弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年3月15日

名主文書にみる江戸時代の農村の暮らし

著者:成松佐恵子、出版社:雄山閣
 福島県にあった二本松藩。そこで長く名主だった安斎家に残されていた人別帳をもとにして、江戸時代の中後期の農村の実情を探った本です。日本人は本当に昔から記録を残すのが大好きだったんですよね。モノカキを自称する私は、ついうれしくなってしまいます。
 人別帳には、氏名、年齢、続柄などのほか、出生・死亡・縁組など、ことこまかに記入されています。だから、7割が嫁入婚、残る3割が婿入り婚。4人に1人は最初の結婚を離別で終えていて、3分の2の夫が再婚している。これは女性(妻)についても同様で、離婚率はきわめて高かった。こんな事実が分かります。
 名主(なぬし)は、必ずしも世襲ではなく、一般の百姓からの新規取立も3割をこえていた。不正があればもちろんのこと、状況に的確に対応できない名主も罷免されることがあった。
 当時の平均寿命は、男子が38.8歳、女子が35.7歳で、今とちがって男子が少し高かった。明治20年代になって、ようやく平均寿命は44歳台になった。ところが、江戸時代にも65歳以上の人はかなりいた。この村では、最高時13%だった。2003年度の日本の全国平均が19%だから、決してひけをとらない数字だ。
 人口減をくい止める対策として、二本松藩は、赤子養育手当を取り入れた。第3子に金2分、第4子に金3分、第5子以上には金1両が与えられた。この資金は藩からの拠出金のほか、豪農豪商からの献金による。金融業をしている人物が1人でポンと1000両を拠出するということもあった。ものすごい金額です。
 村ではバクチやケンカが多くて、その取締りに苦労していた。なんてことも分かりました。日本人が競馬やパチンコを好きなのは昔からの習性なんですね、きっと・・・。

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2005年3月14日

ピエールの司法修習ロワイヤル

著者:石本伸晃、出版社:ダイヤモンド社
 私のころの司法修習は2年間。のんびり、伸びのびと充実した2年間でした。今は短縮されて1年半です。この本を読むと、いかにもあたふたした修習生活で、慌ただしさすら感じます。もっとゆっくり、じっくり見習い期間を保障すべきだとつくづく思いました。私のときも、小さな声で、2年間も国家公務員並の給料を国からもらって勉強できるなんて、すごい。どうしてこんなに優遇されるのか。そんな疑問がささやかれていました。医師だって自己負担、自己責任でやっているのに、なぜ法曹養成だけ特別扱いするのか。弁護士なんて金持ちのために弁護するような存在じゃないか。そんなものを養成するのに税金をつかうなんて、実にけしからん。こんな意見は以前からありました。今は、それが表面に浮上して強く叫ばれるだけでなく、実行されてしまったところが昔とは大違いです。
 いいえ。私は、医師養成だって、キューバのように学生に負担させずに国家で養成した方がいいと考えています。そして、医師は基本的に準公務員扱いにするのです。医術で金もうけするというのは、なんだか割り切れないからです。もちろん、弁護士だって、税金で養成された以上、社会奉仕活動するのは当然の責務です。だから、いま現に、多くの弁護士が費用的には割のあわない国選弁護を担い、また当番弁護士に出動しているのです。法曹養成の世界に税金を出し惜しみすると、金もうけ以外はまったく考えもしない弁護士が爆発的に増えるのではないかと私は心配しています。やっぱり、社会正義の実現そして国民の基本的権利を擁護するのに使命感を燃やす弁護士がたくさんいてほしいものです。
 この本は司法修習生としての生活をホームページにリアルに紹介していたのを本にまとめたものです。私たちのころには考えられもしないメディアがあることを実感します。
 デパートのスリ見学の話が出てきます。私も修習生のとき、川崎競馬場にスリ見学に行きました。ビギナーズ・ラックで500円買って2000円ほどもうけました。1万円くらい買っておけばよかった。そのとき思いました。馬券売り場で万札の束が馬券に変わり、何分か後に紙クズと化して空に舞ってしまう現場を見て、ああ、世の中ってこんな(馬鹿げた)ことにお金をつかう人もいるのか。驚いたことを昨日のように思い出します。
 また、裁判所での修習のとき、検察官は裁判官室に足しげく通って裁判の打合せをしているのに、弁護人はちっとも姿を見せず不思議がる話が出てきます。私も同じような体験をしました。裁判官は弁護人が来るとなると身構えますが、検察官だと同僚が立ち寄って世間話をする。そんな感覚で応対している。そのような気がします。
 私たちのころは、青法協(青年法律家協会)が活発に活動していました。50人のクラスに20人ほどの会員がいて、自主的な研究会や連続講座などをしていました。銀座の映画館にサッコとバンゼッティの冤罪事件を描いた映画(ジョーン・バエズが主題歌をうたっています)を見に行ったことも思い出しました。
 クラスの自治会のような活動も盛んで、私も司法研修所当局との交渉の場に出たことがあります。のちに最高裁長官となった草葉良八氏が司法研修所の事務局長として応対しました。いかにも官僚的で横柄な態度だったので、みんなで憤慨しました。といっても、対する私も当時24歳、生意気盛りではありました。
 ホームページはありませんでしたが、代わりに私は後期修習のとき、しばらく日刊クラス通信を発行していました。昔も今もモノカキなのです。あまりうまくはありませんが、ガリ切りをしたのです。ガリ切りって、分かりますか? ガリ版印刷です。学生のころセツルメント活動にうちこんでいたので、ニュースをつくるのは苦にもなりませんでした。研修所での即日起案は、できる人たちのを寄せ集めましたから、簡単なものです。青法協会員とシンパ層には、できる修習生がたくさんいました。そうそう、青法協活動を探るスパイのような修習生もいましたよ。堂々と活動してたんですけどね・・・。
 いろんな経歴の人と出会い、本当に人生に役立った2年間の修習生活でした。たくさん税金のムダづかいをしている日本が、こんな大切なものを削ってしまうのが私には許せません。人材を育てるって、やっぱり国家の大切な事業ではないのでしょうか・・・。

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2005年3月11日

近代日本の徴兵制と社会

著者:一ノ瀬俊也、出版社:吉川弘文館
 日本人は、世界に類例のないほど、日記をつけるのが好きな民族だと言われています。私自身は小学校のとき、夏休みに絵日記をつけていたほかは、小学4年生の一時期つけていたくらいです(その代わり、読書ノートは大学生以来ずっとつけています)。
 多くの日本兵が日記をつけてことを知ったアメリカ軍は、捕虜だけでなく戦死者の日記も収集し、日本軍の戦略だけでなく日本兵の心理状態まで解読・分析につとめていました。なぜ、多くの日本兵が戦場で日記をつけていたのか?
 実は軍部の方針として兵士に日記をつけさせていたのです。
 日記は兵士を文通どおり型にはめる有効な手段として機能していた。自らの手で教育訓練内容を書きつけ、記憶させるという狙いだった。出世競争にかられていた兵士にとっても、日記の内容は軍隊的価値を自分がいかによく体得しているか、上官に対してアピールしてみせる場でもあった。
 戦前、徴兵忌避・逃亡者はいたが、年々減少の一途をたどっていった。圧倒的多数の成年男子が順々と兵営に向かい、戦争で命を落としていった。そうはいっても、戦前の軍は自己の存在意義、兵役義務を国民が履行することの必然性を、繰り返し社会に対して語らねばならなかった。徴兵制度の正当性は決して所与の前提ではなかったからである。
 この本には戦死者の妻が親からの不当な要求に屈せず、役所に対して扶助料の全額支給を求めてたたかい続けたケースが紹介されています。やはり生活していかなければならないという現実は「軍国の母」を強くしたのです。
 いろんなことを考えさせられる本でした。

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赤道の国で見つけたもの

著者:市橋さら、出版社:光文社
 日本の女性はえらい。こんな本を読むと、私は心底から確信します。といっても、ここでは日本人男性がつれあいとして登場はしているのですが・・・。
 22歳の日本人の独身女性がアフリカ・ケニヤへ単身出かけます。そして、ケニヤのスラム街へ足を踏み入れるのです。たいした勇気です。いったん帰国し、自分をみがいて、再びアフリカ・ケニヤへ出かけたのです。すごいですね。単なる好奇心だけでは、とてもこういうことはできません。
 スラムでは大人たちが平気で嘘をつく。自分を正当化するため、人から同情されるよう、何でも言う。だから、子どもたちも嘘をつくことはあたりまえのことと思っている。
 優秀な子どもも、ストリートチルドレンになって大きくなると、悪い方へその頭脳をつかってしまう例がスラムの子にはよくある。
 スラムの子は、今度いつ食事ができるか分からないという恐怖心から、過食になるか、反対に、まともに食事をしたことがないため胃が小さくなってしまってよく食べられなくなっている。
 スラムでは売春も多い。母親が娘に売春させて現金を得るのは珍しくない。成人した女性はエイズ感染者が多いため、少女売春も盛んだ。
 貧しくてかわいそうだからということでスラムの子にお金を与えて甘やかすと、子どもの心を傷つけ、内面からダメにしてしまう。人はもらうことより、自分の手で生きることを学ぶことが大切だ。どんなに貧しくても、母親や兄弟と一緒に暮らすことの方が大切だ。
 スラムに生きる子どもたちに共通しているのは、とても頑固で粘り強い性格がということ。生まれてから何ヶ月間も、栄養らしい栄養も与えられずに生き抜いた子どもたちは、生きようとする強い意志があった。つまり、人一倍強い意志をもち、頑固な性格だからこそ、彼らは生き延びられたのだ。スラムでは生き抜くためには、人一倍強い意志と、自己を貫き通す強さを持っていなければ、人生につぶされてしまうのだ。
 ケニヤでは弁護士であっても、一度失業すると、なかなか再就職できない。えっ、そうなの・・・、と驚いてしまいました。
 ケニヤには貧しい子どのたちの入れる幼稚園をつくり、トイレのつかい方、身体を清潔にすること、そして英語を話せるようになることなど、現地のスタッフとともに教育実践をしている話です。もっともっと、こういう分野で多くの日本人が活躍するようになったらいいなと、つくづく思いました。
 年齢(とし)をとってアフリカまで出かける勇気のない私ですが、なんだか私にまで生命力を分けてもらった気がしました。読んでいるうちに身体の芯があたたまってきました。

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細胞紳士録

著者:藤田恒夫、出版社:岩波書店
 人間の身体は、まさに精密な化学コンビナートの工場群だとつくづく思います。誰が、どうやってこれらの工場群を全体的にコントロールしているのか、考えれば考えるほど訳が分からなくなります。
 この本はカラー版ですから、実にカラフルに人間の身体を構成する細胞をことこまかく見せてくれます。たとえば脂肪細胞です。脂肪滴を取りかこむように細胞質があります。血液からの情報に応じて、また神経の刺激を受けて、敏捷に在庫の出し入れをしています。脂肪細胞はレプチンというホルモンを出す。肥満するとレプチンによるブレーキがかかるので、正常な人では多少食べても体重がほぼ一定に保たれる。
 肝臓を全部とり去ると、主人は死ぬしかない。しかし、10%も残せば主人は生き返ることができる。残った肝細胞は分裂・増殖して、大きな肝臓をつくる。そして、正確にもとの大きさに達すると、ピタッと細胞増殖が止まる。肝細胞は旺盛な再生力と、精密な自己抑制力を兼ねそなえている。
 視細胞の話のとき、寺田寅彦の「とんびと油揚」が話題になっています。ヒトでは直径2ミクロンの外節が1平方ミリに15万個。ところがタカでは、太さ1ミクロンの外節が100万個もある。だから、タカの視力はヒトの6〜7倍はある。これを考えたら、トンビはネズミを見つけるのは容易だ。こんな話が紹介されています。
 カラー写真を眺めているだけでも楽しくなります。また、人間って実に不思議な生き物だとつくづく考えさせてくれる人体の細胞図です。

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2005年3月10日

憲法で読むアメリカ史

著者:阿川尚史、出版社:PHP新書
 アメリカの歴史を憲法をとりまくエピソードを紹介しながら語る面白い本です。福岡の藤尾順司弁護士に読むようにすすめられました。
 アメリカの先住民であるチェロキー族は銃をとってたたかう代わりに裁判所でたたかいました。白人の弁護士に依頼して裁判をすすめ、合衆国最高裁まで進んで勝訴したのです。ところが、現実には実力で土地から排除されてしまいました。しかも、勝訴はしたというので、白人の弁護士はチェロキー族に対して法外な弁護費用を請求したというのです。
 アメリカでは昔から黒人差別が根強いものであったことも証明されています。
 1857年の連邦最高裁は、黒人はアメリカ市民でないとして、次のように述べました。
 黒人は一段低い劣った人間であり、優勢な白人に支配されるべき存在である。彼らはあまりにも劣っているので、白人が尊重すべき権利を一切有していない。黒人が奴隷の境涯に置かれるのは、彼ら自身のためにいいことなのである。
 1858年夏、奴隷制度の存廃をかけてリンカーンとダグラスの2人が公開で対決討論しました。このときには、徒歩、馬、馬車、特別列車をつかって1万人が集まり、会場は立錐の余地もありません。聴衆は3時間立ちっぱなしでした。考えてみてください。マイクもスピーカーもない、肉声のみの討論なんです。聴衆は耳をそばだてて2人の演説を聞くしかありません。すごいことですよね。今なら1万人コンサートは珍しくもなんともありません。でも、マイクもスピーカーもアンプもなしで、地声のコンサートに1万人も集まるなんて考えらないことですよね・・・。

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2005年3月 9日

お家相続、大名家の苦闘

著者:大森映子、出版社:角川選書
 実に面白い本です。大名家の相続って、現代日本の大企業において社長を世襲させるか、それとも有能な人間を導入するのか、いつも話題になっているようなことをずっとやっていたんですね・・・。
 お隣の韓国では、養子といっても、血のつながりのない人は考えられないということですが、日本は昔も今も融通無碍です。それがどうしてなのか、この本を読むとよく分かります。
 大名の当主が17歳未満で亡くなったときには、原則として相続が認められず、お家断絶となる危険がありました。幕府が建物上からは一貫して17歳にこだわり続けましたが、それは一人前の大名として、将軍にお目見えを果たし、一人前の大名として将軍への奉公を約束する。そういう奉公を前提として将軍は大名に相続を認め、領知支配を認可するという関係を維持したかったからです。
 現実に問題を複雑にしたのは、大名の子女が早死することが多かったという事情があります。たとえば、岡山藩の池田綱政の実子は40人いました。ところが、10歳をこえたのは、男子5人、女子7人のみでした。そこで、家督相続させるつもりでいた子どもが急死したときに、問題が発生します。たとえば、跡継ぎの確定していない大名が、参勤交代で郷里に帰るとき、帰国の途中で死亡したときに備えて幕府老中に仮養子願書を預けておくという制度がありました。
 さらに急養子(末期養子)という制度もありました。大名や旗本が臨終間際の病床から養子を指名し、幕府に相続を願うことのできる制度です。
 実際には、大名が死亡し、それを秘して、あたかも生きているように見せかけて急養子を指名するということが横行していたというのです。もちろん、幕府老中も承知のうえです。急養子願の大半は、実際には大名が死んでしまってからのものだろうということです。これを「公辺内分」と呼んでいました。公辺とは内緒のことです。つまり、幕府へは無届けの形で、内々に亡くなった当主の身代わりを立てるという手段です。このため、つじつまあわせが必要となってきます。年齢をごまかしたり、兄弟をいれかえたり、さまざまな苦労・工夫がなされました。
 肥後人吉藩相良家では当主が次々に若死にして、10年間のあいだに4代も替わるということがおきました。このとき、養子は、まったく相良家とは無縁の人たちでした。お家断絶の危険が迫っているとき、血縁かどうかはどうでもよかったのです。
 養子を迎えいれるとき、3500両の持参金を条件としていた話も紹介されています。経済的に苦しかったので、それなりの持参金を要求したというのです。
 将軍の息子を養子としてもらってほしいという話があっても、大名側から断ることは可能でした。それ自体は不敬にあたらないというのです。老中水野忠成が将軍家斉の子女の養子問題に関わっての発言です。
 大名の子女の公的年齢や死亡月日の操作は日常茶飯事でした。
 なんだか、今日の日本の大会社で内紛が起きたときの話のようですよね・・・。

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2005年3月 8日

私たちは暗黒宇宙から生まれた

著者:福井康雄、出版社:日本評論社
 私は宇宙と星の話も大好きです。しばし、俗世間の憂さを忘れることができるからです。100億光年の彼方なんて、いったいどうなっているんでしょうか。宇宙に果てがあるのか、ないのか。宇宙人(生物)はいるのか・・・など、興味は尽きません。
 宇宙の年齢はざっと137億年。アインシュタインの宇宙項は、宇宙が永久不変だと彼が信じていたから、そのつじつまあわせのために考え出されたもの。宇宙が膨張していることを知って、アインシュタインは宇宙項の導入を「生涯最大の失敗」だと悔やみました。ところが、今、宇宙にはダークエネルギーがあり、それはアインシュタインの宇宙項と同じ働きをしている。だから、宇宙項を入れたアインシュタインは正しかった。そういう学説があるそうです。なんだかよく分からない話ですが、興味をそそられます。
 宇宙には普通の物質が4%、ダークマターが23%、そして残る73%はダークエネルギーで構成されている。ダークマターとは質量をもっているが、光を出さないために見えない物質をいう。渦巻銀河の回転速度は星がたくさんある内側の方が外側よりも速いはず。ところが、内側と外側とで回転速度にほとんど差がない。ということは、渦巻銀河の外側に光で見えない物質(ダークマター)が存在しているからである。うーん、分かったような分からないような・・・。
 そして今、ダークエネルギーの量と正体を明らかにするための超高精度アンテナからなるALMAプロジェクトが進行中で、日本も重要な役割を担っている。
 銀河系には2000億個の星があり、宇宙全体には2000億個の星からなる銀河が1000億個以上もある。うーむ、宇宙に星がぎっしり、ということか・・・な。でも、現実の夜空は暗い。どうしてなんだろう・・・。
 最近、太陽系以外の星に惑星が次々に見つかっているそうです。といっても、これらの惑星を人間が直接に姿を見たというものではありません。惑星よりはるかに明るく輝く恒星がすぐ近くにあるため、惑星と見分けることはできません。恒星を観測していて、定期的にふらつく姿を見て、惑星の存在を割り出したのです。
 うーん、科学の力って、すごいですよね。

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2005年3月 7日

『噂の真相』25年戦記

著者:岡留安則、出版社:集英社新書
 「噂の真相」が総合月刊誌で「文芸春秋」に次ぐ発行部数だというのは知りませんでした。マイナーなブラック・ジャーナリズムとばかり思っていました。私の友人(東京の弁護士)が、「オレも例の一行情報にのっちゃったよ・・・」とこぼすのを聞いたことがあります。そのとき、彼も、そんなに有名人になったのか・・・、と正直なところ、ちょっぴりジェラシーも感じてしまいました。
 「噂の真相」は何度も世間を動かしたことで有名です。法曹界でいうと、検事総長コースに乗っていた則定衛・東京高検検事長は、その椅子からこけてしまいました。銀座のクラブで働いていたA子さんから告発され、「噂の真相」の記事になるという予告記事が朝日新聞の一面トップを飾って大騒動になりました。やはり中味がひどいのです。パチンコ業界の接待で銀座の高級クラブを飲み歩くだけでなく、A子さんの中絶費用までパチンコ業者に払わせた。公務で関西出張していたときもA子さんを同伴し、その旅費まで公費で負担させていたというのです。呆れてモノが言えません。
 東京地検の特捜部長だった宗像紀夫教授(最後は名古屋高検検事長)との角逐もありました。気に入った女性記者に情報をリークしていた、というのです。女性記者と宗像とのツーショット写真がとられました。
 国松孝次・元警視庁長官が狙撃された事件の犯人は依然として検挙されていませんが、国松長官が、あの高級マンションを抵抗権もつけずに現金で買った事実も追及しています。これは、例の警察裏金事件に関連するものなんでしょう。しかし、さすがはキャリア警察官の総元締めにのぼりつめた人物だけあって、シッポをつかませず、逃げ切りました。残念です。森喜朗総理大臣(当時)が、早稲田大学の学生時代に売春等取締条例違反で検挙されたことを記事にしたとき、裁判所が助け舟を出して和解で終わらせてしまいました。これも、前歴カードまで入手していたというから、たいしたものです。
 田原総一郎は小泉の個人的な相談役も買って出ている。今の田原は小泉政権の露払い役にしか見えない。リーダーとしての資質を欠く倫理なき政治家たちの人間性を正面切って批判しない田原総一郎は、もはやジャーナリストとは言えない。このように厳しく批判しています。まったく同感です。
 著者は私の1歳年長ですが、法政大学で新左翼の活動家でした。運動に挫折してマスコミ界に入ったわけですが、日本の深くて黒い闇の世界を暴くうえで、それなりに大きな役割を果たしてきたんだ、そう思いました。「噂の真相」が休刊となって、今の組織ジャーナリズムの不甲斐なさに歯がみしている私はそう思いました。

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2005年3月 4日

海峡の光

著者:辻 仁成、出版社:新潮文庫
 刑務所を舞台とした一風変わった小説です。いま、私は毎週のように刑務所通いをしています。そこは山の奥の方にあります。下界から3度は気温も低いそうで、なかは凍えるほど寒いとのことです。
 刑務所はいまどこも満杯です。ここにも高齢化現象が現れているというのです。なんだか寂しくなります。面会のとき、奥の方から、「オイッチニ」の大きなかけ声が聞こえてきました。収容者が工場から帰ってくるときには一列に並べさせ、大きなかけ声とあわせて軍隊式の行進をさせられるのです。これは昔から日本の刑務所でやっていたのかと思うと、そうでもなく、30年ほど前からのことにすぎないそうです。がんじがらめの規則のなかで生活するうちに、社会での自由な生活への適応力を喪ってしまう人もいるということです。
 刑務所の職員に対して、「あんたたちも大変だね。一生、ここから出られないんだから・・・」と言ったというセリフが出てきます。本当に看守の気苦労は並大抵のものではないと思います。なにしろ定年までずっと何十年と続くのですから・・・。
 刑務所のなかで拳銃が密造されていたことが発覚したのは20年以上も前のことだったと思います。そのとき、刑務所から出てきたばかりの人に実情をきいたことがありました。そりゃ、ありえますよ。わたしなんかも房内でタバコを隠れて吸ってましたしね・・・、という答えだったので、ア然とした記憶があります。
 偽善者をキーワードとした小説でもあります。

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オランダの教育

著者:リヒトレルズ直子、出版社:平凡社
 オランダの小学校は校区制がない。歩いて買い物に行けるほどの距離のところに3つや4つの小学校があるのがあたり前で、自転車通学可能な範囲を含めると10校前後の小学校があって、そのなかから選ぶことになる。小学校は全校生徒が平均250人。1学年せいぜい2クラス。
 先生も校長先生も本人の希望か学校の理事会が決議しない限り異動しない。学校の教職員は安定性が高く、いわば校長先生を代表とする一つのコミュニティのようなもの。教師は威厳のある権威的な存在ではなく、子どもの自主的な学習を補佐する友好的な大人だとみられている。
 オランダの義務教育は5歳からだが、たいてい4歳から小学校に通いはじめる。小学校低学年のあいだは、父親か母親が学校に送り迎えするのが普通。
 オランダの小学校には宿題がない。午後3時ころに学校から帰ると自由時間を楽しめる。高校も大学も、入学試験がない。学校に課外活動はなく、塾もない。
 日本でも「ゆとり教育」と言う前に、学校で教師も生徒も、もっと伸び伸びと過ごせる社会環境をつくりだすべきだと痛感しました。学力が世界レベルで低下したことを嘆くより前に・・・。

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民営化される戦争

著者:本山美彦、出版社:ナカニシヤ出版
 いまアメリカは海外での軍事行動について民間会社を活用している。Private Military Companies(PMC)という。PMC全体で年間100億ドルの売上がある。最大のPMCは元将校を1万2000人もかかえている。彼らは、軍人恩給として退職時の50%が支給されるうえに、現役の軍人であったころの給与の2〜10倍ももらう。ペンタゴンがPMCに支払う金額は年間250億ドル。これは10年前の2倍。PMCの従業員は戦地での戦闘行為にも加わっている。
 したがって、これらの民間会社につとめる社員が殺害されるケースが増えている。しかし、民間人の殺害が増加する反面、制服の軍人の殺害が減っていることから、戦争したくないという心理的な壁を薄くしている。戦争行為をPMCが代行してくれるおかげで正規の軍隊や彼らを統括する上級閣僚たちが、血を流す兵士の惨状を見て厭戦気分に陥る可能性が小さくなっている。そこで、限定的な局地戦にはPMCが多く送りこまれる。制服の大部隊を投入しなくてもよいからだ。しかも、5000万ドル以下のPMCとの契約額ならペンタゴンは議会に報告する義務もない。
 戦場に参加する民間会社が忠誠を誓う相手は軍ではなく、株主である。彼らはカネだけで働くかつての悪名高い傭兵たちと同じ行動をとる。
 PMCのなかでは、ハリバートン(チェイニー副大統領の関係する会社)の子会社であるKBRが断トツの存在。ほかにディンコープ、ビンネル、MPRI、AOCOMガバメント・サービスなどがある。
 イラクの罪なき市民を大虐殺しながら、アメリカの企業が巨大な利益をあげているなんて、許せない。しかし、それも長続きはしないだろう。とはいっても、それまでに莫大な犠牲者が出るのを、私たち日本人は座視して見守るだけであってよいのだろうか・・・。

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2005年3月 3日

キャッシュカードがあぶない

著者:柳田邦男、出版社:文芸春秋
 この本を読むと、つくづく銀行にお金を預けておくのが心配になってしまいます。カードの不正使用で虎の子の貯金を全部おろされてしまっても、銀行も警察もそ知らぬ顔をしてとりあってくれず、被害の回復はきわめて難しいというのが日本の現実です。
 超小型デジカメをATMの真上にセットしておいてモニターする。銀行のATMに通じる電話線に盗聴器をつけて傍受する。カード照会機CATの近くで電磁波をキャッチする。このような最先端の技術で暗証番号が盗まれている。
 銀行のカウンターごしに脅迫して行員からお金を奪ったとしたら、たちまち銀行強盗事件として警察は動き出す。しかし、ATMを通じて預金が奪われたときには、警察も銀行も必死の訴えを聞き流すだけ。銀行は弁償しようともしない。
 スキミングマシンは、秋葉原などで安く買える磁気読みとりヘッド、アンプ、メモリ、電池の4つをそろえたら簡単につくれる。窃盗団がつかっているのは、タバコの箱半分ほどの大きさ。
 アメリカには「50ドル・ルール」というのがある。本人が負担するのは上限が50ドル。イギリスにも50ポンド・ルールがあり、ヨーロッパには150ユーロ・ルールがある。そして、銀行は保険でまかなってもらえる。
 日本の銀行がいかに消費者の犠牲の上にあぐらをかいているか、それを知り、あらためて寒々とした思いがしました。そんな銀行の救済のために政府は何兆円も税金を惜しみなく投入するのです。ところが、国民の被害には知らぬ顔の半兵衛を決めこみます。ひどい話ですよね・・・。

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2005年3月 2日

永遠の子ども

著者:フィリップ・フォレスト、出版社:集英社
 4歳の娘が小児ガンにかかったとき、父親はどうなるか、いや、どうするだろうか・・・。小児ガンは、先進国では子どもの死因として、事故に続く第2位を占めている。
 脱毛は病気の印、死の定めの印である。髪の毛とともに、小さな女の子は名前も性別も失い、小児ガン患者と呼ばれるものになる。
 小説は、時間の森への切り込みである。小説は真実ではない。しかし、真実なしには存在しない。小説はぼくたちに手を差しのべ、目のくらむ一点の近くまで導く。
 死の悲しみは語らずにいられない。人は言葉を探す。なぜなら、言葉は、死者に対して考えられる唯一の施しだから。ぼくたちの娘の死んだ長い年は、ぼくの人生でもっとも美しい一年だった。
 ええっ、こんなに言い切れるなんて、すごいと私は思いました。
 病院の世界がもっとも恐れる伝染病は、絶望である。死者はまず、名前を持つ権利を失う。
 文学の評論を自分の仕事だとしていた著者が娘の死を体験し、小説を書きました。透明感あふれる文体です。訳者から贈呈されて読みました。フランス語を長く勉強していてめぐり会えた本です。日本語としてよくこなれた読みやすい訳文だと感心しました。

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2005年3月 1日

新井白石と裁判

著者:山口 繁、出版社:西神田編集室
 日本人は、歴史的にみると、まったく訴訟好きな民族だ。これは、ジョン・オーエン・ヘイリー教授の言葉ですが、私も、まったく同感です。むしろ、権利意識が強くなったはずの現代日本人の方が訴訟を避けようとしています。江戸時代には、とんでもなく裁判が多かったのです。なにかと言うと裁判に持ち出すのは町人だけでなく、百姓も大勢いました。徳川六代将軍家宣は自ら漢字かな混じりの文章で判決を起案したそうです。
 それはともかく、江戸時代には、現在想像するよりはるかに多数の訴訟が係属していた。享保3年に江戸の公事(くじ)数は3万5751件、そのうち金公事(かねくじ、金銭貸借関係の訴訟)が3万3037件だった。江戸町奉行所には、そのほかに訴訟が4万7731件あった。翌享保4年には公事数が2万6070件、うち金公事2万4304件、このほか訴訟も3万4051件あった。
 あまりにも増えすぎたため、新井白石は、立会日の3分の1を金公事の集中審理に充て、その余を本公事の審理に充てるようにした。ちなみに、公事(くじ)は、相手方の存在する事件、訴訟は相手方のいない願の提出あるいは、相手方が応訴する前を言った。
 『世事見聞録』という江戸時代に書かれた本があります。1816年に出版されたものです。これを読むと、江戸時代についての認識がガラッと変わると思います。図書館で借りられますので、ぜひ読んでみてください。
 富士山のふもとで入会権をめぐって70年のあいだに8回の裁判があったことが紹介されています。村同士の争いです。私も司法修習生のとき一度だけ行ったことがありますが、「逆さ富士」などで有名な忍草村が相手方となっています。
 著者の山口繁氏は、もちろん元最高裁長官です。福岡高裁長官をしておられたとき、私も言葉をかわしたことがあります。日本の裁判は、江戸時代から変わっていない面もあることを知ることができる本です。

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2005年3月31日

仁義なき英国タブロイド伝説

著者:山本 浩、出版社:新潮新書
 紳士の国というイメージが完全にふっとんでしまう本です。ええっー、そんなにイギリスって、他人のゴシップが好きだったのか・・・。そんな思いにかられました。
 私は週刊誌はほとんど読みません。でも、新聞の下の方にのる週刊誌の広告は必ずチェックしています。今どんなことが政界や芸能界で話題になっているのか、新聞を読んでいるだけでは絶対にうかがい知れない世界がそこにあります。
 イギリスのタブロイド新聞は、どこも旗幟鮮明です。右派のサンは310万部、左派のディリー・ミラーは210万部・・・。
 バッキンガム宮殿の召使いにまんまと化けたディリー・ミラーの記者がいました。日本の皇居に夕刊紙の記者が潜入することは不可能な気がしますが、かりに可能だったとしても、それが記事になることは絶対にありえないことだろうと思います。ダイアナ妃の死をめぐるパパラッチ騒動も紹介されています。その謎はいまも解明されていないようです。
 札束ジャーナリズムという言葉があるそうです。タブロイドに限らず、イギリスではネタを独占するために情報提供者に高額の報酬を払うのです。取材謝礼というより、情報を独占する権利についての売買だという発想なのです。
 きわめつけは、タブロイド記者からブレア首相のスポークスマンにのぼりつめて首相府情報・戦略局長までつとめた人物(アレスター・キャンベル)を紹介しているところです。日本では、週刊誌の記者が首相のスポークスマンになるなんて、とても考えられません。
 仁義なきタブロイド新聞の激しい競争ですが、日本のサンケイやヨミウリのような自民党べったりの新聞を読んでいない者からすると、朝日も毎日も西日本も日経も、いつだって同じような論調なので、いかにも物足りなさを感じています。まあ、どっちの方がいいか、評価の分かれるところなんでしょうが・・・。

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2005年3月30日

伊藤博文暗殺事件

著者:大野 芳、出版社:新潮社
 伊藤博文は1909年(明治42年)10月26日午前9時半過ぎ、ハルビン駅で安重根のピストルで暗殺された。教科書にも書いてある歴史的事実である。しかし、暗殺者は安重根ではなかった・・・。
 小柄な体格の安重根は駅のホームに降りたち、儀仗兵を閲兵していた伊藤博文を下の方から狙って撃った。しかし、伊藤博文の治療にあたった医師は、3発の弾丸はいずれも右上から左下へ弾が入ったと認めた。さらに、現場で発射された弾丸による弾痕は合計13個。1発で2箇所ないし流れ弾を考えたら、狙撃犯は8発か9発を発射したことになる。ところが、安重根のブローニング拳銃は7連発で、弾丸が1発残っていた。ということは数があわない。
 伊藤博文の側近であり、当日も同行していた室田義文・貴族院議員は30年後に次のように語った。
 ハルビン駅の2階の食堂から、斜め下に向けてフランスの騎馬銃(カービン銃)で撃ったものがいる。右肩から斜め下に撃つには、いかなる方法によっても2階以外は不可能だ。そこは格子になっていて、斜め下を狙うには絶好だった。
 ということは、安重根は真犯人ではない、ということになる。これは、暗殺グループの一員であったが、直接の下手人ではないということ。関係者はそれを知ったうえで安重根を暗殺犯人として扱い、それなりの待遇をしていたのではないのか。本書はそのように提起している。
 旅順監獄において安重根は多くの書を残している。墨と筆、そして絹の白布が差し入れられ、揮毫が許されている。日本の元勲を殺した殺人犯で死刑囚に、なぜ関係者がこれほどの厚遇を示したのか。それは、陰謀があり、その人身御供となった安重根に心から同情していたから。もちろん、安重根の人格が高潔であったことも一因ではあるだろう。
 ところで、安重根の裁判は、実は難問をかかえていた。暗殺現場は中国のハルビンである。当時はロシアが支配していた。しかも、犯人は朝鮮人。だから、日本の刑法で犯人を処罰できるのか、という問題があった。イギリス人やロシア人、そしてスペイン人の弁護士たちが安重根の弁護人をして名乗り出ていた。それを日本政府は排除しなければならなかった。日本の元勲を殺したといっても、犯人は死刑にならず、無期徒刑の可能性も強かった。それでは困るということで、政府が裁判所に圧力をかけて無理矢理に死刑判決へもっていった。
 では、安重根が真犯人ではないとしたら、一体、誰が、何のために伊藤博文を暗殺したというのか・・・。韓国併合を強引に推進しようと考えていたグループにとって伊藤博文は最大の障害であった。邪魔者は消せ。そして彼は消された。うーん、そうだったのか・・・。

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2005年3月29日

古代オリエント史と私

著者:三笠宮崇仁、出版社:学生社
 著者は昭和天皇の弟です。第二次大戦後は大学に入り、古代オリエント史を研究する学者になり、NHKに出演して連続番組でオリエント史を解説したこともあります。
 戦中(1943年)に、中国・南京の総司令部に行き、そこで日本軍の残虐行為を知らされました。陸士時代の同期生の青年将校が、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きさせるに限る、そう語ったそうです。また、例の七三一部隊に所属していた高級軍医は、国際連盟から派遣されたリットン卿の一行にコレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかったとも語ったというのです。これらの言葉は、まさに氷山の一角に過ぎないというコメントがついて紹介されています。皇族の高級参謀にも隠せないほど、日本軍の残虐行為はひどい、目に余るものがあった、ということです。暴虐の日本軍と化した事実を著者は率直に認めています。
 皇族をかつぐのは絶対にやめてほしいと著者は訴えています。皇族の肩書を利用したり、儀礼的なロボットにしてしまったから、第二次大戦が起きた。このような自分の考えを述べています。
 日本国憲法の制定直後(1949年)、平和主義について、将来、国際関係の仲間入りをするためには、日本は真に平和を愛し、絶対に侵略しないという表裏一致した誠心のこもった言動をして、もっと世界の信頼を回復しなければならない。そう強調しています。この点は、今の本当にあてはまると、まさにそうだなあと、つくづく共感します。
 イラクへの自衛隊派兵はアメリカの侵略にあとから手を貸すのとまったく同じです。
 ところで、この本を読んで、いい言葉に出会いました。
 「暇があったら勉強しよう」と言うな、たぶん、あなたがたには暇は決してこないだろうから。これはユダヤのヒッレルという律法学者の言葉です。そうなんです。時間はつくり出すものなんです。まったく同感です。

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2005年3月28日

虫をめぐるデジタルな冒険

著者:小檜山賢二、出版社:岩波書店
 すごーい写真のオンパレードです。この世の中に、こんな生き物がいたのか。つくづく、この世の奥は深い。そう実感させられます。
 つやつやと輝き、ふさふさと羊毛のようにたおやかな厚手のコートをはおった貴婦人の装いその眼はトンボの複眼。見逃すところはない。触覚が長く伸び、身近なものをすべて感じとる。
 こくんぞ虫、もといコクゾウムシは米びつの害虫として有名です。えっ、そんなの知らない。そうでしょうね。害虫が穀物倉庫に生存するのは実は難しいこと。そんな指摘がなされています。なるほど、なるほど。いかにも人為的な環境ですから・・・。
 この本に紹介されているゾウムシの写真を見ると、人間が万物の長なんて偉ぶっているのが恥ずかしくなります。
 18世紀にリンネが分類したとき、昆虫は2000種もありませんでした。でも、その後の100年で昆虫は10万種となり、今は100万種です。ところが、アマゾンの熱帯雨林に2000万種、東南アジアに8000万種の生物がいると推定されているというのです。昆虫は3000〜5000万種はいるだろうといいます。蝶とハエとガは15万種、蜂が14万種というのに比べても、昆虫は圧倒的に多いのです。ゾウムシが属する昆虫は40万種。これは、自然界でもっとも成功したグループとされています。この本は、まさに、そのゾウムシをデジタル写真で微細にとらえたのです。その絶妙な姿かたちには、息をのむばかり。ただただひたすら圧倒されてしまいます。
 この本は、単にデジタルカメラでとった写真をのせたというものではありません。マイクロ・フォトコラージュといって、ミクロの映像をデジカメで合成していく作業についても紹介しています。実は、このあたりになると、私には、まったく理解できないところではあります。自然界の奥がいかに深いかを実感させてくれる写真が満載です。ぜひ、あなたも手にとって見てください。

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2005年3月25日

時代劇のウソ・ホント

著者:笹間良彦、出版社:遊子館
 山田洋次監督の最新時代劇映画「隠し剣、鬼の爪」に東北の海坂藩が、幕末期のことですが、洋式訓練をするとき、武士に左右の手を大きく振って歩調をそろえて歩かせるのに苦労しているシーンが出てきて、笑ってしまいました。
 この本には、江戸時代の武士や庶民は決して今のように左右の手を大きく振っては歩かなかったことが明らかにされています。左右の手を交互に大きく振って歩くようになったのは、明治以降の洋式軍隊や文明開化で普及した西洋風の歩き方、それに小学校の体育教育の歩き方が一般に普及してからのことなのです。それまでは、武士はいざというとき、すぐに刀を抜けるよう手はあまり動かさず、また歩き方も静かに交互に移す感じでした。映画では、武士はすり足で歩いていました。なるほど、ですね。
 この本には、意外な常識のまちがいがいくつも絵入りで指摘されていて、そうだったのかと思うところがたくさんあります。三つ指をついて挨拶するのも、武士の護身の心得だったとか、「えい、えい、おう」のかけ声も、「えい、えい」と呼びかけて「おう」とこたえるのが正しいやり方だとか、浪人と浪士は違うもの、いえぬし(家主)とやぬし(家主)は、同じ漢字を書いても違うとか、札付き(ふだつき)は勘当の予備軍だったとか、おおいに勉強になりました。

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降る影、待つ光

著者:熊谷秀夫、出版社:キネマ旬報社
 これまで150本以上の映画の照明を手がけてきた超ベテラン照明技師にインタビューした内容が本にまとまっています。映画の照明って、こんなに苦労し、工夫してるのか・・・、映画好きの私は感心しながら読みました。
 カラーだと白黒の1.5倍から2倍ほどのライトを使う。長谷川一夫のアップを撮るときには、ライトが8台必要だった。きれいにとるためだ。夜中になると俳優が急にやつれてくるから、撮らないようにする。お客をがっかりさせてはいけない。
 吉永小百合の顔に影が出ることは一切ない。顔というのは、どこからライティングしてもいいわけじゃなくて、その人を撮るのにいい角度というのがある。「あたしは右の方がいいからよろしくね」なんて言う人は、俳優としてはあまり大したことはない。吉永小百合はそんなことを言わない。言うより先に上手に坐る。言わなくって技術パートがちゃんと見抜いている。だから、渡辺えり子が「私も吉永さんのように当ててほしい」と頼んだ。そんなエピソードも紹介されています。
 リアルな光の中に、嘘の光がある。映画にはきれいに写さなくてはいけないことがあるから、嘘のライトが入ってくる。しかし、嘘の光が真実の光に勝てればいいのであって、その嘘をいかに、どこでつくか、ということが肝心なのだ。それは理屈ではない。映画には、嘘を重ねてリアルをつくるということがあるから・・・。ナルホド、ナルホド。

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旅行者の朝食

著者:米原万里、出版社:文春文庫
 著者初のグルメ・エッセイ集ということで、37本のロシアの小咄エッセイが満載です。
 古代ローマ人の宴席では、まず最初に卵が出たそうです。ただし、生のまま呑み込みました。ルネサンス期のイタリアも最初は卵で最後はフルーツでした。ただし、この卵はゆで卵。もっとも、現代イタリア人は生たまごだけでなく、ほとんど卵料理を食べないそうです。イタリアに行ったことのない私は知りませんが、本当でしょうか?
 アレキサンダー大王は、大遠征の最中、兵士たちに「キャベツを食え。キャベツは身体にいい」と言ってまわったとのこと。ローマでもキャベツは大の人気食でした。豚の脂身やロースハムとつけあわせて食べるのが好まれたそうですから、今と変わりません。
 ところで、署名の「旅行者の朝食」とは何でしょう?
 この本を読むと、ロシア(もちろん、ソ連時代です)の食生活の貧しさに関わるものだったことが分かります。興味があったら、この本を読んでみて下さい。

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2005年3月24日

楽天の研究

著者:山口敦雄、出版社:毎日新聞社
 プロ野球への参入騒動のときまで、私は正直言って楽天という会社の存在を知りませんでした。インターネットで買い物をするなんてしたこともないし、考えたこともありません。でも、現実にはネットショッピングの利用者は急速に増えているのです。
 楽天は楽天市場へ出品する店に月5万円の出店料をもらっています。出店数が1万ですから、月に5億円の売上があります。そのうえに、売り上げに応じた手数料(3.5〜5%)収入が入ります。買う方の入会料はいりません。
 毎週1回、全社員700人(平均年齢30歳)を集めた朝会(あさかい)が午前8時から本社で開かれます。そのとき各部門の業績が報告されますが、三木谷社長は対前年同月比で100%、最低でも50%の伸び率をキープするよう訓示するというのです。この不況下の日本で、信じられない数字です。
 1997年に13店舗でスタートし、4年後に5000店をこえ、その3年後の2004年に1万店となったのです。その急増ぶりに驚かされますが、はじめは店まで足を運んで出店をお願いするという営業をしたそうです。月5万円しかも、6ヶ月分の前払いを要求したというのですから、すごく高いと私は思いました。ところが、実は当時は100万円の出店料が相場だったそうで、月5万円は破格の安値だったといいます。へー、そうなのかー・・・と、思いました。
 ネットショッピングは5年もすれば、今の10倍になるだろうと言われています。一度借った人は病みつきになるというのです。そうなのでしょうか・・・。私にはとても分からない世界がインターネットの向こうに広がっているようです。

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2005年3月23日

日本の裁判所

著者:萩屋昌志、出版社:晃洋書房
 今すすめられている司法改革のなかで、最高裁による裁判官統制システムにはほんとど手がついていないという不満が弁護士会内にあります。最高裁事務総局を頂点とするキャリアシステムを温存してしまったという不満です。私もその点は同感です。
 最高裁は、たとえば日本野鳥の会に裁判官が入るのは自由だと弁解していますが、そんな弁解をしなくてはいけないこと自体が異常なんです。この本によって、最高裁による裁判官統制が目に見える形でとられていた事実を再確認することができます。
 1970年10月、国会の裁判官訴追委員会は裁判官213人に対して、青年法律家協会(青法協)の会員かどうか照会状を出しましたが、最高裁はこれを黙認しました。
 この年(1970年)1月に最高裁事務総局付判事補15人のうち10人の青法協会員の判事補が退会届を内容証明郵便付きで発送しています。いまの最高裁長官はこのとき率先して退会届を出したひとりだと言われています。
 裁判官の再任拒否は、これまでの30年間に3人しかいませんでした。ところが、2004年4月に任期切れとなる180人の裁判官のうち6人もの裁判官が不適格として再任が拒否されました。これをどうみるかですが、裁判所のなかにも弁護士会のなかにも大きな動揺は生まれていません。それくらいの拒否者が出ても当然だという雰囲気があるのです。九州では今のところ再任拒否者は幸か不幸か出ていません。しかし、私の実感からすると、再任拒否が相次いでもちっとも不思議ではありません。本当に裁判官には向いていないな、そう思う人が平然と裁判官を続けている現実を、この30年以上見てきたからです。
 法廷で威張りちらす、記録を十分に読んでいるとはとても思えない、いかにも一方に肩入れする、やる気のない審理態度・・・。いやになってしまう、早く辞めてほしい、そんな裁判官は決して少なくはありません。弁護士になって、少しは「客商売」の苦労をしてもた方が本人のためになる。そういう思いにかられる人は多いのです。いえ、決して私ひとりがそう思っているわけではありません。裁判官評価アンケートの結果をみると、多くの弁護士の評価は一致しているのです・・・。
 できる裁判官というのは、事務処理能力がすぐれている、事件処理が早く判決をどんどん書ける人だということです。優しいとか、思いやりのある人だということは裁判所内では高く評価されません。
 裁判官の不祥事はめったなことでは表面にあらわれません。1980年10月の水沼宏判事(旭川地裁)の泥酔しての暴行事件。1981年の谷合克行判事補(東京地裁)の破産管財人の弁護士からのゴルフセットと洋服生地の収賄事件くらいです。
 ミスター最高裁として、いわば司法反動の権化とも言うべき矢口元最高裁長官が、退官してから、なんと裁判官のキャリアシステムを批判しはじめたのに驚いたのは私ひとりではないでしょう。矢口元長官は判事補制度に批判的でもあり、キャリアシステムの時代は過ぎた、法曹一元が必要だと高言しています。ええっ、そんなこと現役のときに言ってほしかった・・・と私などは、ついぼやいてしまいます。
 最近、裁判官ネットワークというグループが出来て活発に活動しています。ホームページもたちあげていますので、私もときどきのぞいていますが、面白い内容です。残念なことに参加者が少なく、現職の裁判官は30人もいないのではないでしょうか。20代、30代はゼロのような気がします。若い世代の裁判官はいったい何を考えているのか。先が思いやられます。私は心配でたまりません。その克服のためにも、ホネのあるベテラン弁護士(40代)にどんどん裁判官になってほしいと考えています。

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2005年3月22日

性のお話をしましょう

著者:団まりな、出版社:哲学書房
 題名と表紙の絵からキワモノ的な話に出会えるかと期待したら、見事にはずれました。いたって真面目な話なのです。
 著者は三池炭鉱の中興の祖である団琢磨の孫にあたります。父親は実業界に入らず、東大に入って動物学を志し、ザリガニの解剖ばかりしていた変人だったようです。アメリカで研究していました。
 男力の低下は女力の低下に比べて、はるかに多面的かつ重度である。女がどっしり足を地につけて生きているのに対し、男にはどこかふわふわとした不安定感があり、社会的な影響を受けやすい。これは、男の身体が女の身体に上乗せしたものであり、足が地面に着きにくいからだ。
 男は自分の弱さを認識しなければならない。男は強くて有能であり、女は社会的能力が低く、けがらわしく、自分たちが支配してやらなければロクな知性も持てないものだ、などと虚勢をはらず、自己欺瞞をやめるべきだ。自分の脆弱さを率直に受けいれ、女の力を計算にいれ、両者で協力しあっていくことだ。
 うーん、そうなんです。女性の力が強いことは、私も弁護士になって、つくづく日々実感していることです。
 タンパク質は細胞をつくりあげている巨大分子のなかで、もっとも重要なもの。そのタンパク質をつくり出すためには、必要なアミノ酸だけのチッソ原子が必要だ。だから、細胞は外部から常にさまざまな形でチッソ原子を取りこみ続けている。
 人間のDNAは、つなぎあわせると2メートルの長さになる。人間の身体はおよそ60兆もの細胞からできているが、そのすべての細胞の核のなかに2メートルの長さのDNAが入っている。DNAの太さは2ナノメートル。DNAの太さを縄跳びのビニールのヒモの太さ(0.5センチ)にまで拡大したとすると、DNAの長さは5000キロの長さになってしまう。
 DNAは自分で自分を複製することはできない。DNAは、自分のもつ遺伝子情報からつくられるいくつものタンパク質やRNAの働きによって、自分のそっくり同じ分子を複製してもらって、はじめて次世代に情報を伝達することができる。
 人間の身体そして生物の仕組みは本当に不思議そのものです。

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2005年3月18日

長恨歌、不夜城・完結編

著者:馳 星周、出版社:角川書店
 新宿歌舞伎町には私も何回か行ったことがあります。日本人のヤクザだけでなく、中国人暴力団が徘徊しているということです。この本では中国残留孤児が日本に帰ってきて、きちんとした職にありつけないうちに中国人暴力団と結びついていく状況も描かれています。私は知りませんでしたが、恐らく、そのような事実があるのでしょう。残念なことです。
 新宿の裏世界の支配者が台湾出身から中国出身の暴力団へ変わっていくことを背景としたすさまじいバイオレンス小説です。次々に男たちが、そして女性までも殺されていきます。読み手の心を寒からしめる内容でした。

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学校に戦争がやってきた

著者:佐藤光康、出版社:無明舎出版
 第二次世界大戦で日本が敗戦する直前の1年間の山形の学校の様子を浮かびあがらせた本です。学校誌や作文など貴重な資料を渉猟し、体験者の証言で裏付けをとっていますので、貴重なドキュメントになっています。
 山形中学の生徒たちは学徒の勤労動員でゼロ戦をつくっていた群馬県大田市の隣りの大泉町にあった中島飛行機小泉製作所に行かされ、そこで働きました。ここは、4年間でセロ戦を8900機もつくったところです。ちなみにゼロ戦はデビュー当初こそ最新鋭機として恐れられましたが、やがてグラマン機などから容易に撃墜されるようになってしまいました。技術革新が弱かったのです。被弾防禦が弱く、機銃掃射を浴びると、すぐに火を噴くことからペーパープレーンとまで言われていました。
 勤労動員された生徒たちは、食べるものに事欠いて、フラフラしながら働かされていました。育ちざかりなのにいつも腹ペコだったというのですから、耐えられなかったことと思います。
 それにしても特攻隊は志願ではなく、命令だったとか、予科連の募集が不振で押しつけていたという実情を知らされ、ひどいものだと思いました。青少年の純真な心を大人がもてあそんではいけないのは古今東西変わらない真理です。

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凍れる河

著者:オリヴィェ・フェルミ、出版社:新潮社
 インド最北部。ヒマラヤ山脈の谷間、標高3500メートルのザンスカールに住む兄妹とフランス人との心あたたまる交流が紹介されている。なにしろ1年のうち8ヶ月は雪のため下界と途絶する地方である。冬の気温はマイナス30度。村人は村を出ることもない。町まで出るには危ない山道を2週間以上も歩かなければならない。途中で遭難してしまう危険も大きい。
 登山家をめざしていたフェルミは写真家でもある。夫婦で滞在型の冒険旅行を始め、ロブサン一家と知りあい、その子どもであるモトゥプとディスキット兄妹と知りあった。この兄弟は学校で勉強をはじめると成績優秀で、兄は外交官に、妹は医師になるのを目ざしている。とても故郷の村には帰りそうもない。
 命がけの綱渡りのような壮絶な旅をそのまま実況中継した。そんな写真が素晴らしい。さすがはプロのカメラマンだ。

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弁護士活動を問い直す

著者:和田仁孝、出版社:商事法務
 若手の学者による弁護士への批判(注文)がもりこまれた本です。
 たとえば、弁護士の多くは司法試験の合格者を1500人に増やしたことで「質」が低下したとよく言います。しかし、弁護士の「質」とは一体何でしょうか?
 弁護士業務の「質」とは、法廷で的確かつ効果的に代理人として活動し、依頼者の権利を守るとともに、公共的正義を推進できるような能力にかかわるもの。高度の法的知識を知悉し、かつ、その推論構成能力に長けていることは弁護士としての必須の前提。これを参入制限によって、「縮小均衡」で保護してきた。
 私たち弁護士は「在野」という言葉をよく使います。しかし、本当に弁護士は「野」にあったと言えるのか、厳しい問いかけがなされています。
 利用者である国民の目からみて、弁護士は国民一般にはアクセス不能で不透明な「専門領域」で活躍する縁遠い専門家に過ぎなかったのではないか。弁護士は「野」にあったというより、人々から見れば信頼はできるが遠いエリート専門家であり、アクセス不能な「専門権力」のひとつだったのではないだろうか。
 うーん、そうかもしれません。私にも胸に手をあてて思いあたるフシがあります。
 さっと読める本ですが、反省させられるところも多い内容です。

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2005年3月17日

アメリカの秘密戦争

著者:セイモア・ハーシュ、出版社:日本経済新聞社
 セイモア・ハーシュと言ったら、アメリカがベトナムに侵略して戦争していた当時、ソンミ村虐殺事件をスクープした記者として有名です。60歳代半ばになってなお、現役の第一線記者として頑張っているそうです。
 イラクのアブグレイブ刑務所でアメリカ軍がイラク人を虐待していたことをスクープしたのも、このセイモア・ハーシュ記者でした。この刑務所を統括していたカルピンスキー准将は女性でした。この司令官の姿勢が兵士たちに何をやってもよいと思わせたとされています。
 この事件が発覚した端緒も紹介されています。イラクから任務を終えて帰国してきた女性兵士が暗い顔をしてふさぎこんでいたので、心配した家族が女性兵士がイラクからもち帰ったコンピューターを見たところ、おぞましい画像が次々に出てきたというのです。例の裸の人間ピラミッドなどの写真です。
 9.11テロ以降、アメリカは、法的手続き抜きでアルカイダのメンバーを1人ずつつけ狙って殺すことをテロとの戦争における新種の軍事行動として正当化している。
 こんなことをしていたら、アメリカは、さらにひどいしっぺ返しを受けるのではないでしょうか。そんなアメリカに追従するばかりの日本だってどうなるのでしょうか。私は本当に心配です。

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2005年3月16日

検証・日本の組織ジャーナリズム

著者:川崎泰資、出版社:岩波書店
 このところ新聞やテレビに、チェック機能のみならず特ダネやスクープも少なくなっているように感じる。私もまったく同感です。つまらないこと、どうでもいいことは大きく取りあげ、本当に私たちが知らなくてはいけないことはちっとも大きく報道されていない。そんな気がしてなりません。たとえば、イラクのサマワです。日本の自衛隊が出かけて1年になります。いったい、どんな町なのか、NHKは特派員を出して、定期的に街の様子を知らせてほしいと思います。いえ、自衛隊に反対している人の声だけを紹介しろというのではありません。賛成している人もいていいのです。もちろん反対している人が多いんだったら、それも報道すべきです。いまサマワの市民がどんな生活をしているのか、日本人は知る必要がありますし、NHKはそれを知らせる義務があるように思います。
 ところが、この本が強調しているように、イラク戦争が始まったとたん、NHKも一般マスコミも記者は全員イラクから撤退してしまいました。ヨーロッパの報道機関は残ったのに・・・。そして、NHKは自衛隊員のとったビデオをそれと知らせずに放映したのです。なんとも情けない話です。
 NHK福岡放送局の局長室(応接室)に入ったことがあります。まるで大企業の社長室という雰囲気なので、居心地が悪くなりました。海老沢前会長の往生際の悪さはひどいものでした。まったく私物化しています。天下の公共放送が泣きます。
 NHKの組合員の6割がNHKを政府の御用機関と考えているそうです。でも、今や御用機関どころか、国家機関そのものではないのか。著者は厳しく指摘しています。世論調査の報道にしても、政府に都合が悪い結果が出たときには報道しないというのです。ひどいものです。そう言えば、NHKはイラク戦争反対の集会やデモ行進をまったく報道しません。憲法改正反対の声をあげた有識者による「九条の会」についても報道しません。
 やっぱり、テレビはNHKをふくめて見る価値がないとアンチ・テレビ派の私は考えています。いかがでしょうか・・・?

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2005年3月15日

「さまよう刃(やいば)」(東野圭吾)

「裁判所は犯罪者に制裁など加えない」この文章に胸を一撃されました。被害者の遺族の怒りと悲しみはどこへぶつけたらいいのか。正義の刃(やいば)とは何だろうか。社会常識を身につけないまま身体だけが大人になってしまった少年たち。少年法はこのままでよいのだろうか。被害者側にとっての司法の在り方というものを深く考えさせられる1冊です。

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「知りたがりやの猫」(林真理子)

女性の深層心理の描写がとにかくうまい。うますぎる。円熟味を増した短編小説ばかりです。

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「日曜日の読書」(阿刀田高)

紅茶を飲みながら、耳障りにならない程度のクラシックをかけて、教養たっぷりハイソサエティな休日の午後・・・なんて感じです。どの講義?も興味深いです。

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