弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年8月 1日

日露戦争スタディーズ

著者:小森陽一、出版社:紀伊国屋書店
 日露戦争が始まる前、ロシアは韓国侵略の意図をまったくもたず、むしろ南満州から全面的に撤退してでも日本との戦争は回避したかった。というのは、ヨーロッパ情勢が急速に緊張していたから。ロシア陸軍は対日戦争の準備も研究もしていなかった(大江志乃夫)。ええっー、本当なの、それって・・・。腰を抜かすほどの衝撃を受けました。
 日本は1904年2月8日夜に旅順港外に停泊中のロシア艦隊を攻撃し、翌9日に朝鮮仁川沖でロシア軍艦2隻を攻撃した。日本がロシアに宣戦布告したのは、その翌日の2月10日だった。だから、ロシアは宣戦布告前に攻撃したのは国際法違反だと強く訴えた。しかし、あまり問題にならなかった。当時は大半の戦争が宣戦布告なしに始まっていたし、宣戦布告前の攻撃を違法とする条約はまだなかったからだ(伊香俊哉)。
 真珠湾攻撃前にも日本は奇襲攻撃していたなんて、知りませんでした。
 日本軍が旅順港口閉塞作戦に失敗するなかで「軍神広瀬中佐」報道が華々しかった。しかし、これは、明らかな軍事的失敗を隠蔽しつつ、その一部の行動だけを取り出して英雄的な行動と描き出し、放っておくと単なる「犬死」でしかない戦死を「軍神」として国民全体の士気の高揚を図るという情報操作だった。
 なるほどと思いました。戦争が始まって「朝日新聞」は事業を拡大していき、メディアの欲望のなかで戦争がけしかけられていったのです。ところが、「軍神広瀬中佐」神話に対して、夏目漱石は公然と違和感を表明しました。それは、有名な『吾輩は猫である』にも描かれています。ちっとも知りませんでした・・・!

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