弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年1月26日

芥川龍之介の歴史認識

著者:関口安義、出版社:新日本出版社
 芥川龍之介は私も好きな作家です。今年度から、高校生向けの国語の教科書に『羅生門』が一斉に載っているそうです。
 芥川龍之介が社会主義者の久板卯之助から社会主義の信条を教わっていたことを初めて知りました。そして、社会主義の文献もかなり読んだようです。ところが、関東大震災のときには、自警団の一員として街頭に立ったりもしています。しかし、そのとき朝鮮人への虐待を目撃したことが、芥川龍之介の社会を見る眼をさらに深めたようです。
 この本の大きなテーマとなっているのは、芥川龍之介が一高に入学してまもなく(1911年、明治44年、2月1日)、徳富蘆花が一高の講堂で行った演説を聞いたかどうかということです。ひとつの演説を芥川が聞いたかどうかがなぜテーマになるかというと、やはり、演説の内容がすごかったことにあります。このときの蘆花の演説は謀叛論と言われ、ときの一高校長であった新渡戸稲造が文部省から戒告処分を受けたほどです。幸徳秋水らの大逆事件の処理に関して、蘆花は政府をきびしく弾劾しています。
 パラドックスのようであるが、負けるが勝ちである。死ぬるが生きるのである。政府は12名を殺すことで多くの無政府主義者の種をまくことになった。当局者はよく記憶しなければならない。強制的な一致は自由を殺す。すなわち生命を殺すのである。幸徳君たちは時の政府に謀叛人とみなされて殺された。が、謀叛を恐れてはならない。自ら謀叛人となるを恐れてはならない。新しいものは常に謀叛なのであるから。我らは生きねばならない。生きるためには謀叛しなければならない。停滞すれば墓となる。人生は解脱の連続である。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んで、もはや復活したのだ・・・。
 たしかに、芥川龍之介は、この蘆花の演説を聞いて大いに発奮したのだと思います。ところで、芥川龍之介は夏目漱石に『鼻』をほめられ、文壇に順調に登場したものと私は思っていました。しかし、とんでもありません。若い学生の分際でわけのわからん文章を書いている、そのように酷評されていたのです。もちろん、若い才能へのやっかみです。
 芥川龍之介は、それにめげることなく見返そうと必死の努力を作品にそそぎこみ、いくつもの傑作をものにしたのです。芥川龍之介を一層身近に感じることのできる本でした。

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