弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2004年4月 1日
財閥と帝国主義
著者:坂本雅子、出版社:ミネルヴァ書房
三井物産と戦前の中国との関わりをテーマとしています。三井物産は軍部と結びついて中国でのアヘン販売に関わっていました。日本軍が大量のアヘンを中国で販売したのは、アヘン販売が手っとり早い資金獲得の方法であったからです。これによって得た資金は、傀儡政権の財源や日本軍の謀略工作の費用に用いられていました。
三井物産は三井財閥の中枢にあり、資本金1億円という日本一の巨大私企業でした。また、三井財閥は他財閥に群を抜く巨大財閥であり、国家政策への影響力も格別に大きいものがありました。
中国は、日本にとって武器輸出の中心的な市場でもありました。中国軍に日本製の武器を売り込み、日本製の武器で統一させ、中国市場を恒久的なものにしようとしたのです。ちょうど、今の日本の自衛隊とアメリカとの関係です。アメリカはアメリカ軍の規格にあわない自衛隊の装備を日本に認めていません。
中国東北部(満州)にあった日本の経済界は、張作霖が商売の邪魔をしているとして、その排除を強硬に要求しました。関東軍による張作霖爆殺事件も、それを背景にしたものだったのです。
著者は、日本の中国進出について、独占が形成されて過剰資本となったはけ口としてなされたというレーニン型の見解を否定しています。独占の形成される前から三井物産は中国へ進出していったからです。三井物産という財閥会社と中国侵略について、改めて考えさせられました。
生活形式の民主主義
著者:ハル・コック、出版社:花伝社
デンマークの学者による、民主主義とは何かを考えた本です。40年前に書かれていますが、内容は新鮮そのものです。書かれた時期を知らずに読むと、現代日本について警告を発した本ではないか、そうとしか思えません。
「もっとも太った人々は、もっとも賢い人々でもある」
そうと言えないことは、現代日本の金満家たちの愚行で証明ずみです。
「戦争が正しい者を決めることはけっしてできない。ただ、最強者を決めることができるだけである。人間には、勝利と正義とを一緒くたにする特別な傾向がある。警察と軍隊は必要悪である。それらは必要ではあるが、それらに依存しない可能性こそ私たちが期待しているもの。他方を嘲笑い、怒鳴りつけ、しばらくそれを続けてから、取っ組みのケンカをはじめる。それによって最強の者が決められる。そうした流儀は子ども部屋の掟である。子ども部屋は、反動と権威主義的支配によって、強者の法律と容赦のない権力行使が命ずるところに帰するのが常である」
これは、アメリカのイラク侵略戦争と、それに無批判に追随している日本を批判した文章としか読めません。
「民主主義社会では、あらゆる決定が相対的で、正しいことがらへの接近にすぎず、それゆえ討議は止むことがない。
民主主義は生活形式であり、西ヨーロッパで2000年以上にわたって絶えず挫折や堕落を繰り返しながら成長を遂げてきた。それは自己完結したものではない。
民主主義は、勝ちとられた勝利ではなく、つねに継続するたたかいである。それは一度に達成された結果ではなく、つねに新たに解決されるべき課題である。
民主主義の本質は投票によって規定されるのではなく、対話や協議、相互の尊重と理解、そしてここから生まれる全体利益にたいする感覚によって規定される。
人間的な覚醒、すなわち啓蒙と教育、それなしには民主主義は危険なものになる。多数派というのは、まさに怪物である。
宣伝は、民主主義にとって、年々、危険性の度合いを増している。テレビと映画によって、現代人は、国民的・政治的権力の優位性や欠点をまったく受動的に確信す
る」
権力によるマスコミ操作はイラク戦争のとき、そして今もますます強まっています。有事立法が施行されたら、その危険性は今よりはるかに増大することでしょう。よくよく現代日本のあり方を考えさせられる本です。
トキオ
著者:東野圭吾、出版社:講談社
知人のNAOMIさんが絶賛していたので、早速読んでみた。うまい。さすがにぐいぐい引きこまれていく。いつまでもおとなになりきれない青年の気持ちがよく描かれている。そこへ身内と自称する変な青年が登場して、つきまとう。いったい何のために・・・。青年はふられた彼女の行方を追ううちに事件に巻きこまれていく。変な青年もついてきて、しきりにアドバイスというか指示を与える。いったい、どういうつもりなんだ。でも、何かひかれるものがあり、その言いなりに動かざるをえない。
おとなになりきれない、なりたくない青年の揺れ動く気持ちをバックに事件が展開し、意外な結末を迎える。オビには時を超えた奇蹟の物語とある。まさにそのとおりだった。
まちづくり権
著者:寺井一弘、出版社:花伝社
日田市に別府市の主催する公営競輪の場外車券売り場をつくるという。とんでもない。日田市が市長を先頭に反対運動に立ちあがった。でも、国が設置を許可した。さあ、どうする。国を相手に設置許可の取り消しを求める行政訴訟を起こすしかない。そこで、日田市出身の筑紫哲也の推薦で東京で活動する長崎出身の著者が登場した。
著者の行きつけの日田の寿司屋は「弥助すし」。その長女が福岡の三隅珠代弁護士。私は残念ながら、「弥助すし」にはまだ行ったことがない。
「まちづくり権」を提唱して果敢に挑んだものの、裁判所は見事に肩すかしを喰らわせる。だいたい裁判長は、ついこのあいだまで国(行政)の代理人をやっていたような人物なので、コチコチの頭しかない。高裁でも一回結審だと言われてしまう。そこを著者は持ち前の粘り強さで2回目の裁判をなんと4ヶ月先にすることに成功した。幸いにも別府市長が交代して合意が成立し、裁判自体は取り下げで終了。その成果がこの本になった。この裁判については、別に『まちづくり権への挑戦』(信山社)という本が出ている。こちらは九大のゼミ生たちがまとめたもの。
路上に自由を
著者:小倉利丸、出版社:インパクト出版会
Nシステムのカメラが最近やたらに目立つ。私は毎朝、通勤途上にあるカメラをにらみつけています。朝から不愉快です。街頭の監視カメラには、もう慣らされてしまいました。我らの日常生活が知らないうちに撮影され、いつも録画されているのかと思うと、嫌な気分になります。
新宿・歌舞伎町には街頭防犯カメラが50台設置されている。ひところは犯罪発生が減ったと言われたが、今また元通りになった。つまり、監視カメラが犯罪の抑止力になるというのは神話にすぎない。なぜなら、カメラにはどうしても死角がつきものだから、悪どい人間はカメラの裏をかこうとするからだ。
大阪地裁は「あいりん地区」の15台の防犯カメラのうち1台の撤去を命じた。それは解放会館の斜め前に設置され、そこを出入りする人を常時監視して録画までしているからだった。イギリスには、現在、公私をふくめて250万台もの監視カメラがある。日本も、そのうちイギリスのようになるのでしょうか・・・。まるで恐ろしい監視社会です。考えるだけでもゾッとしてしまいます。
Nシステムの監視カメラは、福岡県内には31ヶ所、高速道路に11ヶ所あり、全国802ヶ所の4%を占める。このNシステムは「犯罪防止」のためにだけ使われているのではない。そのことを、マスコミはもっと世間に知らせるべきだと思います。
ところで、あなたもNシステムのカメラって見たことありますよね?
北九州で、この10月に開かれる九弁連大会のシンポジウムのテーマがこれに決まったそうです。
女帝推古と聖徳太子
著者:中村修也、出版社:光文社新書
聖徳太子は実在しなかったのではないかという有力説があります。この本は、なぜ聖徳太子が天皇にならなかったのか、それを考えています。厩戸皇子は19歳になっていたので、若すぎて大王になれないということではなかった。しかし、額田部王女の方が即位した。額田部王女こそが日本史上初の女帝で、その即位の理由は、我が子ないし我が孫に大王(天皇)位を譲らさんがためであった。厩戸皇子には蘇我馬子がバックアップしている。だから我が子竹田王子が大王になる可能性は低い。そこで、額田部王女は、自分が大王となって、自分から息子(竹田王子)へ譲位した方がスムースにことが運ぶと考えた。厩戸王子が額田部の摂政になった可能性は低い。本当に厩戸王子を信頼しているのなら、いつまでも王位を譲らないのはおかしい。
厩戸王子さえその気になれば、大王になるのにそれほど困難はなかったはず。それをしなかったのは、厩戸には近親者同士での権力争いを避けようという気持ちがあったからだ。
和をもって尊しとなすという言葉は、その当時の日本で、いかに争いごと(戦争と裁判)が多かったかという事実を反映しています。古代の日本人が事なかれ主義で生きていたわけではないのです。そこを現代日本人の多くが誤解しているように思います。
突然死、あなたは大丈夫?
著者:南淵明宏、出版社:日経新聞社
『ブラックジャックによろしく』のモデルにもなった心臓外科医の書いた本です。
突然死といっても、実は、その前には誰にでも分かるサインがある。体のメカニズムを知って、自分の体は自分で管理する。これが大切だ。体の発するシグナルを見誤らないように注意しなければならない。こう強調しています。
私は週1回の水泳のとき、自分の身体に訊いています。30分で1キロメートルを泳ぐようにしているのですが、裸で自問自答するのですから、これほど確実なことはありません。今日はなぜかきつそうだな。そう思ったときには、途中で中止するのにも、ためらいがありません。健康のためにはじめた運動で健康を損なってしまうのでは本末転倒です。
心と身体にいつも余裕をもって、すっきり生きていきたいものですよね、お互いに。
羊の門
商売の創造
著者:鈴木敏文、出版社:講談社
私は原則としてコンビニは利用しない主義です。とは言っても、出張先のホテル近くのコンビニで買い物をすることはあります。他に店がないから、仕方がないのです。コンビニを利用したくないのは、従来型の商店がなくなってしまったら困ると思うからです。全国チェーンのコンビニで日本の商店が全部支配されてしまったら大変です。消費者主権と言いつつ、コンビニ(の支配元)主権になってしまうのでは、単に買わされる存在でしかありません。
さすがに全国1万店舗のセブン・イレブンのオーナーだけあって、その話には含蓄があります。著者が周囲の猛反対を押し切ってセブン・イレブンを始めたときは、41歳でした。以来、30年間。今やスーパーよりもコンビニ、という時代となってしまいました。
いまの時代は、お客様に意見がない時代だ。お客様に意見を聞くときは、こちらから商品を見せ、具体的に提案を示さなければならない。こちらからものを言って、その反響からお客様が何を求めているかを察知し、それをつくって提案していかなければならない。提供側としての自己主張が求められている。こちらから積極的にお客様の好奇心を刺激していかなければならない。コンビニが扱うのは、2500のアイテム。商品のライフサイクルは、日本は欧米よりはるかに短かい。日本の消費者は移り気。アメリカの三大コンビニはいずれも倒産した。
『週刊ダイヤモンド』(2004年2月14日号)は「コンビニの支配力」を特集しています。コンビニが今や日本の消費市場に絶大な影響力をもっていることがよく分かります。私は、ますますコンビニはなるべく利用しないようにしようと決意しました。コンビニはいずれ、あらゆる意味で「不便な店」になるに決まっています。
私は英雄じゃない
著者:リック・ブラッグ、出版社:阪急コミュニケーションズ
戦闘中にイラク軍に捕虜となり、アメリカ軍の特殊部隊が救出作戦に成功したという美談のヒロイン、ジェシカ・リンチ米陸軍上等兵の話です。この本でどこまで真実が語られているのかは分かりませんが、ともかくジェシカ上等兵がイラク兵と銃をもって応戦中に負傷したという状況ではないようです。また、イラクの病院で医師と看護婦がそれなりの手厚い医療看護を尽くしていたのも事実のようです。イラク人の医師たちはアメリカ軍が近づいてきたとき、救急車にジェシカを乗せてアメリカ軍へ運ぼうとしたそうです。ところが、アメリカ軍に発砲されて逃げ帰ったということです。恐らく本当の話でしょう。やはり、戦場では、理性をこえたことが起きるようです。
ジェシカ上等兵は戦闘に従事する兵士というより、鉛筆やトイレットペーパー担当の事務係だったのです。つまり、彼女の所属するトラックが道に迷ったところを、イラク軍に攻撃されてしまったのです。衛星を利用した所在確認装置をもっているアメリカ軍も、やはり砂漠では道に迷ってしまったわけです。
イラク戦争にはどうしても英雄が必要でした。その英雄に、いつのまにかジェシカ上等兵が仕立てあげられたのです。というのも、アメリカ軍は、第2次世界大戦以来、自軍の捕虜になった兵士を1人として救出した実績がなかったからです。いえ、救出作戦は何度も試みられました。ところが、ベトナム戦争でもハノイ・ヒルトンにいた米軍兵士の救出に失敗しています。
仕立てあげられた英雄談をぶちこわしたのはジェシカ本人です。すごく勇気がいったと思います。それを乗りこえて、真実を語った女性に対して敬意を表したいと思います。
明治前期の法と裁判
著者:林屋礼二ほか、出版社:信山社
今から130年前の明治8年(1875年)の民事訴訟の新受件数は32万件を越していました。これは、その110年後の昭和60年(1985年)の同じ新受件数とほとんど同じです。明治はじめの人口は3,555万人ですから、今の3分の1でしかありません。ですから、当時の32万件という裁判の件数がいかに多いか分かります。
さらに、今の調停にあたる勧解という制度があり、その利用件数の方もとてつもなく多かったのです。明治10年に65万8千件、明治16年には109万件に達しています。信じがたいほどの利用件数です。
ところが、その後、急速に裁判も勧解も申立件数が減ってしまいます。これについて、従来は、貼用印紙税の導入など政府の提訴(濫訴)抑制政策によるものという学説が有力でした。私もそうではないかと思ってきました。ところが、本書は、新しい裁判制度が始まったことを知った庶民が、それによって解決されることを期待し、従来から抱えていた紛争を裁判所に持ち出したから増えたのであって、それが一段落したら提訴件数が減っていくのは当然な流れだと説明しています。なるほど、それにも一理あるように思います。
まあ、それにしても「日本人は昔から裁判が嫌いだった」なんていうのは、まったく根拠のない俗説であること自体は明らかです。
また、この本では明治10年ころの東京地裁における離婚訴訟の実情も紹介しています。妻からの離婚訴訟が認められたのは明治6年のことです。日本最初の離婚判決は明治9年にあったようですが、明治10年10月19日の離婚判決が残っています。
明治10年から明治31年7月までの離婚判決145件のうち、妻からの訴訟が93件(妻の勝訴が、うち67件)、夫からの訴訟は16件、夫による妻の取戻訴訟が18件、妻からの離婚拒否訴訟が10件などとなっています。妻からの申立の方が多いのです。
妻には「己むを得さるの事故」があるときには離婚を認められたのですが、離婚理由は、妻の衣類の無断質入、夫の不貞行為、虐待、破綻主義の順になっています。やっぱり昔から日本の女性は強かったのです。
ひきこもり文化論
著者:斎藤環、出版社:紀伊国屋
ひきこもりの人口は100万人、平均期間は4.1年。平均年齢は20歳前だったのが、今では20代となり、30歳以上は珍しくない。ひきこもりの最年長は40代後半になっている。今や、ひきこもり救出ビジネスまで世の中に現われた。「2時間でひきこもりを直す」という自称カウンセラーすらいる。
ひきこもっている若者の心の中は、焦燥感と惨めさで充満し、激しい空虚感や絶望的な怒りに襲われている。一見すると、無為・無気力のように見えても、「普通の生活」に対する憧れの強さは平均的な若者の「意欲」の比ではない。ひきこもっている人のコミュニケーション拒否は、むしろ絶望的なまでのコミュニケーションへの憧れを背景としている。
ひきこもりの相談は1年間で1万4千件ほどあり、その77%が男性。ひきこもり期間が10年以上というのも2割ほどある。家庭内暴力も同じく2割ある。
親しい友人や恋人関係が成立すると、特別な指導や指示はなくとも、多くのケースでアルバイトや通学を始めるようになる。
著者は、青少年がひきこもる権利を社会がしっかり保障すべきだと主張しています。「ひきこもり」が生き方の選択肢のひとつにまで高められるとき、「ひきこもり」は減少するというのです。ひきこもりについて深く考えさせられる本でした。私の住む団地にもひきこもりの子どもたちがいます。決して他人事(ひとごと)ではありません。
ディリー、砂漠に帰る
著者:ワリス・ディリー、出版社:草思社
私は前に出た『砂漠の女ディリー』も読みました。アフリカに生まれ育った女性が苛酷な運命とたたかって、ついに世界のスーパーモデルになるまでの数奇な半生に心をいたく揺り動かされたことを今も鮮明に覚えています。でも、この本を読んで、
あっ、彼女の生まれ故郷はアフリカのなかでも、今も戦争状態にあるソマリアだったんだと気がつかされました。そうです。泥沼の内戦が今も続いています。アメリカでさえ手を焼いて撤退したあのソマリアへ、生まれ故郷に今も住む両親のもとへスー
パースターのディリーが命がけで帰ったのです。
幸いにも、アラーのおかげで1週間、ディリーは両親とともに過ごすことができました。死んだと思われていた娘が帰ってきて、両親はどんなにか喜んだことでしょう。でも、ディリーが母への最高のプレゼントだと思って手鏡を差し出したとき、母親は鏡に映った自分の顔が老けているのを見て、鏡の受けとりを拒否しました。人間の美しさは内面にあるのです。鏡なんか必要ありません。歯みがきセットも、そんなもの必要ないとして、喜ばれませんでした。砂漠ではうがいのために水を浪費するなんて、考えられないことなのです。
ディリーが小学校を訪問しようとするとき、衣裳選びに親兄弟からケチをつけられる場面があって笑わされました。ファッションショーで衣裳を売りこむのが仕事の世界のスーパースターが、自分の衣裳選びもままならなかったというのです。
砂漠の民は、たとえば、女性は生理用品を使わない、生理中は、古くなった暗い色のドレスを着て、家の中にじっとしているだけ。ソマリアの花嫁は結婚式の夜、縫合された傷をあけられる。セックスができるように、ナイフで傷を少し開くのだ。翌朝、義理の母親が花嫁を確認し、血が流れているのを見れば、花嫁が痛みに耐えて夫を受け入れたことが分かる。義理の母親はこれを村中に触れまわり、花嫁の勇敢さを讃える。
著者は幼いころに受けたFGM(女性性器切除)について告白し、その廃絶に向けた取り組みのため国連の特別大使にもなっています。その勇気を讃えたいと心から思わせる良書です。
がんから始まる
著者:岸本葉子、出版社:晶文社
エッセイストの著者が、40才のときに珍しい虫垂がんと診断され、手術を受けることになりました。健康には人一倍気をつかってきたのに、がんになるなんて・・・。やっぱり病気はなるときにはなるものだ。著者は、そう達観します。
でも、入院生活そして手術を受けて退院する日々では動揺もさけられません。その揺れ動く気持ちを、さすが本職のエッセイストですから、文字にあらわしたのです。
現在進行形の出来事であっても、文字に定着していくことで、自分にとって過去のことにできるのだ。そういう言葉が出てきます。著者は手術後2年たって、元気に生きています。何事もあきらめないことが肝心のようです。
となりのコリアン
著:在日コリアン研究会、出版社:日本評論社
久留米の馬奈木弁護士の長男の馬奈木厳太郎氏も著者の1人です。というか、厳太郎氏が久留米で憲法を講義するのを拝聴して感心したので、そこに並べてあったこの本を買って読んだというわけです。
「在日コリアンの子どもたちに対する嫌がらせを許さない若手弁護士の会」という長い名前の団体があります。福岡で司法修習をしていた杉尾健太郎弁護士(東京)が代表です。
在日コリアンをはじめ、日本にいる外国人と仲良くしていくのは、地球に生きる日本人にとって必要不可欠のことなのです。いま、拝外主義の風潮が日本社会に広がりつつあるのを、私も心配しています。日本社会がゆとりと寛容のこころを喪いつつあるということだと思います。戦争やテロのない平和な国際社会を築きあげるのは、私たちみんなの責任です。
歴史を読み解く
著者:服部英雄、出版社:青史出版
蒙古襲来のとき(文永の役、1274年11月26日)、モンゴル・高麗連合軍4万は、赤坂山占領を目標としていました。赤坂山とは、のちに福岡城が築かれたところ、つまり今の裁判所を含んだ一帯のことです。守る日本側が奮戦して、モンゴル軍のナンバー2の重要人物が日本の流れ矢にあたって舟に運ばれるなど、モンゴル軍は初戦に敗れて、海上に逃げ戻った。そこへ、夜半の嵐(台風ではない)が吹いた。モンゴル軍は、季節風のことを考えると、これでは時間切れと判断して自主的に撤退した。こう考えるべきだとされています。なるほどと思わせる説得力のある説です。
福岡城には天守閣はなかったという事実も立証されています。といっても、天守台はあったのです。ただ、それは五層の天守閣というものではなく、二層の矢倉というべきものでした。
ところで、天守閣というのは、落城時に、城主の切腹までの時間を稼ぐ役割がある建物だというのです。初めて知りました。時間を稼ぐために、天守閣への一つしかない入口は必ず迷路になっていて、外部から容易には入れない構造になっていたそうです。
うーん、なるほど、歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあるようです・・・。
戦士の値段
著者:北井亮、出版社:太田出版
イラクに派遣された自衛官が戦死したときには、2億5000万円の補償金が出るそうです。政府からの賞じゅつ金9000万円、首相からの特別褒賞金1000万円、イラク保険(1ヶ月1万5610円の掛け捨て保険。PKO保険)1億円、団体傷害保険(防衛庁共済団体傷害保険)2618万円、退職手当2170万円、葬祭補償138万円、埋葬料・弔意金64万円、戦地手当53万円、派遣手当48万円、夜間特殊業務手当1万円の合計です。ところが、これは一時金であって、このほか遺族補償年金として月に77万円が支給されるのです。遺族補償年金769万円、遺族共済年金55万円、遺族基礎年金103万円の合計です。
自衛隊には24万人の自衛官がいて、5兆円ほどの年間予算を執行する世界有数の軍隊であることは争いようのない事実です。陸上自衛隊には、1020両の戦車、980台の装甲車、90機の対戦車ヘリコプター・コブラがあり、バズーカ砲も3190門もっています。自衛官の出身地として、九州・沖縄は28.5%を占めています。
自衛官の処遇を知るための分かりやすいハンドブックです。
失敗から学ぶ
著者:若宮健、出版社:花伝社
弁護士という職業は、日々、人間(ひと)の失敗に直面し、その後始末をいかに手際よくさばいていくか、ということに尽きます。失敗に直面したら、たいていの人はパニックに陥ります。日頃は冷静沈着だとしても、一瞬のうち、そんなゆとりは吹っ飛んでしまうものです。そんなときにはやはり岡目八目。他人の冷静な目に頼るべきです。そこに弁護士の存在意義(レーゾン・デートル)もあります。
この本は、いろんな業種の経営者18人の失敗体験が語られています。原因と教訓が分かりやすいかたちで紹介されていますので、倒産の相談を受けることの多い弁護士にとっても参考になります。
自動車のトップ・セールスマンだった著者は、精鋭だけをそろえれば商品は売れると思っている人が多いが、それはかえって良くないと言います。一人ぐらいは落ちこぼれがいた方がチームに潤いを与え、潤滑油の役目を果たしてくれてよいからだ。精鋭ばかり集めると社内が息苦しくなって、いさかいが多くなる。
また、車を売るときには、心底から嫌いな客に我慢して売るより、その客を捨てることによって、その1台分を取り戻すために、より多くの客を訪問したり努力する。その方がかえってよい。心底から嫌な客に売るのは精神衛生上もよくない。トップセールスマンを目ざすなら、心底から嫌な客には車を売ってはいけない。
なるほど・・・。私は、さすがトップセールスだった人の言うことは違うと感心してしまいました。ペラペラしゃべるセールスマンは二流の営業マンだ。一流の営業マンは、聞き上手だ。こういう指摘もあります。やっぱり、そうか・・・。失敗から学ぶことは、やはり多いようです。
動物が好きだから
著者:増井光子、出版社:どうぶつ社
著者は上野動物園の園長もつとめ、女性獣医の草分け的存在です。67歳になるのに、騎乗マラソンとも言うべきエンデュランスに出場し、馬に乗って21時間とか4時間走り続けたというのですから、タフそのものです。馬に乗って走るから楽かと思うと、決してそうではない。馬にあわせて、馬上で人も同じように走っているのと同じだけの負荷がかかっている。私は馬に乗って走ったことはありませんが、なんとなく分かります。
子どものころから動物が好きで、獣医になって動物園に入るまでの苦労が語られています。なにごとも先駆者は大変です。動物園って、動物を虐待しているところではないかという見方があります。でも、決してそうではないと著者は訴えます。地球上の野生動物で絶滅しかかっている種は多い。それを保護している役目も果たしている。しかも、野生動物と人間を結びつける場でもある。そう強調しています。なるほど、と思いました。
動物園で一番人気は、ゾウ、キリン、ライオンだそうです。なるほど、なるほど、よく分かります。私も、子どもたちが小さいときには動物園に何度も連れていきました。大人も落ち着くところなんですよね。しかも、童心に帰ることができますし・・・。
コスモス・オデッセイ
著者:ローレンス・M・クラウン、出版社:紀伊国屋書店
野球ボール大の原始宇宙では、1秒の1000兆分の1兆分の1で、銀河系の恒星すべてがその一生の間にうみ出すより多くのエネルギーが今日の原子ひとつの大きさの空間を通り抜けた。その結果、粒子は10億分の1秒ごとに何十億回も正体を変えることがあった。このとき、想像しうる粒子はすべて創造された。
こんな文章が登場します。もちろん、私にはさっぱり理解できない状況です。でも、なんだか、すごいことが原始宇宙で起きたんだなというくらいは想像できます。
私は昔から、夜空はなぜ暗いのか、疑問をもってきました。なぜなら、宇宙には無限の星があるわけですから、夜空を見上げたら、どの1点にも星があってまたたいているはずだからです。ところが、夜は暗く、星は数えられるだけしか見えない(もちろん、空のきれいなところでは無数の星が見えます)。
実は、これは19世紀のドイツの天文学者オルバースが提起したパラドックスなのです。宇宙は有限であり、光の速さも有限なのだから、有限の距離の星の光しか人間は見ることができないから夜は暗いというのです。ふーん、なんだか分かったような分からないような説明です。
我々は、みな星くずの子どもである。私たちの身体を形づくる原子は、それぞれ、かつて、ある恒星の内部にあった。そうなんだ・・・。星と人間は同じものなんだ・・・。 一度に人間が吸う息のなかに酸素原子は、10の22乗の6倍ある。すると、ユリウス・カエサルが殺されるときに吐いた息のなかにあった原子が、現代の私たちの吸う息に含まれる原子のなかにある確率は100分の99である。こんな計算がなされています。ほんまかいな。思わず、そう叫んでしまうような話が満載の本でした。私はよく理解できないながらも、そのスケールの大きさ、微小さに感嘆してしまいました。
韓国現代史
著者:韓洪九、出版社:平凡社
この本を読むと、韓国がこの50年ほどのあいだ、日本人には想像できないような苛烈な生き方を強いられたことがよく分かります。著者は次のように語っています。
韓国で「主流」を自任する人々は、ともに生きる社会を創る知恵と寛容の代わりに、気に入らないものは撲滅し片づけてしまった記憶をもっている。だから、気に入らない人々を見ると、またきれいさっぱり片づけようとする。撲滅の記憶を自らの手でぬぐい去ることは、韓国民がともに生きる社会に向かうためには必ず通らなければならない関門だ。
日本の自衛隊は、日本に駐留するアメリカ軍の指揮を受けることになっています。もちろん、これは韓国でも基本的には同じです。ところが、韓国では、女子高校生乱暴事件など相次ぐ不祥事によって反米感情が高まり、アメリカはやむをえず、韓国軍に対する平時の作戦指揮権を韓国政府に返還してしまいました(2004年4月から)。しかし、実際に軍隊の作戦を行う戦時作戦指揮権は依然として「客軍」であるアメリカ軍が握っています。
ところで、韓国では、住民登録に10本の手の指を登録することになっています。日本で在日韓国人に指紋押捺に反対してきたのに、何も考えずに指紋を押す人があまりに多いと著者は嘆きます。
韓国の学生運動は日本と違って今も先鋭的ですが、そのなかには高校生もふくまれてきました。ところが、最近、高校標準化が断行され、これまで政治問題や社会問題にいち早く目覚めた生徒が集まっていた名門高校がなくなり、中高入試に分断されていた入試の圧力が大学入試に集中するようになったこと、学徒護国団が置かれるようになり、軍事教練も強化されるというように軍事政権の学校統制が強まったため、高校生が社会問題や政治問題に参加することはきわめて難しくなったということです。残念なことに、そのような措置はとられていないのに、日本は韓国の先を行っていま
す。
韓国は徴兵制の国です。1980年から1995年までの15年間に、軍人の自殺者が3263人、暴行致死387人など、軍人の死亡者が8951人に達しているそうです。1年で平均577人が死んでいるのですから、すさまじいものです。
しかも、給与は月2000円ほどしかなく、台湾の兵士が1ヶ月にもらう給与は韓国の兵士が26ヶ月勤務しているあいだにもらう給与とほぼ同じなのです。さらに、韓国の高位公職者の息子は兵隊にとられない、とられても戦場に出向かない仕組みに
なっています。これは、アメリカでも同じようなものです。
韓国現代史を読むたびに、戦前の日本による専制支配が、いかに今日まで韓国の重たい負の遺産となっているか思い知らされ、今さらながら気が重くなってしまいます。でも、それから目を逸らしてはいけないのです。
時間の分子生物学
著者:粂和彦、出版社:講談社現代新書
加齢とともに早起きになるのは、概日周期が短くなるからではなく、睡眠の質が大きく変わるから。年をとるとともに深い睡眠が減り、明け方はとくに浅い睡眠ばかりになるため、朝早く目が覚める。
ハエも眠る。ハエの複眼にまぶたがないので、目をつぶることはない。しかし、何時間もずっと動かずにいる。眠らせないとハエは死んでしまう。誰でも、毎晩、少なくとも10、多ければ100以上の夢を見ている。夢を見ることは、起きているときに学習したことを復習しているということ。
睡眠にも質があるという考えを私は信じています。だから夜は12時前に寝るようにしています。そして、7時間眠ります。出張したときには、疲れていますので、11時までにベッドに入り、持参のMDでシャンソンを聴いて心を静めてぐっすり眠ります。そして朝は6時に起きます。やはり、早寝早起き、規則正しい生活が頭と身体をスッキリさせて活動できる源(みなもと)です。
病の世相史
著者:田中圭一、出版社:ちくま新書
江戸時代、佐渡の村医者の日記を通じてみた百姓の生活が描かれています。私たちの常識に反して、村には、無医村の多い現代から想像もつかないほど多勢の医者がいました。昔の人は必ずしも短命ではなく、50歳をこえる人も多かったのです。80歳以上の老人には、お米を2割安く買えるように奉行所が手配していました。
多きもの 医者と寺院と赤トンボ 臼の挽きがら 眼やみ瘡(かさ)かき
こんな戯れ歌があったほど、江戸時代の佐渡には医者が多くいたのです。無医村ができたのは大正・昭和に入ってのことなのです。医者になったら金もうけができて、生涯安楽に暮らせるうえ、人聞きもよいと人々が考え、大勢の人が医者をめざしました。薬草や民間療法も研究がすすんでいました。温泉にしても、どこの温泉が何に効くということが詳しく紹介されていて、そこへみんな出かけていたのです。
私は、昔の人をまたまた見直してしまいました。昔の人は偉かった・・・。
出すと病気は必ず治る
著者:石原結實、出版社:三笠書房
東京での生活を1年間送っているうちに体重が70キロ近くになってしまいました。5キロほども太ったのです。学生時代には53キロしかありませんでしたから、まさに中年太りの典型です。あわてて始めたのが朝食抜きのダイエット法です。もちろん、身体を動かす方も一緒にやっています。
私と同世代の著者は、毎朝ニンジンジュース一杯健康法をすすめています。この本は、それをやさしく解説したものです。ニンジンジュース断食といって、1週間、朝昼夜、それぞれコップ3杯のニンジン・リンゴジュースだけで過ごすというものもやっているそうですが、とてもそんなことはできません。私は、朝食だけ抜いてニンジン・リンゴジュースを飲んでいます。著者と違うのは、私は牛乳とハチミツを加えるのです。そのうえで、ショウガ入りの紅茶を飲みます。その点は同じです。あとは、昼12時まで飲まず食わずで我慢します。昼食も夕食も普通にとれます。1日2食になりますから、食事が楽しみです。ご飯は30回ゆっくりかんで味わいます。
快便、快食、快眠。この3つが大切だという著者の主張に同感です。おなかがスッキリしていると食事はおいしいし、ぐっすり眠れます。頭が冴えていないと、法律相談を受けたときのアドバイスも間違ってしまいますよね。
終わりなきアメリカ帝国の戦争
著者:デイナ・プリースト、出版社:アスペクト
少しばかり重い気分になって最後まで読みとおしたところ、著者がアメリカの女性ジャーナリストだというのを知って、目を見開かされました。それまで、てっきりボブ・ウッドのような男性ジャーナリストだと思いこんでいたからです。アメリカの支配層、とくに将軍たちの思考パターンがよく描けていると感心しながら読みました。
シンク・タンクの予測によると、これから予想される戦争はローテクの武器による無差別な戦争だ。自爆テロや有毒ガス・殺人ウィルスが武器となり、ドラッグやダイヤモンド、ダーティーマネーが世界的なテロ組織の資金源となる。
それを予防するには、多国籍の近隣住民による警戒と密告グループが地域的国家連合を結成して、悪いやつがさまよいこんできて愚かなことをしでかさないように警戒するしかない。それは軍事というより、民政・外交の分野だ。
かつてアメリカが絶縁しようとした独裁者たちが今やアメリカの支援を受け、かつては狂人として排除した反徒や軍閥たちを、今度は味方として取りこんでいる。
パウエル・ドクトリンとは、敵に対しては最初から決定的で圧倒的な兵力であたること、それができなければ、何もしないこと、というもの。
アメリカの街頭で売られるコカインは、2002年には、ほとんどすべてがコロンビアから密輸されたもの。アメリカは麻薬戦争に何百万ドルもつぎ込んだが、効果はなかった。コカイン生産量は増加する一方。除草剤を散布して20万エーカーのコカの木を除去したが、たちまち植え直された。コロンビアのコカイン生産量は、2001年まで増加の一途で、年間800トンに達している。
アメリカがいくら軍隊を置くって外国を支配しようとしても、その国に本当に必要なものとは違う。真に求められているのは武器ではなく、ミシンであり、水と食料である。そして、民間のNGOだということが改めてよく分かる本です。
シェイクスピアの妻
著者:熊井明子、出版社:春秋社
すこし前に『恋に落ちたシェイクスピア』という映画を見ました。ワラ屋根のグローブ座が主な舞台となっていましたが、なかなか見ごたえのあるいい映画でした。
シェイクスピアが恋におちるのですから、てっきり独身かと思うと、さにあらず。郷里に年上の妻がいて、3人の子どもまでいたのです。
この本は、その妻が主人公です。文才のあるシェイクスピアをロンドンに送り出しながら、主のいない一家を切り盛りしていく苦労など、身につまされる場面があります。それはともかく、この本が読みごたえのあるのは、シェイクスピアの作品の裏話が妻との会話を通じて「明らかに」されていくところです。逆に言うと、シェイクスピアの作品をもとに、家庭での「会話」を創作していったのでしょう。作家の創造力ときめこまやかな描写に感嘆してしまいました。
参考文献をみると、シェイクスピアを本当によく知り抜いているからこそ書ける小説だと改めて敬服した次第です。
博徒の幕末維新
著者:高橋敏、出版社:ちくま新書
この著者の本は面白い。前の『江戸村方騒動顛末記』(ちくま新書)も大いに知的好奇心をかきたてられた。古文書を縦横無尽に読み解いていくさまは、下手な推理小説よりよほどワクワクしてしまう。草書体で書かれた古文書をスラスラ読みこなせたら、すばらしい新発見に出会える気がしてならない。でも、実際には、同一人物がいろんな名前で登場してくるので、そこまでよく分かっていないと、文書のもつ意義を理解できないだろう。
この本は、伊豆七島に島流しにあっていた無宿人の安五郎が島抜けするところから始まる。七人の無宿者が船頭を引き立てて、伊豆半島に渡り、そこで散りじりになるが、主犯の安五郎は無事に故郷の甲州へたどり着く。なぜ、そんなことが可能だったのか・・・。そこに黒船到来の当時の世相が語られる。
甲州は紛争が多いところだった。入会権をめぐり、水の分配をめぐり、紛議は絶えなかった。あまりの裁判の多さに奉行所はパンク寸前だった。
日本人が昔からいかに裁判を好んでいたか。農村地帯でも裁判に訴えることは日常茶飯事だった。無宿人・安五郎も立派な文書を残している。文盲ではなかった。
水滸伝のように、幕末期の関東地方では無宿人たちが暴れていた。勢力富五郎(28歳)も徒党を組んで荒らしまわった。石原村無宿・幸次郎一味の悪党21人を捕まえるため、総勢3000人にのぼる捕者隊が組織された。なにしろ幸次郎一味は鉄砲まで所持している。幕末の混乱する世相が博徒に焦点をあて、よく描かれている。江戸時代のもう一つの側面を知る格好の本だ。
ザ・メイン・エネミー
著者:ミルト・ベアデン、出版社:ランダムハウス講談社
3月11日の夕刊に、アメリカ人の連邦議会で働いていた人が、サダム・フセインのスパイをしていたとして逮捕されたことが載っていました。冷戦構造がなくなっても、相変わらずスパイの活躍する余地の大きいことを改めて実感しました。
この本は、CIAとKGBのスパイ合戦について、「勝者」CIAの立場から取りあげられています。双方ともスパイを送り出し、また、スパイを獲得しようと必死でせめぎあっていました。なかには、CIAとKGBの係官同士が固い友情関係を結んだケースもあったようです。やはり、それぞれの当局からは、あいつは敵に買収されてしまった、そう疑われたようですが・・・。 スパイ活動は何のためにやるものなのか。使命感かお金か。それとも処遇不満への腹いせなのか。いろんなケースがあったようです。必ずしもお金だけが理由ではないようです。
2重スパイがいて、スパイ志願者がいて、いったん敵に亡命したものの、もう一度、本国に帰ってしまったエージェントもいたり、この世界も複雑怪奇です。
よく日本はスパイ天国だと馬鹿にされますが、お互いに他人(ヒト)を信じられなくなったら、お終いですよね・・・。