弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年10月 1日

新選組

著者:松浦玲、出版社:岩波新書
 近藤勇は、長文の手紙を何通も書いたという。しかし、従来の新選組研究に、その手紙がきちんと生かされていない。このことを著者は嘆いている。
 坂本龍馬と中岡慎太郎を殺したのは、新選組ではなかった(見廻り組が犯人)。しかし、近藤勇が流山で逮捕されたとき、坂本竜馬を暗殺したのは新撰組だと思っていた土佐人(谷干城が代表格)が寛容派の薩摩と激しくやりあった。薩摩の平田九十郎は、近藤勇の尋問が勝海舟や大久保一翁との関係に及ぶのを食いとめるのに懸命だったという。拷問もさせなかった。軍監(水戸人)が厳罰派だったため、20日以上ももみあった末に近藤勇は斬首され、東京と京都で首が晒された。
 新選組には新人が次々に入ってきたというのが驚きだ。京都での最盛時に200人、甲陽鎮撫隊で200人、五兵衛新田から流山では200人を超えた。函館で降伏したときにも100人の規模。その理由は、刀一本でまったく無名の浪士から幕臣になれるというコースは新選組以外にはありえなかった。徳川幕府支持の大枠のなかにいて武士になりたいと願う庶民にとっては輝ける登竜門だった。新人の多くは武州多摩の出身。多摩は、やがて自由民権運動の一大拠点となった。うーん、なるほど、そうだったのか・・・。
 それにしても、新選組の生き残りが1938年(昭和13年)まで生きていたというのには驚いた。90歳まで長生きし、作家の子母澤寛に新選組のことを語ったのは1929年(昭和4年)、81歳のときだった。うーん、新選組って、遠い江戸時代、幕末のころの話なんだけど、その登場人物って、明治、大正時代を経て昭和まで生きていたのか・・・。

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