弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2004年9月 1日
税金返せ!
著者:玉川徹、出版社:新潮社
私はテレビを見ません。最近まで、テレビ自体がありませんでした(たまにビデオを見ることはあります。ただし、映画は月に1本か2本は見ます。やっぱり映画館の広いスクリーンで見たいものです)。だから、テレビのワイドショーも全然見たことがありません。テレビには録画どりも生放送も出たことがあります。どちらも、ディレクターの指示どおりにしゃべりました。出演者は勝手にしゃべっているように見えて、実は大変な制約があるということを実感しました。
テレビは集中豪雨的に枝葉末節なことをあたかもこれが国をゆるがす根幹に関わる重大事であるかのように錯覚させる麻薬のようなものです。
ここで取りあげられた問題は、たしかにどれも大きな問題だと私も思います。しかし、税金を返せというなら、もっと本当に国の根本に関わる問題にテレビは迫ってもいいように思います。たとえば、大型公共事業の無駄、アメリカの国債購入の大変なリスクなどなど・・・です。
霞ヶ関の庁舎の地下に温水プールをつくろうとしていたこと、官僚の宿舎があまりにも実勢と離れた低家賃であること。たしかに問題です。でも、そんな官僚システムをたたくだけで根本の問題は解決しないように思います。
小泉首相を天まで持ち上げてきたマスコミについて、私は根本的な不信感をどうしても払拭しきれません。
変わる韓国
著者:面川誠、出版社:新日本出版社
近くて遠い国がお隣の韓国です。韓国の廬武鉉大統領は人権派弁護士です。いつのまにか韓国は「反共の国」から変わったようです。といっても、韓国はイラクへ軍隊を送っています。アメリカとの関係で対等の地位を築きたいと努力しつつ、投資家のために対米トラブルを避けるとの現実的配慮からなされたイラク派兵でした。廬大統領の支持基盤がこぞってイラク派兵に反対していることから苦渋の選択だったと思い
ます。
韓国を変えているのは20代、30代の青年のように思います。2年間の徴兵制があっても、韓国の青年は健全だし、行動力を喪っていないようです。
ひるがえって、日本の20代、30代の青年に、このような元気というか行動力があるのか、団塊オジサンとしてはいささか心配になりました。 いかがでしょうか・・・。
野中広務── 差別と権力
著者:魚住昭、出版社:講談社
野中広務というと、そのイカツイ顔からも、いかにも権謀術数を駆使する政治屋としか思えず、好きではありませんでした。この本を読むと、その政治家としての複雑な生きざまの根源が少し分かる気がします。
ところで、私がこの本を読んで、もっとも腹がたって仕方がなかったのは、麻生太郎総務庁長官の発言でした。
「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」
麻生事務所によると、これは「地元・福岡の炭鉱にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」ということですが、それでは弁明にもなりません。これでは、部落差別をなくしましょうという政府のキャンペーンなんて、いかにもそらぞらしいものです。
野中広務は、部落解放同盟の全国集会で「私も部落に生まれた一人です」と公然と名乗っています。しかし、差別をバネとして権力の中枢に喰いこんでいくわけです。ところが、同時に、野中広務は京都の蜷川革新政府を支えた時期があったり、決して一筋縄ではいきません。機を見る敏な政治家(屋)なのです。そして結局、今の小泉首相との権力闘争に敗れ、政界を引退してしまいます。
人間とは、かくも複雑な生きものなのか。政治家のオモテとウラを考える格好の材料になる本です。
攻撃計画
著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞社
マイケル・ムーア監督の映画『華氏9.11』を見ました。圧巻だったのは、9.11直後、小学校の教室にいるブッシュのいかにも間抜けな表情です。知性のかけらもうかがえません。ブッシュが自分と自分につらなる一族そして取り巻きの上流社会の利益しか考えていないことがよく分かる衝撃的な映画でした。小泉首相は、あんなプロパガンダ映画は見る必要ないと語ったようですが、顔を洗ってじっくり見てほしいと思いました。
ブッシュのイラク戦争というサブタイトルのついた本です。ホワイトハウス内のさまざまな人間模様が描かれ、イラク戦争へアメリカがつきすすんでいく過程が刻明に描かれています。イラク内にアメリカ(CIA)が雇ったスパイがいて、フセインの居住を通報してくると、直ちにトマホークを出動させるという場面が出てきます。フセイン政権が内部崩壊していた証明でもある気がします。ブッシュとパウエルの矛盾もあったようですが、ともかく戦争へやみくもにつっ走っていくブッシュと軍部の怖さを実感しました。
映画館が久しぶりに満席でした。日本人もまだ捨てたものではないなと思いました。
始皇帝陵と兵馬俑
著者:鶴間和幸、出版社:講談社学術文庫
この夏、10日間ほど中国を旅行し、西安にも行ってきました。2度目でしたが、兵馬俑を見るのが楽しみでした。
じりじり焼けつくすような快晴の日でした。兵馬俑博物館の1号館は兵馬俑6,000体が並び埋もれている広大な展示場です。現地に立つと、ただただ圧倒され、声も出ません。大勢の中国人観光客が来ていましたが、オオーッという喊声のあと言葉にならないのは私たちと同じです。兵馬俑とは、実物大の兵士の焼き物のことです。紀元前247年に即位した秦王政がつくらせたのですから、まさに2000年以上も前につくられたものです。一体一体が手づくりで、しかも写実的です。当時は彩色されていたようですから、6000体の兵馬俑は壮観だったでしょう。
兵士だけでなく、文官や力士なども俑としてつくられています。膨大な人々が兵馬俑をつくるのに駆り出されていたのでしょうが、ともかく貴重な世界遺跡であることは間違いありません。コンピューターグラフィックで全体像を推定復元し、広く公開してほしいものだとつくづく思いました。
人類の月面着陸は無かったろう論
著者:副島隆彦、出版社:徳間書店
アメリカのアポロ宇宙船は月に着陸して人間が歩いたというのは定説です。私の夏の夜の楽しみは望遠鏡で月面を眺めることです。寝る前のひととき、ベランダに出て望遠鏡で月をじっくり見るのです。暑くほてった身体を冷やすという現実的な効果も
あるのですが、それ以上に、ケプラーが決して見ることのできなかったであろう月面のあばただらけの表情を観察すると、人類の存在がいかにちっぽけであるか、人々のトラブル解決を主とする日々の営みがたいしたことでもないと思えてきて、気が休まります。
それはともかく、この本はアメリカのアポロ船は月面着陸していなかったというものです。前に似たような表題の本を読みましたが、もっと徹底しています。そんなこと今さらどうだっていいんじゃないの。こんな反応をした人が身近にいましたが、私は決してそうは思いません。人類の到達点を知りたいと思いますし、何より、騙されていたのかどうかは絶対に知りたいと思います。
月面着陸したアポロ船が月に置いてきたものがあるはずですから、それを人工衛星の写真で証明すれば、たちどころに解決してしまう問題です。きわめて簡単のように思うのですが、実はまったくなされていません。では、アポロが月から持ち帰ってきた月の石は、なんと、今までその科学的分析は公表されていないというのです。では何だったのか?
アメリカがソ連に追いつき追いこしたことを「証明」するために映像をつくっただけだというのです。だから、どの場面にも背景に星が見えず、同じような地形しかありません。星が見えたら、それによって位置が分析できます。地形はアメリカの砂漠だというのです。
真空なのにアメリカの国旗が風で揺れているなんてありえないと指摘されています。私は、そのビデオを見ていませんが、たしかに疑問だらけです。「知の巨人」としてもてはやされている立花隆は、CIAの手先であり、CIAの騙しの片棒をかついでいると糾弾されています。ああ、私も真実が知りたい・・・!
9.11ジェネレーション
著者:岡崎玲子、出版社:集英社文庫
アメリカ留学中の日本人女子高生の体験記です。えっ、本当に女子高校生が書いたの・・・。読んで、思わず驚きました。あまりにも大人の言葉なのです。すごい・・・。次の言葉が、しばらく見つかりませんでした。
15歳でアメリカの私立高校・チョート校に入学して2年目に、9.11を体験しました。アメリカが日に日に好戦的になっていく様子を冷静な目で批判的に伝えてくれます。
キャンパスでは、湾岸地域でアメリカ軍が大々的に展開してイラク攻撃の可能性が現実味をおび始めたころから国家政策を支持する人が増えていった。クラスメイトが、アメリカ軍の威信を傷つけようとする非戦主義者は、アメリカ人として罰当たりだと熱弁をふるう。アメリカ軍に水をさす者には、「非国民」のレッテルが貼られ、反戦の意思表示が一段と困難になった。FOXテレビはブッシュ大統領を絶対的に支持し、センセーショナルで楽観的な戦争報道が人気を集め、CNNを視聴率で上まわった。アメリカ軍が劣化ウラン弾を使用しているという報道はアメリカでは見かけない。ピンポイント爆撃で戦いが実現されるという宣伝を、人々は信じてしまった。
アメリカの国家政策に異論を唱えれば、「非国民」とか「スパイ」と中傷され、外見や名前がステレオタイプにあてはまる人物が誰でも反逆罪を犯すかのように逮捕される。これはアメリカが批判する抑圧的な政権下でこそみられそうな風潮だ。
うーん、すごい・・・。素直に、若者に学ぶしかないと白状します。
イラク戦争の30日
江戸の旅文化
著者:神崎宣武、出版社:岩波新書
江戸時代の日本は、世界に冠たる旅行大国でありました。伊勢参宮ひとつをとっても、現代の海外旅行の人口比に匹敵するほどの人出があったのです。
女性も盛んに旅をしていました。40歳代から50歳代の女性が何ヶ月も夫と家庭を放り出して全国を旅していました。それだけではありません。なんと20歳前の若い女性も、自分たちだけで旅をしていたのです。それほど道中は安全でした。
温泉へ、男も女も出かけました。お風呂は混浴です。そう言えば、父の出身地(大川市)では、昭和30年代はじめまで、共同風呂は混浴でした。そのうち、男女を区切るしきりがつきましたが・・・。ですから、日本古来の淳風美浴とは、男女混浴が平気だということなのです。風紀紊乱は、古代から日本のお得意とするところなのです。
日本人は昔から団体旅行が好きで、おみやげを大量に買って帰ることも、江戸時代からありました。旅のガイドブックが相次いで出版され、いずれもベストセラーになっていました。昔から日本人は好奇心が強く、「異国の地」への憧れを実行せずにはおれなかったのです。
世界はエイズとどう闘ってきたのか
著者:宮田一雄、出版社:ポット出版
いま、世界では、1ヶ月に6人の割合で25歳未満の若者がHIVに感染している。アフリカのボツワナで女性25%、男性11%、アジアのカンボジアで女性3.5%。男性2.4%。世界全体で15〜24歳の感染者は女性640万人、男性390万人の合計1030万人。
若者の場合、女性の感染者は男性の2〜4倍。また10代の少女を20代後半から30代、40代の男性がセックスの対象としているので、男女間の感染の年齢差が生じている。
2006年に日本の感染者は2万2000人になると推測されている。国連の推計では、4200万人のHIV感染者がいて、年間500万人が新たに感染し、310万人がエイズで死亡している。日本も、もっと取り組むべき課題だと痛感させられる。
国会入門
著者:浅野一郎、出版社:信山社
実は、国会議事堂のなかに、残念ながら、私は一度も入ったことがありません。首相官邸には3回入ったことがあります。議員会館の方は、衆参両院とも、何度もありますが。
テレビで中継される国会の審議状況だけでは、国会の本当のことは分かりません。この本は、初心者にも国会とは何か、国会議員や秘書がどんなことをしているのかを分かりやすく解説してくれています。国会全体が見渡せる総合的な入門書としては、よくできていると思いました。
公職選挙法は、現職有利、政権党(与党)有利な「べからず集」だということも、よく読めば分かります。私は戸別訪問の禁止は時代錯誤だと思うのですが、この本でも、「戸別訪問を禁じているのは、選挙民つまり国民を信用していない戦前の選挙観の名残りともいえる」と指摘しています。
日本の投票率が6割を切っているのは、マスコミが政治不信をあおり、棄権を美化するからだと思います。投票率が7割から8割になったら、日本の国会は劇的によくなることでしょう。
国会議員の年収は3350万円。このほか、政党助成金があり、受けとっていない日本共産党議員のほかに対して、1人あたり4360万円も支払われています。政党助成金の実態は不明だとこの本も指摘していますが、本来の歳費よりも多い「副収入」というのには改めて大きな疑問を感じます。
日弁連執行部にいたとき、私もその一員として国会議員対策を1年間ほどやりましたが、朝8時からの朝食会が連日のように開かれているのを知り、驚きました。国会議員は早朝から動き出すものなのです。夜の赤坂料亭だけで政治は動いていないので
すね。
国会審議が全部テレビで中継されるようになったらもっと活性化するのではないでしょうか。相撲や野球・サッカーの実況中継以上に、それは国民に知らせるべき内容だと思うのですが・・・。
夫婦で暮らしたラオス
夜のある町で
著者:荒川洋治、出版社:みすず書房
私と同世代の詩人によるエッセー集です。さすが詩人だけあって言葉の力を大切にしている人なんだということが、よく分かります。
詩の朗読を著者は否定しています。すぐれた詩には、その文字のなかにゆたかな音楽が、音楽性があるから、それで十分。朗読は詩から文字要素を捨てさってしまう。だから反対するのです。
朗読をはじめると、同音異義語など、耳にやっかいな表現を排し、耳に届くとろけた言葉を好んで使って書くようになるので、言葉も思考もやせほそる。朗読詩人は、知名度を高めたが、詩の質量は落とした。朗読会で、詩人は自分の作品だけを読む。自己顕示、自己広報、自己陶酔が目的だ。
コトバを大切にする人は、文字も大切にするんだと思いました。目で見た文字も、やはりコトバの生命なのです。
革命的左翼という擬制
写説・坂の上の雲
著者:谷沢永一、出版社:ビジネス社
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は文春文庫で8冊になる長編小説。この本は日露戦争について写真とあらすじだけで迫ったもの。実は、秋山好古が大将となったとき、その副官として私の母の異母姉の夫(中村次喜蔵、のちに中将)がつかえたことを知って、さらに親近感を覚えたという私的な事情がある。
秋山好古(よしふる)は、日露戦争のとき、世界最強の騎兵とうたわれていたロシアのコサック騎兵軍団をうち破って高名をはせた。明治20年から5年間フランスに留学して騎兵として学んでいもいる。日本海海戦で東郷平八郎大将の作戦参謀として有名な秋山真之(さねゆき)は好古の実弟。
秋山好古は陸軍大将で退位したあとは故郷の松山に戻って、私立の中学校(今の高校)の校長をつとめた。福沢諭吉を尊敬し、子どもたちも慶応に入れて普通の市民にしたという。
弁護士は奇策で勝負する
著者:ディヴィッド・ローゼンフェルト、出版社:文春文庫
アメリカの法廷ミステリーはなかなか読ませるものが多いのですが、これも面白く読み通しました。ただし、弁護士が書いたものではありません。著者の前職は映画のプロデューサーのようです。
アメリカの支配階級が若いころに過ちをおかしたときにどういう行動をとるのか。
ケネディー一家にもよく似た事件がありました。無実の人間が死刑判決を受け、あと3週間で執行される。それまでに無罪を獲得しようというストーリーです。アメリカの弁護士が使ういろんな手練手管が紹介されています。主人公が浮気をしたり、それが妻にバレたりしながらヨロヨロと展開していく状況が実にアメリカ的です。
ソファーに寝そべりながら読むのに絶好の本です。
日本縦断、徒歩の旅
著者:石川文洋、出版社:岩波新書
65歳になって、北海道・宗谷岬から沖縄まで、5ヶ月間ひたすらテクテク歩いたという。それだけでもすごいことだ。尊敬してしまう。
この本を読むと、日本が歩きにくい国であること、「古き良き日本」が変身中であることがよく分かる。しかしまた、日本人の良さが完全に失われてしまったわけでもないことも分かる。
私にはとても真似してみようという気はないが、江戸時代の日本人には男も女も同じように日本中を歩く人が何人もいたことが判明している。道中日記が残されていて、活字になっている。
私も日本全国くまなく旅行してみたいとは思っている。まだまだ行っていないところ、行ってみたいところがたくさんあるから・・・。
ロシアは今日も荒れ模様
著者:米原万里、出版社:講談社文庫
この10年間にロシア人の平均寿命は5歳も縮まり、57歳となった。いま16歳の青年のうち60歳まで生きながらえるのは、100人のうち、わずか半分の54人という。驚くべき数字だ。というのも、ロシア人の平均飲酒量は、この5年間でWHOの定める限度8リットルをはるかに上まわる年間13リットルになっているから。
ゴルバチョフはアルコールを節制しようと理性的な呼びかけをしてロシア人の反感を買ってしまった。しかもゴルバチョフは、一度もロシア人の普通選挙の試練を経ていないという弱点があった。
エリツィンの風見鶏みたいな弱点も大胆に紹介するロシア語通訳の女傑による本です。いえ、これは決して嫌味ではありません。私は、とてもかなわない女性だと、心の底から尊敬しているのです。
新撰組実録
セックス・ボランティア
シンポジウム・イラク戦争
著者:冨澤暉、出版社:かや軍事叢書
今回のアメリカによるイラク侵略戦争を軍事科学からどう統括するか、という自衛隊の元幹部によるシンポジウムをまとめた本です。
同台経済懇話会というのがあることをつい先ごろ知りましたが、この本によると、陸軍士官学校と幼年学校の出身で、戦後、官庁・企業・団体・法曹界で活躍している有志の団体です。1975年に発足し、上場企業の役員を主として、会員1000人。現在は防衛大学校出身者も会員としています。
軍事革命(RMA)とは何かというのが主要なテーマとなっています。今回のイラク戦争は、「全縦深目標直撃無停止攻撃」と定義できる。イラク戦争の真っ最中にも、ペルシャ湾には、日本のタンカーが1日あたり40隻も行き来していた。いくらRMAが発達しても、しょせん最後の戦勝を決めるのは、死の危険をいとわない任務に邁進する使命感をもった兵士だ。これに勝る近代兵器はない。
私は自衛隊の幹部(いわゆる制服組)が日本の政治の表舞台に登場しつつあると認識していますが、これこそ軍国主義復活だと恐れます。しょせん軍人とは、人殺しの技術を身につけた技術屋集団でしかありません。軍隊に権力をもたせていいことは何ひとつ考えられません。そもそも、いかに効率よく多数の人を殺せるかという議論を何の心の痛みもなくできるという人を、果たして人間と言えるのでしょうか・・・。
警察の視点、社会の視点
著者:広畑史朗、出版社:啓正社
著者は現在、福岡県警本部長です。栃木県警本部長をつとめていたとき、石橋警察署で、被害者の親からの捜査要請を無視しているうちに、その少年が殺害されたという重大な警察のミスが発覚しました。この対処をめぐって、各署に出かけて一般署員に向けてした訓話を中心にまとめた本です。
著者は、その後、政府の司法制度改革推進本部のもとにおかれた裁判員制度・刑事検討会の委員もつとめています。いわば警察官僚のチャンピオンなのです。私も一度その講演を拝聴しましたが、なるほどと思わせるソフトな語り口でした。
警察官に不祥事が多いというけど、実はそれほどでもない。弁護士に比べたら格段ましなんだ。このことが何度も紹介されています。警察官の士気を高揚するために本部長として言いたかったことでしょうが、弁護士である私には、やはり大いにひっかかります。
「バブル経済の崩壊後、毎年2桁台の弁護士が逮捕されている。弁護士は1万7千人、警察職員は26万人だから、警察官が年間150人以上捕まる計算となる。警察職員より弁護士集団の方が犯罪発生比率のはるかに高いことは、案外知られていない」
「弁護士の現職は1万5千人、うち懲戒請求が1030件。弁護士の10数人に1人がクライアントから不適正だとして懲戒請求を受けている。なかなかのものじゃないか、ということを公然と言いたいのを私はじっと我慢している」
私も弁護士に非行がないとはもちろん言いません。しかし、弁護士の逮捕が年間2桁というのを問題とするなら、警察は例の裏金を自ら全面的に明らかにしてからモノを言うべきだと思います。証拠となる会計帳簿を自ら処分しておいて、真相究明できませんでしたというのは通りません。しかも、ことは本部長以下、部長クラスの幹部がほとんど利益を享受していたという問題なのです。警察が国民の信用を回復するためには、まずは裏金問題を公正に処理すべきではないでしょうか。
上がれ、空き缶衛星
著者:川島レイ、出版社:新潮社
350ミリリットルのジュース缶が人工衛星になるなんて・・・。しかも、それを大学(院)生が打ち上げるとは、信じがたい話です。世の中もすすんだものですね。さらにそのあと、1辺が10センチのサイコロ型の、人間の手のひらにのってしまうほど極小の衛星を同じく大学(院)生がつくって宇宙へ打ちあげ、今も立派に実用衛星として通用しているというのです。たいしたものです。
この本は、そんな空き缶衛星を大学(院)生たちが打ちあげに至るまでをドキュメントタッチで追いかけています。ブレインストーミングという、枠にとらわれない自由な発想の議論、助走期間中にしぼまないようなアドバイスが必要なことなどの教訓も紹介され、はじめは荒唐無稽であっても、工夫次第でモノになることがあることが示されています。いつまでも夢をもち続けることの大切さが伝わってくる本です。
金正日の私生活
著者:藤本健二、出版社:扶桑社
金正日氏のお抱え料理人として13年間仕えていたという日本人調理士が金正日氏の私生活を暴いた本です。これを読んだら北朝鮮の政治の動向が分かるというものではありません。それより、金正日氏一家などの支配階級の日常生活について、調理人の眼を通して、その一端が図や写真つきで開設されているところに、この本の面白さがあります。招待所の内部の配置図がきわめて詳細です。やはり現場を見た人だからこそ、と私は思いました。
著者は金正日氏に個人的に可愛がられたため、人間としては今も大変な愛着をもっているようです。
北朝鮮の招待所って、どんなところなのかな、と思う人には参考になります。
孝明天皇と一会桑
著者:家近良樹、出版社:文芸新書
「一会桑」(いっかいそう)という言葉を私は知りませんでした。一橋慶喜、会津藩、桑名藩の頭文字をとった言葉です。幕末の孝明天皇と一会桑は、お互いを必要不可欠の存在として認めあい、深く依存する関係にあった。
明治以降の日本人が想像してきたほど、薩長両藩の「倒幕芝居」における役割は圧倒的なものではなかった。それより、今までの政治体制ではダメだという多くの人々の思いが政治を変えた。「一会桑」などが中心になった長州再征がうまくいかなかったのも、日本全国に内輪もめはやめろという意見が強かったからだ。
幕末の政治情勢と天皇の果たした役割について考えるうえで、大変勉強になりました。
戦場の精神史
著者:佐伯真一、出版社:NHKブックス
実に面白い本でした。知らないって恐ろしいと思いました。武士道について、根本的に考え直させられました。
新渡戸稲造の『武士道』が有名ですが、これは1899年(明治32年)にアメリカで刊行された本です。新渡戸は『武士道』という言葉は自分のつくった言葉(造語)だと思っていたそうです。それほど、日本の武士道の先例を知らなかったのです。いや、日本の歴史や文化についてほとんど知らないまま、アメリカで病気療養中に、いわば自分の思いこみで書いた本なのです。
そもそも武士道という言葉は中世の文献にはほとんど出てこない。ようやく戦国時代から使われるようになったが、それほど多用されていたわけでもない。爆発的に流行するのは、明治30年代以降のこと。武士道というのは歴史の浅い言葉。江戸時代までの日本の武道は、ひずかしくすすどくあらねばならないと教えてきたと貝原益軒は批判している。「ひずかし」とは、心がねじけ、ひねくれているさま、「すすどし」とは、機敏で油断がならないさま。人のとった敵の首をも奪って自分の手柄にするようなのが日本の武道なのだ、というわけです。要するに、切り取り強盗は武士の習い、というのです。
武士は戦いにおいては、もっぱら虚言を用いるのだ。それを嘘をついたといって非難するのは、何も分かっていない女のような奴である(『甲陽軍艦』)。
戦場において一騎打ちの闘いがルール化されていたというのは誤った幻想でしかない。 ひたすら勝つことが大事であって、敵を騙すことは非難されるべきことではない。
このことが「平家物語」やら「将門記」「吾妻鏡」「太平記」など、いくつもの文献をひいて実例があげられています。そこまでやるか、と驚くほどのえげつない騙し方がいくつもあります。しかし、それは騙し方、つまり勝った方がいかに賢かったかという賞賛の手柄話であって、決して非難されてはいないのです。
「武士道」の実体を知った思いです。
火天の城
著者:山本兼一、出版社:文芸春秋
信長の築いた安土城をつくった大工の棟梁の父と子を描いた本です。安土城の跡地に足を運んで、天守閣のあったその場に立ったことがあるだけに、また、近くの博物館に原寸で想像復元したものを見たものですから、大工たちの苦労をビンビンと身体で感じることができました。
天守閣に信長が居住し、そのすぐ近くで、しかも低いところに本丸があり、その御殿に天皇を迎える構えでした。信長は自分こそ天下人であることを誰の目にも明らかにしようとしたのです。
全山すべてがお城だった安土城が焼失し、それを描いた絵もほとんどないというのは残念です。南蛮風というより、ヨーロッパの教会やお城の様式も取り入れてつくったという八角形の天守閣を色つきのまま拝んでみたかったものだと思いました。
福岡県弁護士会史
著:福岡県弁護士会
900頁ほどの大作なので、その厚さにおそれをなしてか福岡の中堅弁護士でも意外に読んだ人は少ない。しかし、私は会の役員になる前に3回通読したが、本当に面白いし、よくできていると思う。
この夏、母の父の伝記を書くため、汗をかきかき読みふけった。読んでいるうちに眠たくなったときには、昼寝用の枕にも代用した。ぴったりの高さなのだ。何がそんなに面白いか、少し紹介してみたい。
「三百代言」という言葉があり、代言人というと悪いイメージがある。しかし、代言人の質は想像されているほど低くはなかった。明治19年の代言人試験は、すべて論文式で、3日がかり。朝7時から12時まで、そして昼1時から6時までの各5時間に長文の1問に答える。民事に関する問題、刑事に関する問題、訴訟の手続、裁判に関する諸規則と問題は大別されていた。最近のように民法と商法、破産法というように法律ごとに細分化されてはいない、たとえば、次のような設問。
学者甲が乙に手紙を贈った。文章は絶妙、字体もまことに美しい。乙は甲に無断で石版印刷して売り出した。甲が異議を述べて発売差止の訴訟を起こした。このとき、理由を詳述して甲乙の曲直を判定せよ。
うーん、発売差止訴訟か・・・。まさに現代日本でもホットなテーマだ。この4月にスタートした法科大学院の卒業生の受ける新しい司法試験も、これまでの法律科目ごとの試験ではなくて、広く民事に関する問題として長文を読ませて判定文を起案させる形式が考えられているそうだ。だったら、明治時代に戻ったと言えなくもない。
明治時代には付帯私訴が認められていた。つまり刑事裁判において、被害者が民事上の賠償請求することができた。これはフランス法にある手続で、被害者保護の観点から現代日本でもこれを復活させようという動きがある。しかし、これには被告人の無罪推定や疑わしきは罰せずなどの刑事手続きで守られるべき原則と矛盾する面がないのか、など難しい論点がある。
ところで、日本人は昔から裁判を好まなかったとよく言われるが、とんでもない間違い。むしろ、日本人は昔から裁判が好きな民族だった。明治時代の裁判所には、今の調停申立が100万件もあった(明治16年がピークで110万件)。勧解と呼んでいた。もちろん、一般民事裁判も多かった。明治時代の人口は今の半分もないなかで、明治16年に地裁に年3万件、区ないし治安裁判所(簡易裁判所に相当)に年19万件あった。ちなみに、2003年度の東京簡裁は調停5万件、一般民事裁判は7万件だった。
だから、明治14年に福地源一郎が東京日日新聞の社説で、我が国には健訟の弊風があって、民事訴訟が増えているが、これには人民相互の権利争いを挑発する代言人の存在があると主張した。もちろん、代言人側は、この主張に猛反撥した。
弁護士人口は大正末から昭和初めにかけて急増した。大正10年(1921年)の弁護士試験の合格者は102人だったが、翌11年(1922年)には、一挙に2倍以上の262人となった。これは高文司法科試験になっても変わらず、昭和5年(1930年)には、400人台となった。その結果、全国の弁護士がわずか7年間で5割増となった。福岡でも毎年20人ほどの新規登録があり、東京からの登録換えも目立った。
これは、まるで現代日本の状況と同じ。いま福岡には毎年20人から30人ほどの新規登録があり、東京からの登録換えも目立つほどではないが、ボチボチあっている。
面白いのは、当時、出張事務所が認められていたということ。東京の弁護士が福岡に出張事務所を設けたり、県内でも複数の事務所を構えることが許されていた。いまは、弁護士法人を設立したら、それが可能になっている。ただ、出張事務所は弁護士の看板のもとで事務員が事件屋みたいなことをしているというので問題になって、やがて廃止された。
弁護士が広告に励んでいた時期もある。新聞広告を出して客を勧誘することが認められていた。最近になって弁護士広告が解禁されたが、まだまだ広告をのせている弁護士は少ない。東京では地下鉄などに大きな広告を出している弁護士がいるが、弁護士仲間からはあまり評判が良くない。というのも、弁護士というより実は事務員が事件の処理をしている疑いがあるからだ。
歴史は繰り返すとよく言われる。もちろん、単純にくり返すはずはない。しかし、いま司法制度が大きく変わろうとしているとき、先人の歩みをたどり、そこから教訓を学ぶことは決して無駄ではないと思う。