弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2003年11月 1日

セロ弾きのゴーシュの音楽論

著者:梅津時比古、出版社:東京書籍
 花巻駅の近くに宮沢賢治記念館があります。そこで「セロ弾きのゴーシュ」のビデオをみて、しばし童心に帰りました。花巻温泉には夜になると「銀河鉄道」をスポットライトで浮かびあがらせる仕掛けの崖があります。なかなか幻想的なシーンが再現されます。もう一度行ってみたい場所です。
 音痴な私には音程なんて、とんと分かりません。身体の反応が鈍いのです。今さら親をうらんでも仕方がありません。私の子どもたちも親の影響を受けて音楽のセンスが弱いようです(私のように欠けているとまでは決して言いませんが・・・)。
 宮沢賢治もセロ(チェロ)を入手して練習し、上達するため上京して特訓を受けたことがあるそうです。ところが賢治は上達しなかったのです。「弘法、筆を選ばず」というが、事実は限りなく逆である。弦楽器奏者は、上達すればするほど自分に合った楽器選びが課題となり、そのことに苦労する。弘法であるからこそ筆を選ぶ。
 弦楽器は、舞台に出ても演奏前に必ずチューニングする。舞台袖や楽屋でチューニングするか、舞台に出てもう一度チューニングしなければいけないのだ。それだけ音程というのは数値を超える微妙な要素をもっている。袖と舞台とでは空間の広さがまるで違い、空気の温度、照明の度合い、出した音が跳ね返ってくる時間なども全く異なるから・・・。また、宮沢賢治の童話を読んでみたくなりました。

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