弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年2月14日

秩父事件

著者:秩父事件研究顕彰協議会、出版社:新日本出版社
 映画『草の乱』をみました。今から120年前、1884年11月に3000人をこす農民が集まり、自由党の流れをくむ困民党軍として武装蜂起しました。郡役所を占拠して「革命本部」としたのですから、本格的な蜂起です。残念ながら、明治政府が鎮台兵と憲兵隊によって鎮圧し、わずか10日間の「天下」でした。
 困民党の総理田代栄助(51歳)は代言人でした。首謀者12人が死刑判決を受け、8人が執行され、1人がその前に獄死しましたが、残る3人は逃げのびました。
 会計長の井上伝蔵(30歳)は北海道に逃げて、65歳で病死しました。参謀長の菊地貫平(37歳)も逃げていましたが、別の強盗罪で捕まって十勝監獄で10数年間服役したのち自由の身となりました。乙大隊長の飯塚森蔵(30歳)は、九州そして四国へ落ちのびたらしいということが分かっています。
 明治政府は蜂起した農民を国事犯として扱わず、単なる暴徒として刑法で処罰しました。そのため、遺族は強盗や殺人犯の子どもという汚名を着せられ、長いあいだ泣き寝入りさせられたのです。
 秩父事件の原因については、当時の農民の生活がいきづまり、破産者(身代限り)が続出していたことが主たるものとしてあげられています。それなら、年間20万人以上の破産者のある今の方がもっと深刻のはず。武装蜂起はともかくとして、政府に「反乱」を起こすべきときではないでしょうか・・・。
 映画を見て、白タスキに白ハチマキに違和感を感じたのですが、この本によると、実際そのような服装をした人が多かったというので納得しました。死を覚悟しての行動だったので、死に装束としてきちんと正装していたというのです。なるほど、なるほどと改めて得心しました。

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