弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年7月 1日

近代日本と仏蘭西

著者:三浦信孝、出版社:大修館書店
 私がフランス語の勉強を始めたのは、大学に入って第二外国語として選択してからのことですから、恐るべきことになんと37年前のことになります。その割には、今でもちっともうまく話せません。それでも、聞いてかなり分かるようにはなりましたし、仏検の準一級にも一応は合格しました。今年の6月にも受験して、ギリギリで一次合格できるかな、という点数をとりました。
 私がフランス語を志した動機は不純というか、単純です。2つありました。今でもはっきり覚えています。大学に合格したあと、入学手続に必要な書類を書きながら、フランス美人と話ができるようになったら(もちろん、口説けたら、という意味です)、どんなにかいいだろう。それに美味しいフランス料理をメニューを読んで注文して楽しめるようになったらいいだろうな・・・。幸い、あとの方はほぼ目標を達成することができましたが、前の方は、フランス美人を口説くなんておそれ多くて、とてもとてもです。残念です。
 この本によって、日本とフランスの深い関わりあいを識ることができました。たとえば、明治6年、大久保利通はフランスから帰って、民主共和制治は天の理によく適ったものだという意見を書いています。同じく、西音寺公望も、自由こそが文明富強の源だと言っていました。つまり、この当時の明治政府の首脳は、日本の人民は自由自主の気性を身につけなければならないとさかんに言っていたのです。明治政府も自由民権運動も、立憲政治の実現という点では、共通の政治的目標を目ざしていたというわけです。
 アナーキストの大杉栄がパリのサンテ監獄に入っていて、帰国してまもなくの関東大震災のときに虐殺されたのは周知の事実ですが、犯人は甘粕大尉ではないという説があることを、私は始めて知りました。鎌田慧がそう言っています。

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