。
 「靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺して下さい。たった一言、靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだし、それが見渡すかぎり、戦士たちの血の海となって広がっていくのが見えるようです」
 しかし、小泉首相が靖国神社参拝をくり返し強行することについては、中国や韓国そしてアジア諸国の犠牲者の遺族からの激しい怒りと哀しみがぶつけられています。この点について、著者は次のように指摘しています。
 日本の側に遺族感情や国民感情があるならば、アジア諸国の側にも、仮に感情の量を比べることができるとしたら、その何倍にもあたる遺族感情や国民感情がある。
 まことにそのとおりだと私も思います。実は、私の亡父も中国大陸に2等兵として渡り、戦場を転々としています。幸いにも病気(腸チフス)のため日本に送還されて命を助かりましたが・・・。また、三井の労務係として、朝鮮半島から徴用工を連れて帰る仕事にもついています。日本人に加害者の側面があることを決して忘れてはいけません。これは自虐史観という問題ではありません。諸国との友好を考えるなら、必要不可欠の視点です。
 身内から戦死者を出せば遺族は当然のことながら悲しみます。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ、不幸から幸福へ、遺族感情が180度逆のものに変わってしまう。著者はこのように指摘しています。戦う国家とは祀る国家であり、祀る国家とは戦う国家なのである。このように喝破しています。まことにズバリ本質をついた言葉です。
 この本では、2004年4月7日に出た福岡地裁による小泉首相の靖国神社参拝を違憲とした判決を高く評価しています。私も大賛成です。たまには裁判所も勇気ある判決を下すものだとの感動を覚えました。それほど、ふだんは裁判官の勇気のなさに絶望的な思いにかられているからでもあります・・・。

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2005年7月26日

映画道楽

著者:鈴木敏夫、出版社:ぴあ
 私は映画を月1本はみるようにしています。本当はもっとみたいのですが、これでも現役の弁護士ですから、なかなか時間がとれません。もちろん、これは映画館でみる映画のことです。ビデオやDVDも仕方なくみることがありますが、家(自宅)ではモノカキが忙しくて見れません。ちなみに、テレビは全然みません。いつも新聞で近着の映画紹介をチェックしています。絶対みたいと思った映画がいつのまにか映画館で上映しなくなって悲しい思いをさせられることが何度もあります。本当に残念です。
 あっ、そうそう。東京・銀座の映画館で「サウンド・オブ・ミュージック」の完全リバイバル版をみました。広いスクリーンで、ジュリー・アンドリウスの 歌をきいて改めて感激しました。DVDを買って自宅でみましたが、やはり感激は小さかったですね・・・。
 著者は、私とまったく同じ、団塊の世代です。宮崎駿・高畑勲の両監督と一緒にプロデューサーとしていくつもの映画をつくった人です。
 「風の谷のナウシカ」(よかったですね。腐海の虫たちって、ダンゴ虫たちそっくりですよね)、「天空の城ラピュタ」(気持ちよく空をかけめぐっていましたね)、「となりのトトロ」(メイもサツキも、もちろんトトロもかわいいですね。テーマソングを口ずさむと、心まで軽くなります)、「魔女の宅急便」(ホーキに乗って空を飛びます。『ハリーポッター』より身近なフツーの女の子という感じです)、「紅の豚」(男のロマンを感じましたね。いい意味の反戦映画です)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(都市化は自然破壊をすすめていることを分かりやすく伝えています)、「耳をすませば」(なつかしい、子ども心をとり戻しました)、「もののけ姫」(うーん、森の奥深いところにもこんな人間の営みがあったのですね・・・)、「千と千尋の神隠し」(発想がすごいですよね、さすがです)、「ハウルの動く城」(戦争と平和をこんな視点からも考えることができるんですね。すごいものです)。
 仕事は公私混同でやるべきだ。こんな言葉が出てきます。誤解を招きやすい言葉ですが、私もそのとおりだと思います。自分の性にあった、好きなことを仕事としてやりたいものです。それにしても著者は絵が描けるので、うらやましい限りです。
 雑誌はタイトルひとつで売れる。雑誌の特集タイトルは内容を端的に伝えるものでなくてはいけない。タイトル・ロゴとして読みやすいのは、明朝体とゴシック体だ。コピーも大切。
 「私は、もう一人の自分と旅に出る」
 「私はワタシと旅に出る」
 どっちがいいか歴然としています。すごいですね、さすがコピーライターです。
 言葉のマジックのようなものです。
 私は、これからも、せっせと時間をつくって、いい映画を広いスクリーンでたくさんみたいと思っています。

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2005年7月25日

しのびよるネオ階級社会

著者:林 信吾、出版社:平凡社新書
 イギリスは、まさに階級社会である。医師や弁護士、大企業のエグゼクティブや成功した芸術家はアッパー・ミドルクラス。ロンドン・キャブ(タクシー)の運転手はロウアー・ミドルクラスで、2階建てバスの運転手はワーキングクラス。
 パブの内側は2つに仕切られ、入口も2つある。労働者階級向けのバーは立ち飲みだが、中産階級向けには大きめのソファーが置かれている。
 ブルーカラーの賃金は週給で、ホワイトカラーは月給であった。労働者階級はタブロイド版の大衆紙しか読まない。中産階級の言葉は標準語だが、労働者階級は、スラング(俗語)が多く、出身地の訛り丸出しで、これでも同じ英語かと疑問に思うほど違っている。しかし、階級が異なると、相互に会話する機会もほとんどないので、不都合は起きない。
 鉄の女とも呼ばれたサッチャー元首相の父親は靴職人の息子として生まれ、食料品店に就職し、商売で成功して市議会議員になった。つまり、ワーキングクラスからロウアー・ミドルクラスへ成り上がった。その娘(二女)サッチャーはオックスフォード大学を卒業しているが、苦心して上流階級の話し方を身につけた。
 イギリスにおける階級社会の問題とは、経済格差よりも、むしろ教育環境の格差なのだ。このような格差が何世代にもわたって固定化されてきた結果、労働者階級の子弟はどうせ自分たちは、ビジネス・エリートなんかなれないんだから、勉強してもはじまらないというすり込みをされている。向上心を捨てて、物質的には最低限の生活だろうが、気楽に生きた方がいいと割り切ってしまうと、苦労して勉強する必要も、あくせく働く必要もなくなる。
 イギリスの公立学校のほとんどは午前中で授業をやめてしまう。サッチャー元首相は小学校のときから秀才で、グラマー・スクール(公立の進学校)を首席で卒業した。しかし、オックスフォード大学には補欠合格だった。これは、非上流階級出身者に対するハードルがそれほど高いということを意味している。たとえば、入試において、面接や作文を重視している。そのとき、たとえば「外国に行ったことがありますか」と訊かれて、「ない」と答えると「視野が狭い」と評価され、低い点数しかつけられない。
 これまでの日本の教育システムは機会平等、結果不平等であった。しかし、これは、イギリスのように機会の平等すら階級社会よりはましなのではないか。職人の子どもは職人になればいいじゃないかと決めつけるような社会はもっと間違っている。
 以上は著者の考えです。イギリスと日本の違いを改めて知らされました。そして機会の平等を保持することはやはり大切だと思ったことでした。

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2005年7月22日

江戸城の宮廷政治

著者:山本博文、出版社:講談社学術文庫
 熊本藩主の細川忠興が、その子、忠利と相互に送りあった書状が2900通ほど残っているそうです。このほか幕府の老中や旗本そして他大名などにあてた書状もふくめると1万通をこえます。
 この本は、その2900通の父子間の書状をもとに大名の生活の様子を紹介しています。
 たとえば父(忠興)は、子(忠利)に対して、島津殿とあまり仲のよさそうな様子を他人に見せてはいけない。互いに並の関係であるようにふるまえと忠告しています。
 島原の乱のとき、細川勢は奮闘していますが、それをねたむ勢力も多かったようです。ですから、父は子に対してあまり手柄話はするなといさめ、子は大いに不満を覚えました。
 大名同士の足のひっぱりあいが絶えずあったなかで、生き残るために卑屈なほど徳川将軍の意向を先まわりする必要があったのです。細川家は、そうやって江戸時代をしぶとく生き残りました。

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日露戦争

著者:軍事史学会、出版社:錦正社
 日本軍に捕虜となったロシア人は8万5千人をこえます。ロシアの捕虜となった日本人は2千人ほどでした。日本は、7万2千人ほどの捕虜を日本国内29ヶ所に分散して収容しました。大阪に2万2千人、千葉に1万5千人などです。久留米市内にも多数収容されました。日本は第二次大戦のときと違ってロシア人捕虜を厚遇したのですが、その有力な原因のひとつが外国の観戦武官や記者が多く従軍していたということにあります。つまり、虐待して国際社会に報道されることを恐れたのです。日本軍には英米仏などの将校30人が2班に分かれて従軍していました。第二次大戦では考えられないことだと思います。
 日露戦争の勝因のひとつに日清戦争の結果、日本が中国(清)から得た3億5千万円もの巨額の賠償金があげられています。当時の日本の一般会計の4倍にものぼる賠償金です。これで、日本は金本位制度へ移行することができましたし、軍備拡張に投入することができました。陸軍のために6千万円近くを、海軍のために1億4千万円ほどつかっています。これによって、日露開戦の4年前(1900年)に日本は陸軍を13個師団体制とし、海軍も6.6艦隊体制を確立し、十分な運用訓練時間を確保することができたのです。
 うーん、そうだったのか・・・、と思いました。

江戸城の宮廷政治
著者:山本博文、出版社:講談社学術文庫
 熊本藩主の細川忠興が、その子、忠利と相互に送りあった書状が2900通ほど残っているそうです。このほか幕府の老中や旗本そして他大名などにあてた書状もふくめると1万通をこえます。
 この本は、その2900通の父子間の書状をもとに大名の生活の様子を紹介しています。
 たとえば父(忠興)は、子(忠利)に対して、島津殿とあまり仲のよさそうな様子を他人に見せてはいけない。互いに並の関係であるようにふるまえと忠告しています。
 島原の乱のとき、細川勢は奮闘していますが、それをねたむ勢力も多かったようです。ですから、父は子に対してあまり手柄話はするなといさめ、子は大いに不満を覚えました。
 大名同士の足のひっぱりあいが絶えずあったなかで、生き残るために卑屈なほど徳川将軍の意向を先まわりする必要があったのです。細川家は、そうやって江戸時代をしぶとく生き残りました。

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虹と雲

著者:ドルジ・ワンモ・ワンチュック、出版社:平河出版社
 ブータンの現代史を知ることのできる本です。写真もありますが、ブータンの民俗衣裳は、日本の丹前みたいなものですし、顔も日本人そっくりです。そのブータンの王姫が父親からの聞き書きをまとめました。
 ブータンの風俗もカラー写真つきで紹介されていますので、ブータンという日本人になじみの薄い国のことを知ることができます。
 ブータン人の名前には姓がありません。すべて1人1人別で、まったく個人的なものなのです。名前からは親族関係がまったく見当つかないのです。親子かどうかも名前からでは分かりません。大半の名前は男性にも女性にも共通に使われるので、名前からだけでは、その人が男性か女性かもわかりません。もちろん、姓がないのですから女性は結婚して名前を変えることもありません。
 こんな不思議な国なのですが、やはり政争はあります。王族内部で有力者が暗殺されました。でも、そのうちその身内が帰国できたりもするのです。なんだか日本人には理解しがたい国です。

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2005年7月21日

談合しました

著者:加藤正夫、出版社:彩図社
 談合で入札者を決めるのを調整と呼ばれ、ふつうは密室で行われる。調整というと聞こえがいいが、実際にはそれぞれ勝手な理由を言いあっているだけであり、最終的にはほとんど力関係で決まる。業者の規模や役人とのつながり、実績によって発言力が大きく変わってくる。
 契約担当の公務員には2種類いる。一つは、賄賂はとらないし談合に協力もしないが、とりたてて不正を暴こうとはせず、「談合するなら勝手にやってくれ、ただし、うちの入札で間違いだけは起こさないでくれ」という態度をとる。
 もう一つは、よこすものは遠慮なく受けとり、なにかと業者の都合を聞き入れてくれる。しかし、自らすすんで賄賂を求める役人はごく少ない。
 談合なしで入札があると、毎年のように請負業者が切り替わるので、心配事が増える。談合で既存になった業者とは長いつきあいになるので、あうんの呼吸で仕事ができる。役人にしてみれば、たとえ経費が高くなったとしても、自分の仕事が楽になればいいのだ。
 役人の協力あるいは黙認がなければ談合は成り立たないし、鶴の一声の存在こそ、談合事件の肝である。談合とは一件一件が孤立した犯罪ではない。グループによって連綿と行われる性質をもった犯罪である。
 既存権というものがある。談合によって落札を約束されている権利のこと。この既存権は貸し出されることもある。
 私もオンブズマン運動にかかわって、談合を裁判で追及したことがあります。しかし、刑事事件になっていないときに談合の成立を裁判所で立証することは不可能に等しいのが現実です。裁判官が認めようとしないからです。
 日本経団連は高級官僚が大企業へ天下りするのが談合の原因のひとつだと認めて、天下りを受けいれないと高らかに宣言しました。ところが、その宣言はわずか数日で取り消されてしまいました。鶴の一声を求める企業の黒い体質は、それほど根深いものがあります。
 この本は談合することを仕事のひとつとしていた担当者が匿名ながら、自分の体験を赤裸々に暴いたものです。日本での談合が横行しており、まさに日常茶飯事であること、その根絶はやる気になればそう難しいことではないことが明らかにされています。

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2005年7月20日

誰がダニエル・パールを殺したか?

著者:ベルナール・アンリ・レヴィ、出版社:NHK出版
 アメリカの「ウォールストリート・ジャーナル」紙の記者がパキスタンのカラチで誘拐され首を切断されました(2002年1月31日)。殺されたダニエル・パールはユダヤ系アメリカ人。この事件の真相をフランス人が現地に飛んで追いかけました。
 そのジャーナリストはボディガードをなぜつけなかったのかと問う人がいる。しかし、ガンマンに護衛されて出歩くジャーナリストとはいったい何者なのか。第一、そんな用心をしたら、かえって目立ち、自分の存在を悪意ある人々に知らせるだけ。第二に、護衛は1日10ドルで雇われた退役警官だ。本当に危なくなったとき、彼らは自分の身を盾にしてまで守ってくれるだろうか。誘拐にあったら、決して逃げようとしてはいけない。これが絶対の規則だ。
 首謀者として捕まったオマル・シェイクは実は1973年にロンドンで生まれた。ロンドン大学を優秀な成績で卒業している。だからパキスタン人というより、イギリス人なのだ。それなのに、なぜ、熱烈なジハード戦士になったのか・・・。つい先日、ロンドンで列車・バスの同時爆破テロが起きました。自爆犯人たちはいずれもイギリス生まれのパキスタン人だと報道されています。本件とまったく同じです。
 カラチに来たジャーナリストが守るべき規則。ホテルの正面の部屋には泊まらない。道でタクシーを拾わない。核開発計画とイスラム教については絶対に話をしない。市場、映画館、雑踏、一般的な公共の場所へ出かけるときは細心の注意を払う。出かけるときには、信頼のおける人物にどこへ行くか何時にどうやって帰るかを知らせておく。公園は麻薬中毒者と犯罪者のたまり場になっている。
 アルカイダには現代的で教養のある若者がたくさんいる。彼らは西洋の金融システムの利用の仕方も弱点もよく知っている。9.11の前にアメリカン航空の株を空売りし、値が下がったところで買い戻して利益をあげるなんて朝飯前のこと。アルカイダとは、もうずいぶん前から自分たちだけの家族経営の小企業ではない。れっきとした巨大企業、いやマフィアである。世界中にひろがった資金強奪の巨大組織網なのだ。
 サウジアラビアの進歩的な弁護士は、イスラム主義はビジネスになっているという。アッラーとは無関係に、富と権力への近道だから、みんながイスラム主義に走る。
 アルカイダの活動報酬は、1回の作戦について2500〜3000ルピー(1ルピーは1.8円)。手榴弾を投げる報酬は1個につき150ルピー(結果がよければ、別に特別手当がつく)。インド軍将校へのテロ行為なら相手の階級に応じて1万から33万ルピー。自爆テロ実行犯にも報酬がある。家族にまずまずの生活環境を保障できるようにする。とりあえず5000ルピー、ときに1万ルピーが渡され、あとは契約にもとづいた生活環境が終身保障される。
 いかにもフランス人の書いたものという感じの思索的な文体でしたが、内容はテロの温床には根深いものがあることを明らかにするものです。

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2005年7月19日

スペースシャトルの落日

著者:松浦晋也、出版社:エクスナレッジ
 スペースシャトルがはじめて飛んだのは今から24年前、1981年4月12日でした。あのころは、近い将来、宇宙にどんどん人間が出ていき、宇宙ステーションでは野菜の栽培もできるようになるだろうと思っていました。
 たしかに、今、フツーの大金持ちが宇宙旅行を楽しめるようにはなりました。秋山さんのときにはTBSが何億円払ったのでしたっけ・・・。アメリカと南アフリカの実業家が最近、それぞれ21億円支払って宇宙観光を楽しみました。でも、それはアメリカのスペースシャトルではなく、ロシアのソユーズ宇宙船です。今、地球をまわる軌道上にいるのはロシアのソユーズだけです。
 では、スペースシャトルの方は・・・。近く日本人の3人目の飛行士が乗ることになっていますが、もう5年以上も待たされています。
 スペースシャトルは全部で6機つくられ、1機は既に博物館入りし、事故を起こしたコロンビアとチャレンジャーは機体がありません。現役で運用可能なのは3機ですが、スペースシャトルの製造ラインは1992年に既に閉鎖されています。本当は、スペースシャトルは年間50回うち上げる計画だったのです・・・。
 著者はスペースシャトルは宇宙船として巨大な失敗作であると断言しています。設計コンセプトがそもそも間違っていたのに、アメリカは間違いと無理を重ねました。そのあおりを日本はくらっているといいます。同じように、宇宙ステーション計画も、アメリカは既に投げ出しているのに、日本はまだそれにしがみつこうとしているのです。
 たとえば、スペースシャトルには翼がついていますが、この翼も有害無益だったとして、その誤りを論証しています。もちろん、科学的なことは私にはよく分かりませんが、なるほどと思わせる内容です。
 アメリカのニクソン大統領がスペースシャトルを採用したとき、重要な理由として、ソ連の軍事衛星を捕獲できることがあったそうです。とんだ目的です。24年間も宇宙開発に遅れをもたらしたアメリカの責任は重大だという指摘には納得できるものがあります。
 ところで、アポロ13号は本当に月面に降りたったのでしょうか。あれもアメリカの大ペテンだったという本を読んで、なるほどおかしな写真がたくさんあると私も思いました。その後、どうなっているのか、この論争は決着ついたのか、誰かトラックバックで教えてください。
 ペテンといえば、9.11のペンタゴンへの衝突映像にジャンボ飛行機の残骸がひとつも映っていないのはおかしいというアメリカのテレビ番組をビデオで見ました。こちらも本当に奇妙な映像です。世の中はペテンだらけのようで、何を信じていいのか分からなくなります。

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2005年7月15日

代官の日常生活

著者:西沢淳男、出版社:講談社選書メチエ
 代官というと、すぐ水戸黄門に出てくる強欲な悪代官というイメージを連想します。たしかに、そのような悪代官もいなかったわけではないようですが、多くは旗本のなかでも最低ランクの官僚として真面目に仕事をしていました。いえ、それどころか地元民から神様のようにあがめられ顕彰碑を建ててもらった代官も多かったのです。
 代官採用試験で、そろばんをつかった割り算の計算問題が出されたというのが紹介されています。57万3000石を1俵13斗7升入りに換算すると何万何千俵になるかという問題です。今の電卓なら簡単ですが、これをそろばんでやると、ちょっと面倒です。
 代官職のほとんどは世襲ではなかったとのことです。本人のみというのが81%もあります。それはうまみがなかったどころか、出費が大変だったということです。代官になるには2000両もかかり、部下に悪い者がいたら、借金をかかえてしまい、下手すると、島流しになってしまうというのです。ですから、それなりの能力が求められるので、世襲は無理でした。
 江戸時代の中間管理職としての代官の日常生活を垣間見る事のできる本です。

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肉弾

著者:櫻井忠温、出版社:明元社
 1904年(ひとつくれよと露にゲンコと覚えました。絶対に忘れられません)の日露戦争から100年がたち、その記念出版として、明治39年に出版されてベストセラーとなった戦記を復刊した本です。
 日本軍が旅順の周辺に難攻不落の要塞をかまえていたロシア軍に果敢に攻めこんでいきますが、日本軍にないロシアの最新式機関砲にバタバタと日本兵がなぎ倒されていく悲惨な様子が描かれています。士気高揚の戦記文学といっても、戦場の悲惨がかなり描かれているところに特徴があります。木口小平は死んでもラッパを離しませんでした、というだけではありません。どんなに肉弾を費やしても、ロシア軍の堅牢無比を誇る敵塁に対しては効果を奏せないで終わったのです。また、ロシア軍の兵士が頑強に敢然として戦い、日本軍にしぶとく抵抗したことも紹介されています。
 このところ母の伝記を調べている関係もあって、日露戦争について調べているのです。

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北条政子

著者:関 幸彦、出版社:ミネルヴァ書房
 源頼朝の妻であった北条政子の一生をたどった本です。昔から日本の女性は弱かったどころか、男どもをしたがえてきたことを象徴する女性のひとりとしてあまりにも有名です。
 室町時代の一条兼良(かねら)は「樵談治要」のなかで、「この日本国を姫氏国(ひめうじこく)といい、女の治むべき国という」とし、北条政子を「天下の道理」に明るいと賞賛しています。
 また、僧慈円の「愚管抄」には、「女人(にょにん)入眼(じゅがん)の日本国、いよいまことなりけと言うべきではないか」として、女性が力をもって日本を動かしていることを賛嘆しています。このときの女性は北条政子と、その協議相手として登場する後鳥羽上皇の側近として大きな権勢を誇っていた藤原兼子(けんし)でした。
 のちに後鳥羽上皇が北条義時の追討の宣旨を下した承久の乱のとき、北条政子は並みいる武将を前に大演説をぶって、御家人たちを奮いたたせたというのは、あまりに有名な話です。御家人たちに頼朝が幕府を開設する前のみじめな生活を思い出させ、そんな昔に戻ってよいのかとたきつけたのです。すごい演説です。

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悲劇トロイア炎上

著者:アネッロ・パウリッツ、出版社:而立書房
 16世紀のイタリア、ナポリのアネッロ・パウリッツによる劇「トロイア炎上」の台本が発掘され、本になったものです。イタリアの古書店の通販カタログで発見した日本人学者が10数年かけて解読・翻訳しました。
 私も映画「トロイ」を最近みていなければ、この本を読むことはなかったでしょう。
 トロイの木馬を疑うことなく城内に導き入れたことによって、トロイは一夜にして滅び去ります。男は子どもに至るまでみなごろしされ、女はすべて奴隷としてギリシアの地へ連れ去られてしまうのです。
 ギリシアの悲劇の台本として、しばし古典を味わうことができました。

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2005年7月14日

田んぼの虫の言い分

著者:むさしの里山研究会、出版社:農文協人間選書 
 英語でトンボをドラゴンフライと呼ぶ。ドラゴン(龍)はキリスト教ではサタンを意味するので、欧米人はトンボを忌み嫌う人が多い。ところが、日本人は世界でもたぐいまれなトンボ好きの民族だ。トンボ屋と呼ばれる愛好家は日本全国に300人はいる。
 たしかに、トンボは子どものころ大の仲良し昆虫でした。ギンヤンマのトンボ釣りが紹介されています。残念ながら私はやったことがありません。オニヤンマを捕まえたことは何度もあるのですが・・・。
 ギンヤンマは、メスと糸でくくり、おとりとしてオスの前に見せびらかすと、オスはメスにつるんで、容易につかまえることができる。これはギンヤンマの弱点を利用したもの。メスをみると、オスの警戒心は消え去り、性欲がむき出しになって、メスにとびかかってしまう。そこで捕まえられるわけ。でも、メスは一体どうやって捕まえるのか・・・。そんなときには、オスをメスのように見せかける。オスは腹部の付け根が水色をしているが、メスは緑色。そこで、オスの腹部を緑色に塗り替えて、メスに見せかけて、おとりに使うという仕掛け。ふーん、そうなんだー・・・、と思いました。
 わが家の庭にも、夏の終わりごろになるとたくさんのアキアカネが飛びかいます。そうです。赤いトンボ、アカトンボのことです。アキアカネが庭で飛ぶようになると、もうすぐ、夏も終わるんだなと思うのです。
 三面コンクリートをつかった直線的な深い側溝ではホタルは育ちません。今年は6月に雨が少なく、風の強い日が少なかったせいか、ホタルのあたり年でした。ホタルの乱舞する光景は、いつ見ても幻想的で、夢見る心地になります。
 大量の農薬によって多くの昆虫が姿を消しました。メダカの姿が見えなくなり、タガメが劇的に減ってしまいまった。またエサになるドジョウなどが減ったことから、サギ類も大幅に減少しました。わが家近くの田んぼにはアオサギがよくやって来ますが、ずい分減った気がします。山里に住んでいますから、ウグイスの鳴き声を聞くことができます。豊かな自然をたくさん子孫に伝え残したいものです。
 わが家は梅雨になると、緑色のアマガエルがなぜか門柱の上にあがっています。カエルも高いところから世の中を見たいのでしょうか。庭にカエルがたくさんいますので、当然のことながらヘビもいます。ちょっと気味が悪いのですが、わが家の守り神として、平和的に共存しています。
 今年は、わが家のすぐ下の田んぼが田植えされずに放置されてしまいました。いつかそうなると心配していましたが、ついに現実になってしまいました。60代半ばすぎのおじさんが頑張って米づくりをしてきましたので、いつも陰ながら応援していました。田んぼに水がはられていると、涼しさが違います。わが家にはクーラーがありません。いつも風通しを良くするだけで夏を過ごしてきました。文字どおりの水田になると、まってましたとばかりに蛙たちの大合唱が始まります。うるさいほどの鳴き声ですが、それもセミの声と同じで、いつのまにか慣れてしまいます。

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2005年7月13日

いつか一緒にパリに行こう

著者:辻 仁成、出版社:光文社
 著者は今パリに住んでいます。奥さんはパリで出産しました。
 フランスの出産は、麻酔をつかう無痛分娩だ。背中の硬膜外腔に直接針を刺し、ずっと麻酔の管を刺したままにしている。えーっ、少し怖いみたい・・・。
 フランスは今、空前の出産ブーム。高齢出産も多い。働く女性の産休制体は充実している。初産なら産前6週間、産後10週間。双子なら36週間の産休が認められていて、ほかに子どもがいたら、その数によって産休は倍々になっていく。夫にも、出産時3日間、生後4ヶ月以内に最大で連続11日間の産休が認められている。すごーい・・・。
 労働時間は週35時間。週休2日で1日7時間。残業なんて、とんでもない(といっても、超エリートは日本人と同じでモーレツに働いているそうです)。一生は一度しかなく、限りなく短い。精一杯楽しまなければ損というもの。なかなか、割り切れません・・・。
 パリは成熟した大人の街。自由というのは、まず他人を気にしないこと。自分の人生を謳歌すること。パリの人々は他人を気にしない。だから、ゴシップというのもはびこらない。うーん、そうですね・・・。ミッテラン大統領が愛人のことを記者から追及されて、それがどうした、と反問して沙汰やみになった話は有名です。
 バゲットは、表面が薄焼き煎餅のようにカリッとしているくせに、中がしっとりと柔らかく、もちもちしているものがいい。この相反する歯ごたえに、美味しさの秘密がある。さらに適度の塩加減と甘みが加わると、最高だ。
 そうなんです。私も10年前にカルチェラタンのプチホテルに泊まり、毎朝バゲットとカフェオレの朝食を楽しみました。表面がカリッとした固さで中味はほんわり柔らかく、絶妙の塩味がきいて、少しだけ甘みを感じさせるバゲットでした。
 プチホテルから歩いて10分も足らずのところにノートルダムの大聖堂があります。着いた日の夕方は、その近くのいかにも観光客向けのレストランでエスカルゴを食べました。おのぼりさんはおのぼりさんらしくと言いながら・・・。
 著者はフランスに住みはじめて1年たち、まだフランス語には悪戦苦闘中のようです。でも、言葉をもてば旅が変わると言っています。私もそのとおりだと思います。
 幸いなことに、私は日常会話レベルの簡単なフランス語ならなんとか会話することができます。プチホテルも私が日本からFAXで予約しましたし、レストラン(ビストロ)の予約も電話ですませました。
 かくいう私のフランス語歴は、なんと30年以上なのです。大学で第二外国語としてフランス語を選択して以来です。大学に入れることになったとき、私は迷わずフランス語を選びました。美味しいフランス料理がメニューを読めて食べられるようになること、フランス美人と親密な関係になること。この2つが理由でした。前者は達成しましたが、後者は残念ながら、可能性の手がかりすらありません。ですから、著者がビーズの挨拶したことを自慢げに書いているのがうらやましくてなりません。えっ、ビーズって何か、ですか。そう、頬と頬とをくっつけたり、左右の頬に口をつけて交互にチュッチュッとする挨拶のことです。フランス映画にはいつも出てきます。
 弁護士になって以来、NHKのラジオ講座を聴いています。頭がバカにならないようにと思って始めました。フランス語って、いつか分かるようになるのかなと、我ながら半信半疑でした。はじめのうちは、頭の上をスズメのさえずりが通り過ぎていくという感じでした。でも、今は違います。車のなかでフランス語のニュース(CNNみたいなものです)を聞いて、なんとか単語レベルでとらえられるようにまではなりました。仏検にも、10年来挑戦しています。準一級にも合格することができました。目下、一級にチャレンジしています。そのため、合格したあとも準一級は受け続けています。毎今年もペーパーテストは合格最低点の73点で(120点満点)でギリギリ合格しました。あとは口頭試問ですが、まったく自信がありません。毎週土曜日には、福岡の日仏学館でフランス人の先生による上級会話クラスに参加しています。いつも思うように話せず、劣等生の悲哀を味わっています。でもでも、いつか一緒にパリに行こうです。どうですか、皆さんも、ご一緒に・・・。

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2005年7月12日

宮大工棟梁・西岡常一、口伝の重み

著者:西岡常一、出版社:日本経済新聞社
 著者は10年も前に亡くなられましたが、法隆寺を修理し、薬師寺西塔を再建した宮大工として有名です。私は、これまでの何冊か著者の本を読みましたが、改めて深い感銘を受けました。
 宮大工の祖父は、著者が小学校を卒業して進路を考えているとき、農学校へ行くことを強くすすめました。父の方は、設計図を描ける大工になった方がよいという考えから、工業学校をすすめたのですが・・・。結局、祖父の主張が通りました。
 人間も木も草も、みんな土から育つ。宮大工はまず土のことを学んで、土をよく知らんといかん。土を知ってはじめて、そこから育った木のことが分かるのや、というのです。
 著者は、農学校の学生のとき1反半の田をまかされました。秋の収穫量は3石でした。学年100人中8位の成績です。ところが、祖父はおかしいと批判しました。1反半ならフツーの農民は4石5斗とれる。稲をつくりながら、稲と話し合いをせず、本と話し合っていたからだ。稲と話せるなら、いま稲が水を欲しがっているのか、こんな肥料をほしがっているのか分かる。本と話したから、稲が言うことをきかなかったんだ・・・。これって、すごい言葉ですよね。私も庭で花や野菜を育てていますし、声をかけてはいるのですが。対話しているってところまではいきません。ですから、よく失敗してしまいます。
 木というものは、土の性(さが)によって質が決まる。山のどこに生えているかで癖が生まれる。峠の木か、谷の木か。一目見て分かるようにならなあかん。
 堂塔の建立には木を買わず、山を買え。吉野の木、木曾の木と、あちこち混ぜてはいかん。同じ環境の木で組んでいく。
 木には陽おもてと陽うらがある。南側が陽おもてで、木は南東に向かって枝を伸ばすから、節が多く、木目は粗い。陽うらの方が木目はきれいに見える。日光に慣れていない陽うらを南にして柱に据えたりすると、乾燥しやすく、風化の速度ははやくなる。太陽にいわば訓練されている部分を、陽のさす方向におく。陽おもての方が木はかたい。
 山の頂上、中腹、斜面、南か北か、風の強弱、密林か疎林かで、それぞれに木質は異なる。そうした木の性(しょう)も考慮に入れて使い分け、組みあわす。
 木材を見直すと言いながら、外国の木の資源までつぶしてしまってはならない。木の文化を語るなら、まず山を緑にする。それも早く太くの造林ではなく、山全体に自然のままの強い木を育てること。木を生かすには、自然を生かさねばならず、自然を生かすには、自然の中で生きようとする人間の心がなくてはならない。その心とは、永遠なるものへの思いである。
 著者の2人の息子さんはいずれも後を継いでいません。しかし、弟子はおられます。
 棟梁は自分で仕事をしたらいけない。大きな仕事は、職人に仕事をさせて、それを見ているのが棟梁だ。自分で仕事をしたら、職人として、そこだけを見るようになる。もっと広く仕事全体を見るものなんだ。
 うーん、そうかー、そうなんだー・・・。つくづく感心してしましました。職人の芸(仕事)のすごさ、奥深さをつくづく感じさせる本です。

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パレスチナから報告します

著者:アシラ・ハス、出版社:筑摩書房
 パレスチナに住む生粋のユダヤ人女性ジャーナリストのレポートを本にまとめたものです。情景描写が生々しく、いかにも不条理な暴力がパレスチナでは日常的となっている様子が報じられていて、胸をうちます。
 イスラエルの兵役制度は、男子が18歳から29歳までに3年間、女子は18歳から 26歳まで21ヶ月の兵役義務がある。ただし、ユダヤ教徒は義務であっても、キリスト教徒とイスラム教徒は志願制。
 多勢のパレスチナ人の若者が自爆攻撃を実行したが、さらに何十人もの若者が実行者になる順番を待っている。だから自爆テロを終わらせたいなら、なぜ、多くのパレスチナ人がそれを支持するかという問いをたてねばならない。人々の支持がなければ、パレスチナ人の組織はあえて自爆攻撃者を送り出し、予想されるイスラエル側の規模拡大につながる応対を招くようなことはしないはずだ。
 つまり、できる限り迅速に、より大きな武力をつかって、より多く殺して苦しめることが、相手に教訓を与え、相手の計画を未然に防ぐことになるという概念は完全に間違っている。
 うーん、そうなんですよね。私も本当にそう思います。
 日本はパレスチナの大きな援助国。しかし、パレスチナ当局に対する援助金は、結果的にイスラエルの占領を補助している。たとえば、イスラエルが破壊したパレスチナの道路や建物を修復するために援助資金が使われる。日本の援助はパレスチナ社会の発展につかわれるのではなく、イスラエルの占領が引き起こしている損害の補填につかわれている。
 ユダヤ人が軍事的な優位だけが自分たちの将来を保障することができると信じ続けていたら、ユダヤ人社会の将来にとっても、とても危険なことだ。
 ユダヤ人であることを強く自覚しているジャーナリストの言葉だけに、すごい重味のある言葉だと思いました。

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2005年7月 8日

荒蝦夷(あらえみし)

著者:熊谷達也、出版社:平凡社
 平安時代の東北地方は、まだ朝廷が完全におさえきってはいませんでした。坂上田村麻呂が活躍する前のことです。
 高橋克彦の「火怨」では、阿弖流為(あてるい)が主人公となって活躍しますが、その一世代前の話として面白く読みました。蝦夷(えみし)が大和の支配下に入りつつある状況で、なんとか蝦夷の独立性をたもとうとするのですが、大和の大軍の前に徐々に追いつめられていきます。しかし、そんななかでも、蝦夷の意地を示そうとする部族がいるわけです。日本は大和朝廷ひとつで初めからまとまっていたわけではなかったことを再認識させられます。

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極限環境の生命

著者:D・A・ワートン、出版社:シュプリンガーフェアラーク東京
 ラクダは15日間、水を飲まずにいることができる。全体重の30%が減ってしまうほどの脱水状態にも耐えられる。そのかわりラクダが水を飲むときはとてつもなく大量に摂取する。200リットルを数時間で飲む。バスタブ1杯分を数分間で飲み干してしまう。急に水分が血流に入ると、そのための浸透圧ストレスによって多くの動物の赤血球は破裂してしまうが、ラクダの赤血球は大丈夫。ラクダは体温を変動させることによって、水分の蒸発を減らしている。
 海底から350度という高温のお湯が噴き出している。その熱水の噴出口付近は、予想に反して生物にみちあふれている。超好熱菌がいるのだ。
 うーん、生命って地球上のいたるところに、まさに無数に生きているんですね・・・。45億年前に地球は誕生し、それから10億年すぎて生命が誕生しました。その点は化石があるので、証明は可能。38億年前に生命が誕生したという状況証拠もあるそうです。
 うーん、生命っていったい何だろう・・・。生命の不思議さをチョッピリだけ実感させられました。

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太平洋戦争と上海のユダヤ難民

著者:丸山直起、出版社:法政大学出版局
 センポ・スギハラとして名高い、リトアニアの杉原千畝・日本総領事が発行したビザで助かったユダヤ人の流れついた先のひとつが上海でした。上海には日本軍が占領した当時、2万人をこえるユダヤ人がいて租界をつくっていました。
 日本軍がユダヤ人排斥に走らなかった理由のひとつに、満州にユダヤ資本を導入しようという狙いがあったことが指摘されています。満州の関東軍参謀長だった東条英機もその趣旨の通達を出しているそうです。日本軍部は日独伊の三国同盟を結びつつも、ドイツの言いなりにはならず、ユダヤ人を排斥しませんでした。それは彼らなりの思惑があったからです。ただ、満州にユダヤ人の入植地をつくろうという日本側のプランはユダヤ人側から拒絶されました。日本軍の占領地という不安定なところに入植しても、将来性がないとユダヤ人側は判断したのです。
 1941年に上海にいたドイツ人は2万5000人。そのうち2万2000人がユダヤ人で、ナチ党員はわずか300人程度でした。日本とドイツの関係がぎくしゃくした原因のひとつがスパイとして摘発されたゾルゲ事件でした。ゾルゲ事件については何冊も本を読みましたが、ゾルゲの使命感と有能さには感嘆すべきものがあります。
 上海にユダヤ人を居住する区域が指定されましたが、そこには中国人やロシア人も住んでおり、いわゆるゲットーとか強制収容所ではありません。通行証があれば外出もできました。ヨーロッパ各地から流れてきたユダヤ人たちは、逆境に耐えつつ、音楽や演劇コミュニティの活動にうちこむ余裕をもち、かえってユダヤ人としての自覚を高めていくたくましさをもっていました。戦後、イスラエルの要人となった人物を何人も輩出しているのです。さすがはユダヤ人です。

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2005年7月 7日

失われた革命

著者:ピート・ダニエル、出版社:青土社
 1950年代のアメリカ南部を深くえぐり出した快作です。520頁もの厚さですが、ぐんぐん引きずられるようにして一気に読んでしまいました。オビの文章を紹介します。
 資本主義の波に翻弄される農民たち、プレスリーに象徴される黒人音楽と白人文化の融合の可能性、公民権運動の台頭、人種隔離主義者の反撃、そして人種共栄をめぐるリトルロック事件。混沌と激変の狭間でいくども訪れた改革・融和のチャンスがことごとく失われてしまったのはなぜか・・・。
 この疑問を見事に解明していく文章には胸のすく思いがあり、同時にアメリカ社会の病根の深さに暗澹たる思いにもかられます。では、少し内容を紹介しましょう。
 公民権運動は、白人を困惑させ、アフリカ系アメリカ人(この本では黒人とはいいません)に希望を与えた。白人の多くは人種隔離や宗教や男女観などにみられるゆがんだ歴史観を受け継いでいた。黒人労働者と白人労働者とを統合しようとする動きは戦後すぐに挫折し、共産主義(アカ)のレッテルを貼られて粉砕されてしまった。小心な聖職者たちは関わりあいを恐れてしりごみし、優柔不断な白人リベラルは、冷酷非道な人種隔離主義者にまったく太刀打ちできなかった。
 人種差別の壁に体当たりしたのは南部に定住した北部人たち。彼らは黒人に関する南部の伝統を無視した。彼らは黒人に対して平気で敬称を用い、高い給料を支払い、平等の権利を支援した。
 ところが、黒人男性と白人女性との結婚は、昔から白人の心に埋めこまれた恐るべき悪夢だった。共産主義者が陰で人種統合の糸を操っているのに違いないと考えていた。
 今の日本でもまだアカ嫌いは少なからず残っていますが、アメリカの方がもっと極端のようです。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)は私も読みましたが、大々的に農薬をつかって引き起こされた恐るべき自然環境破壊には背筋も凍るほどの戦慄を覚えました。この本によると、南部農業は大量の化学薬品をつかい、巨大農場での単一農作物栽培、農耕機械によって支えられていたというのです。薬品会社が安全だと誇大広告し、それを農務省の安全宣言が促進していました。
 空中農薬散布機の墜落死亡事故が55件もあり、そのうち7件はパイロットが毒性農薬を吸引し、手がしびれ吐き気がして墜落したというのです。すさまじいものです。それでも国は薬品会社と一緒になって農薬の危険性を隠しつづけました。
 私は、庭でまったく農薬をつかいません。ですから、花も葉も、すぐに虫喰い常態になってしまいます。それが自然の状態なのです。
 1950年代のアメリカ南部に流行したのが、南部音楽とカーレーシングです。自動車レースは労働者階級の究極のスポーツでした。月曜日から金曜日まではおとなしく飼いならされているかに見える彼らも、週末の行事ともなれば、大いに羽目をはずすのだった。その後、世界的評価を得てからは商品化され、商業主義が下層文化をねじ曲げてしまった。
 人種隔離の壁をうち崩す役割を果たしたのは、地域のリーダーではなく、ミュージシャンやスポーツ選手たちだった。
 ロックンロールと同様に、黒人パフォーマンスが広い範囲で人々に受容されるようになったこと、とくに白人女性に歓迎された事実は、白人人種隔離主義者のイデオロギーと真っ向から衝突した。
 「どこへ行っても黒人ばかりだ。テレビ・ショー、野球、フットボール、ボクシング、まったく切りがない」と白人たちは嘆いた。電話回線を黒人と白人とで別のものに分けるよう申し入れたという。こんな、まるでバカげたことが横行していました。
 農場の機械化、化学薬品、それに南部を白色化しようとする野望が三つどもえになり、黒人農場主の数を激減させた。1940年には15万9000人だった黒人農場主は、1964年には3万8000人に落ち込んだ。
 白人は、子育てのときには、黒人女性の手を借りて、黒人の影響力が及ぶままにしておきながら、公共の乗り物や法廷などで、人種の純潔性を保つという名目で人種隔離を実行しようとする。これは、いかにも不合理だ。
 この本の白眉は、リトルロックの9人の生徒の話です。1956年9月、セントラル・ハイスクールに9人の黒人生徒が入学した。白人人種隔離主義者の群衆が学校の外に集まった。アイゼンハワー大統領は、ついに連邦軍を出動させた。
 校内でも人種隔離主義の生徒たちは、黒人生徒に嫌がらせをし、黒人生徒と仲良くする白人生徒を脅迫した。9人の黒人生徒のほとんどがきちんと中産階級か労働者階級の家庭の子どもだった。9人の生徒たちは、校内で一部の白人生徒たちから毎日ひどいいじめにあった。平手うち、小突き、にらみ、「クロンボはさっさと出ていけ」とトイレの鏡に口紅で書かれていた。9人は、やられてもやり返さず、じっと虐待に耐えた。女子生徒が階段から突き落とされたが、犯人の女子生徒は「私は本で彼女を押しただけ。彼女には指一本さわっちゃいないから」と主張した。スカートは昼休みにインクをまき散らされ、台なしになった。昼食時、熱いスープが肩にぶっかけられた。彼らはひたすら耐え、白人の権力に挑戦した。
 そして、全員ではなかったが、無事にハイスクールを卒業した。卒業式は何の妨害も受けなかった。人種隔離主義者は敗北した。
 40年後、9人の生徒たちをふくめて関係者が一同に再会した。そのとき、当時いじめの先頭に立っていた女子生徒も謝罪をして参加した。
 私は、この一連の出来事を知って、本当に9人の生徒たちの勇気に改めて心から敬意を表したいと思いました。といっても、彼らも今では60代前半です。つまり私よりは年長なのです。未来は青年のもの。青年が動けば世の中は変わる。こんな言葉を、私たちは 20歳前後ころによくつかっていました。久しぶりに思い出したことでした。
 この本の最後に「ミシシッピーバーニング」として映画にもなった3人のボランティア(うち2人が白人)が殺害された事件が紹介されています。つい最近、その犯人のひとりの裁判が始まったという記事を読みました。アメリカの深南部では、まだまだ差別がなくなったわけではないことを思い知らされるニュースでした。

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2005年7月 6日

イラクからの報告

著者:江川紹子、出版社:小学館文庫
 写真家の森住卓(たかし)氏の写真が満載の文庫本です。コンパクトですし、590円という安さですから、ぜひ買って読んでみてください。
 こうやっておすすめするのも、森住卓氏をお招きして講演会をもったからです。500人も入る会場を借りましたので、参加者100人ではみっともないので、依頼者の方に頭を下げて参加をお願いしました。当日は、なんとか400人近くの参加者があって格好がつき、森住氏の話を安心して聴くことができました。
 森住氏は、イラクの人々はとても親切だし、日本人を大歓迎してくれたと語りました。なぜ、アメリカ軍の一員として自衛隊を派遣したのか、イラクの人には理解できないのです。アメリカ軍がイラク侵略戦争で大量の劣化ウラン弾をつかったため、大量の奇形児がイラクで生まれるようになりました。無脳症の赤ちゃんや水頭症の赤ちゃんの写真は見るに耐えないものがあります。でも、あなたの写真にとってもらうために生まれてきたようなものだから、ぜひ撮ってくださいと看病していた医師から言われて森住氏がとった写真です。私たちも目を逸らしてはいけないと思いました。
 この本によると、イラクの公共工事を日本企業がたくさん手がけて、信用が厚かったということです。総合病院13ヶ所、高速道路126キロ、下水道、大学8校などです。
 130頁ほどの薄っぺらな文庫本ですので、簡単に読めます。イラクのことを知るきっかけになりますので、ぜひ読んでみてください。

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2005年7月 5日

ぼくと会社とにっぽん再生

著者:日経産業新聞、出版社:日本経済新聞社
 第一世代のIT起業家として、アスキーの西社長は個人資産200億円を有していました。なんとなく石垣島の近くの島を数億円で買い、自家用ヘリコプターをもち、3000万円の超高級車を乗りまわし、ホテルオークラを定宿としていました。銀座で、1晩にロマネコンティを7本あけました・・・。ええーっ、ロマネコンティ。あの夢みるしかない超高級ワインを7本も・・・。ため息が出ます。
 しかし、西元社長は、それほど楽しくはなかった。そんな生活には何の意味もない、そう回顧しています。いまは埼玉で静かに大学教授をしているそうです。そういう人生もあるんですね・・・。
 この本を読んでもっとも教えられたことは、人材派遣会社は日本をダメにする、ということです。
 2004年3月、労働者派遣法が改正され、施行された。それまでは製造現場への人材派遣は禁止されていた。しかし、給与水準の高い正社員だけでは海外企業とのコスト競争をたたかえない。耐えかねた企業が続々と生産拠点を中国などに移すなかで、日本に工場を残すための「裏技」として1990年代に業務請負が急増した。
 メーカーの正社員の給与を時給にすると2000円。これに健康保険などのコストを加えると会社の負担は3000円となる。ところが、同じ仕事を請負会社にまわすと、1300円ですむ。労働者に支払われるのは1100円。ともかく、会社負担は3分の1ですむ。しかも、生産量の変動にあわせて、現場の人員は自由に増減できる。
 しかし、強い副作用がある。その一つは、現場の技能が伝承されないこと、もう一つは、安全確保が危ぶまれることだ。いくら経費を削っても、事故が起きれば、コストは一気に膨らむ。安全管理こそが結果的には最大の経費抑制となる。顔も名前も覚えられないほど頻繁に入れ替わる請負会社の社員がいると、職場としての一体感をもてず、現場感覚を教えようがない。業務請負など、協力会社に対して危険回避の情報伝達を簡素化している工場ほど、事故を起こしやすい。
 ところで、請負会社は神奈川県だけでも2000社もあり、生き残り競争は熾烈だ。
 今の30代、40代の労働者はヘトヘト。団塊の世代が定年を迎える2007年まであと2年。中堅層にエネルギーを充填しておかないと、団塊世代が抜けたあとが大変だ。
 強い会社は、ベテラン、中堅、若手のバランスがいい。
 正社員は同じ職場の請負社員とほとんど口をきかない。仲が悪いのではない。不用意に仕事の話をすると、正社員が請負社員に指示を出したことになり、メーカーが請負社員に直接指示を出す違法な「偽装請負」とみなされるからだ。
 メーカーの社員が請負で働く人に作業の指示を出し、残業も命じるなど、人材派遣でしか許されない事項をハローワークの窓口担当者が見つけると、「これは請負ではなく、違法派遣です」と求人をはねつける。
 請負や派遣で働く人が将来への希望をもてる仕組みが何よりも重要だ。メーカーが、いつでも解雇できる安価な労働とみているうちは、働く人の展望は開けない。100万人とされる請負労働者が将来の展望ももてずに働く現状は正常なのか。今のままでは、日本の製造業は衰退してしまう・・・。
 私の身近な人にも人材派遣会社、請負会社で働く人が本当に増えました。技能の蓄積がなく、安全面の配慮もないまま、ただ安くつかえればいいという発想の企業があまりにも多い気がします。
 どうでしょうか、みなさんのまわりは・・・?

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2005年7月 4日

歎異抄論釈

著者:佐藤正英、出版社:青土社
 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
 私は、この言葉に初めて出会ったとき、驚いてしまいました。親鸞の言葉は私たちを戸惑わせるところがあるとこの本に書かれていますが、まさに、そのとおりです。この本には、次のように解説されています。
 世の人は通常、悪人でさえも西方浄土に往き生まれる。まして、どうして善人が往き生まれないであろうかという。しかし、これは阿弥陀仏の誓願の趣旨に反している。というのは、自己のはたらきによって善の行為を実践するひとは、阿弥陀仏の絶対知のはたらきにひたすら身を委ねる心が欠けている故に、阿弥陀仏の誓願の対象にふさわしくない。煩悩をもっている私たちが、どのような善の行為によっても生死流転の境界を離れることができないのを大いにあわれみ、悲しんで誓願を起こされた阿弥陀仏の本来の意思は、悪人が絶対知を体得して仏になるためであるから、阿弥陀仏の誓願のはたらきに身を委ねる悪人こそ、まさしく西方浄土に往き生まれる存在なのである。
 ところで、この言葉は、実は、親鸞の師である法然のものなんだそうです。「法然上人伝記」に、善人尚ほ以て往生す、況んや悪人をや、とあるのです。親鸞は師である法然の言葉を、それと断りなしに弟子に語り伝えたのだと著者は言います。もちろん、そのこと自体に何の問題もありません。でも、やっぱり、ちょっと先ほどの解説は難しいですよね。善人とか悪人の定義は、何回読み返してもよく分かりません。
 善人とは自力作善のひと、ひとえに他力を頼む心欠けたる人、つまり阿弥陀仏の誓願に全面的に身を委ねようとはしない人のこと。悪人とは、煩悩具足のわれら、つまり、他力を頼みたてまつる悪人のこと、というのです。そして、悪人とは、西方浄土に往き生まれることの正機ではあるが、正因ではない。真にして実なる浄土に往き生まれる正因は、不思議の仏智を信ずること、つまり信にある、というのです。
 善人は、すべて他力を信じていないひとであって、他力を信じている善人はありえない。他力を信じたとき、ひとはみな悪人となる。私たちの多くは、阿弥陀仏の誓願への信を抱いていない。その反面、煩悩にはこと欠かない。同時に、漠然とではあるが、絶対知への希求をもっている。つまり、ごく普通の意味での日常な存在である。そのような私たちは、阿弥陀仏の正機としての悪人ではあるが、西方浄土に往き生まれることの正因としての悪人ではない。他力を信じることは難しい。
 このような解説は本当に難しくて、よく理解できませんでした。まして、人を千人殺して悪人になれとかいう問答となると、私の理解を超えてしまいます。
 本文だけで780頁もある大部な本です。京都に行った帰りの新幹線で読みふけりました。「歎異抄」が古くから有名な書物ではなかったこと、その作者は親鸞の弟子の一人であった唯円であろうということが、明治40年以降に定説になったことを初めて知りました。そして、「歎異抄」の構成が二部に分かれていることも知りました。
 京都に行って初めて沙羅双樹の花を見ました。インドと日本とでは、沙羅双樹の木は種類が違うそうですが、「平家物語」にうたわれた沙羅双樹は日本の木をイメージしたものです。
 朝に咲き、夕には散りゆく白い花です。庭にたくさんの白い花が散っていました。夏に咲く椿の白い花と思ったら間違いありません。
 形あるものは必ずこわれていく。形うつくしきもの永遠に保てず、という真理をあらわした花だということが実感できました。
 東林院のお坊さんの説教も聞くことができ、久しぶりに心が洗われた気がしました。
 お釈迦さまは、今日なすべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことが、よき一日を生きる道であるとお教えになっているそうです。今は今しかない。二度とめぐり来ない今日一日を大切に、悔いなき人生を送らねばという気持ちが、改めて湧いてきました。

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2005年7月 1日

ストリート・ボーイズ

著者:ロレンゾ・カルカテラ、出版社:新潮文庫
 1943年9月28日から10月1日までの4日間、イタリアのナポリで市民がナチスドイツの機甲師団とたたかい勝利したという史実をもとにしたフィクション小説です。近く映画化も予定されているということですが、ナチスに親を殺され戦争孤児となった子どもたちが武器をもってたちあがり、ナチスとたたかう状況は手に汗を握る痛快さです。まあ、そんなことはありえないと思いつつも、情景描写が実に巧みですから、ついついひきこまれてしまいます。ナチス・ドイツの機甲師団が1人のアメリカGIに励まされた200人の子どもたちに翻弄され、壊滅していく様子は読んでいて気分がスカッとします。たまには子どもがナチスをやっつける話もあってもいい。そう思いながら、車中で我を忘れて読みふけりました。

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源義経

著者:上横手雅敬、出版社:平凡社
 「判官びいき」の対象としての義経は弱々しい美貌の若武者というイメージです。しかし、現実の義経は色白ではあったが、小柄で、反歯(そっぱ)で、容姿にすぐれていたとは言えないとされています。むしろ、野性的で、強く、明るかったといいます。
 『平家物語』に登場してくる義経は、明るく強い勇者であり、何のかげりもないので、判官びいきの対象とはなりにくい。これに対して、『吾妻鏡』が初めて義経に対して判官びいきを示している。梶原景時や源頼朝を悪玉に仕立てあげているのは、この『吾妻鏡』は執権北条一族が牛耳る鎌倉幕府の編集するものだからである。だから、曾我兄弟の仇討ちも美談とされている。源頼朝は、曽我五郎に暗殺されようとしたのに・・・。
 写真が豊富にあって、義経を取り巻いていた状況を視覚的に理解することができます。

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母子密着と育児障害

著者:田中喜美子、出版社:講談社α新書
 人間が社会的に成功する要素としてとても重要な言語能力は3歳までに培われてしまうという研究成果があるそうです。たしかに、親や周囲がずっと話しかけた赤ちゃんの方が、立派に発育するだろうと思います。
 ところで、いま子育ての世界で多くの害を流しているのは面倒みのいい母親が子どもの自立力を阻害するケースである。この害が恐ろしいのは、暴力などと違って、そのときには意識されず、かなりあとにならないと結果が見えてこないということ。
 「放任型」の親が増えている。自己中心で面倒くさがりの人、生まれつきおおざっぱで他人の面倒をみることなど性にあわない人が、がんばりも根気もない女性が増えているから。ところが、こうした放任型の母親を育てたのは、実は保護型の母親であることが多い。
 中学・高校生のわが子の非行に苦しんでいる母親たちは、ほとんど異口同音に「子どものときには、何ひとつ問題はありませんでした」と語る。それが危ないしるしだということを我々はもっと認識しなくてはいけないようです。反抗期は子どもにとって必要不可欠なものなのです・・・。

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