弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年1月 1日

インカ国家の形成と崩壊

著者:マリア・ロストウォロフスキ、出版社:東洋書林
 16世紀、わずか数百人のスペイン人から攻められ、たちまち崩壊してしまったインカ帝国の脆さがどこに原因していたのか、この本を読んではじめて納得できました。
 インカ帝国でクスコの王たちが支配するようになって間もなく、それがしっかり根をおろして帝国全土を支配し尽くす前にスペイン人が来てしまった。
 インカ帝国内の大民族集団の多くは最近併合されたばかりで、住民たちは過去の自由の味をまだ忘れず、大首長たちはインカ帝国の支配から脱する機会を狙っているというのが大勢だった。スペイン人が来たとき、これら諸民族の首長たちが、かつての独立を回復することを援助してくれると期待して同盟を結んだのは不思議ではなかった。ワスカルとアタワルパという兄弟間の強い憎悪と内戦がインカ帝国の劇的な最期の直接の原因になったのは事実としても、根本的な原因は他ならぬアンデスの首長たちがインカ帝国の桎梏から脱しようとした願望にあった。
 山からきた征服者、つまりクスコの王たちに最良の高地を奪われ、海岸地方の首長に不満がみなぎった。また、インカ帝国のクスコの王たちと大首長とは互恵関係にあり、国家の基礎や構造は強さに欠けていた。この細い絆がスペイン人が来て消滅してしまった。
 インカでは、「もっとも有能な者を王に」というきまりがあった。それが故人の息子であろうと、叔父であろうと、兄弟であろうと、従弟であろうと、問題にすることなく、首長としてもっとも適切な者を王にすることになっていた。この権力継承の習慣が中央権力の弱体化を招いていた。貴族たちの対立が必然的だからである。現実にもインカ帝国では絶え間なく反乱が起こり、国家内部に統一性がなかった。
 王の死は、後継者が決まらないうちは秘密にされ、それを守るために厳重な注意がはらわれ、もっとも忠実で信頼できる者だけに知らされた。
 インカ帝国の諸民族集団は、大部分が帝国の支配を脱したいという望みをもっていたから、スペイン人に味方した。スペイン人を助け、食料・荷担ぎ人、補助部隊を供給した。これらなしには、スペインは事業に成功できなかった。ピサロは、民族集団の首長にある独立への願いを利用することが、彼らの協力を得るために役に立つと見抜いていた。スペイン人は敵対的な国の中に孤立をするどころか、最初から原住民たち頼みにすることができた。彼らは、ときがたつにつれて自分たちを束縛することになる屈服や従属の状態に、まだ気がついていなかった。
 なるほど、なるほど、という指摘です。ひたすら感心しながら読みました。

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