弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年1月14日

ベルリン陥落1945

著者:アントニー・ビーヴァー、出版社:白水社 
 1945年4月30日、ヒトラーは妻とともにベルリンの総統官邸でピストル自殺した。遺体はガソリンで焼却され、砲弾でくぼんだ地面に埋められた。やがて、ソ連軍が発見し、ヒトラーの遺体のあごを確保して歯科助手に確認させた。しかし、スターリンは最前線にいた赤軍の総司令官ジューコフ元帥にはそれを隠し続けた。
 600頁からなる大作です。ヒトラーのユダヤ人大虐殺をはじめとするファシズムの暴虐は絶対に許すことができませんが、この本は、スターリン指揮下のソ連赤軍の信じられないほど大がかりな蛮行をも明るみに出しています。ベルリンでソ連軍によってレイプされた犠牲者は13万人(うち1万人が自殺した)、全ドイツで少なくとも200万人のドイツ女性がレイプされたという。ただ、これも、ナチス・ドイツの捕虜となった赤軍兵士が英米軍人の捕虜とは差別され、まったくケダモノ同然で虐殺されていたことへの反動だった側面も否定できないと指摘されている。もちろん、だからといって報復レイプが許されるわけでは決してない。
 生きのびたドイツ共産党員がソ連軍を歓迎したところ、その妻や娘までもソ連軍にレイプされてしまった。その結果、多くのドイツ女性が性病にかかって治療を受けなければならなかった。これでは東ドイツでソ連の評判が悪かったのも当然だ。多くのソ連将校がドイツに占領地妻をかかえ、帰国のときソ連国内にいた妻の憤激を買った。もちろん、ドイツ人の男性も無事だったわけではない。捕虜としてソ連へ連行されて強制的に働かされた。生きて帰ったのは3分の2のみ。スターリンと赤軍の元帥たちは、ヒトラーと同じで兵士の生命にほとんど関心をはらわなかった。ベルリン作戦だけでソ連軍の戦死者7万人、負傷者27万人。これは、アメリカ軍がベルリンに到着する前に占領しようと無理したことが原因だ。また、ドイツに捕虜になった赤軍兵士150万人は解放されても、スターリンはスパイの恐れありとして、強制収容所やシベリアへ送った。この間、アメリカ司令部は、アメリカ兵士たちを殺したくないといって進撃をためらっていた。
 スターリンはベルリンを陥落させた赤軍とジューコフ元帥の評判が高まると自らの地位を脅かすと考え、そうならないように周到な手をうっていった。ヒトラーの遺体発見をジューコフ元帥に隠したのも、そのひとつだった。
 ベルリン陥落に至るまでの無惨な戦争の実相が暴かれています。頁をめくる手が重たく感じられましたが、なんとか、最後までたどり着きました。レイプ被害にあった女性は本当に哀れです。しかし、ドイツ女性の目からみて、生き残って帰ってきた男性はもっと深刻な精神的打撃を受けており、容易に立ち直れなかったとも書かれています。弱い性は女性とばかりは言えないというところに、人間の本質もあるようで、いろいろ考えさせられました。名実ともにズシリと重たい本です。               (霧山昴)

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