弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年3月 1日

フセイン・イラク政権の支配構造

著者:酒井啓子、出版社:岩波書店
 アメリカ軍によってアッという間に見事に瓦解させられたフセイン政権の実体を歴史を追って丹念に探っていった本です。いろいろ学ばされました。
 サダム・フセインがイラクのクーデター(1968年)で革命指導評議会(RCC)の副議長になったのは32歳のとき。それ以来35年間もイラクを支配し続けたわけです。
 イラクでは内閣の占める政治的意味はそれほど大きくなかった。重要な政治決定は大統領やバース党の幹部によってなされていた。
 人口の7割以上を占めるシーア派が疎外されていたのは、オスマン帝国がスンニー派を国教としていたことに起因する。軍におけるスンニー派三角地帯からの登用は、いわば王政期以来の伝統である。スンニー派三角地帯の出身者は軍への登用を通じて政治進出を強めていったのである。
 フセイン政権下では、地方行政関係(とりわけ南部と北部)の職歴をもつ人間と、大統領と個人的にパトロン・クライアント的な関係を取り結んだ人物の登用が増えた。
 イラク国民議会の選挙権は18歳以上の成年男女であるが、立候補は25歳以上となっている。しかも、立候補資格として、1968年革命への支持に加えて、読み書き可能およびイラン・イラク戦争の意義を確信することが求められている。そのうえ、立候補者のプロフィールとして、本人、祖父という人の名前とともに一族名(ラカブ)を記載することになっている(その前はラカブの使用は禁止されていた)。
 現代イラクの社会構造の特徴のひとつは、人口の多くが都市に集中していること。総人口の70%以上が都市部に集中している。たとえば、バクダットは、19世紀の前半にはわずか人口2万7000人でしかなかった。1947年に人口50万人だった。ところが1977年には260万人。それが1992年に400万人、今では500万人と言われている。この3分の1はシーア派とみられている。
 バース党は、国家と個人の中間にある「社会」を解体し、既存の共同体を国家や党の支配機構と入れ替えようと試みた。しかし、実際には、党や国家はそうした代替物を社会に布置することに成功したわけではない。党の大衆組織や末端組織は、既存の共同体の崩壊から放出された「個化」された個人を吸収することができなかった。そこで重要となったのが、フセインと「個化」された個人との間に直接結ばれる関係性である。「大統領の朋友」という制度が1984年に始まった。対イラン戦争に貢献し、武勲賞を3回以上得た国民に対して称号を与え、進学や昇進などで特権を付与する。いわば権力と富の源泉であるフセインという存在にいかに直接アクセスできるかという点に力点をおいて、社会ネットワークの再編が図られた。バース党政権は、イスラムや部族紐帯にもとづく伝統的社会意識の形骸を、国家統治の一部に取りこみ、フセインを核においた忠誠ネットワークを補完するために利用していった。
 サマーワに自衛隊が基地をつくっていますが、頼りにしている部族にどれだけの力が本当にあるのか。もしあるとして、それは法外な金銭的要求をもたらすものではないかとの指摘がなされています。果たして日本政府はイラクの地方における支配構造の実体をどれほど把握しているのでしょうか・・・。私は、大いに心配です。

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