弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年1月30日
不条理を生き貫いて
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 藤沼 敏子 、 出版 津成書院
「34人の中国残留婦人たち」というサブタイトルのついた本です。550頁もある部厚い本ですが、読後感もずっしり重たいものがありました。
戦後生まれの著者による、戦前、満州に渡り、日本敗戦後も中国に残留していた女性(その大半が日本に帰国)にインタビューしたものが中心です。
日本敗戦直後の日本政府の方針は、日本への帰還を進めるどころか、「居留民はできる限り定着の方針をとる」というものでした。これは、敗戦直後は日本国内の食糧が良くないことを理由とするものではありましたが、「満州」国にいる日本人がどのような悲惨な状況に置かれているかを無視したものであり、まったく人道的配慮のない方針です。
その結果、1945年6月、満州国にいた日本人166万人のうち、敗戦直後に24万5千人が死亡した。日ソ戦により6万人、終戦後18万5千人だと厚生省は推計している。そして、日本から満州に渡っていた開拓団の死亡者が8万人を占めた。
満州に残留した日本人女性は、敗戦直後の混乱の中を生きのび、やっと収容所や避難所にたどり着いたときは裸同然。飢餓と戦い、寒さと戦い、怒涛の大河に飲み込まれつつも、浮き沈みしながら、奇跡的に命をつないだ。収容所では、「今日、死ぬか、明日、死ぬか」って、朝、目が覚めてみると、「あ、今日も生きとった」と。
中国残留孤児たちは、中国では「リーベンクイズ(日本鬼子)」と言われ、日本では、「中国人、中国へ帰れ」と言われ、いったい「自分は何人なのか?」と悩む人が多かった。
それに対して、残留婦人は、日本人としての揺るがぬ自覚が強く、それは中国にいたときも日本への帰国後も変わらない人が多い。なかには戦前のまま封印された美しい日本語を話す人も多かった。
残留婦人たちは、身をもって体験した満蒙開拓の真相を語った。
満蒙「開拓」とは名ばかりで、実は中国人の畑や家をタダ同然で奪ったものだった。また、「五族協和」と言いながら、トップは日本人だった。
日本の敗戦後、ソ連兵や現地中国人の襲撃・略奪そしてレイプ(強姦)にあったとき、「日本人が悪いことをしてきたから、仕返しされた」とつぶやいた。
収容所では、飢えと寒さと伝染病が延し、バタバタと仲間の日本人が死んでいくなか、「野垂れ死にか、さもなくばトンヤンシー(幼な妻)か、現地人の妻妾になるか」の選択肢しかなかった。
著者が1995年ころ、残留婦人にインタビューに行ったとき、正座して何度も何度も謝る女性がいた。「中国人と結婚して申し訳なかった」と言う。
日本人のいない田舎、ラジオも新聞もなく、いわば閉じ込められてしまったような生活を過していた。その生活が嫌だといっても逃げ出すことのできない生活が続いていた。情報も通信手段もない状況に置かれたのが日本人女性たちだった。
中国では、嫁さんもらうのにお金かかるし、貧しい人は中国人の嫁さんがもらえない。小さいときには養女として引き取って、大きくなったら自分の子どもと結婚させる(トンヤンシー)。
開拓団って、関東軍のために食料つくっていたんだけど、国(日本)にはそう思ってもらえなかった。軍人だけが国を守ってきたんじゃない。軍人と開拓団への扱いがあまりにも違いすぎる。日本の政府って、あんまり不公平だ。軍人には恩給あるのに、開拓団には何にもない。
今になると、「あの戦争は間違っていた」と分かる。でも、あのころはそんなことは考えもしなかった。働くばかりで、そんな暇なかった。
とても貴重なインタビューを集めた本だと思います。
(2019年7月刊。2500円+税)
2025年1月29日
レイディ・ジャスティス
アメリカ
(霧山昴)
著者 ダリア・リスウィック 、 出版 勁草書房
「もしトラ」が現実化してしまいましたが、この本は、前のトランプ政権時代に、暴政に抗してたたかった多くの女性法律家を紹介しています。
人種差別、人工妊娠中絶の阻害、投票権の制限そして性暴力などに対して、果敢に挑んだ女性法律家たちの不屈の勇気に大いに励まされました。
正月休みに、身近に置いていた、このピンク色の本を、全然期待もせずに読みはじめたのです。ところがところが、思わず居ずまいを正して、背筋をピンと伸ばして、一心に読みふけってしまいました。
アメリカのロースクール生の半分は女性だが、民間分野で働く弁護士のうち女性は3分の1でしかない。ローファームもパートナーは21%だけど、そのトップが女性であるのは12%。企業のCEOのうち女性は5%もいない。連邦議会議員では24%、州知事は18%、州議会議員でも29%しか女性はいない。
はるか昔から、法は女性に対して棍棒(こんぼう)のように使われてきた。
女性の先駆者たちは、法が自分自身に課と制約と戦いながら、法制度との戦争に身を投じてきた。
この本で真っ先に登場するのは、ポール・マリーという女性です。アメリカでも有名ではないようです。ハワード大学に学年で唯一の女性として入学し、1944年に首席で卒業した。そしてイエール大学で法学博士号を取得した最初のアフリカ系アメリカ人。1946年にはカリフォルニア州初のブラックの司法副長官になった。アメリカの連邦最高裁判事として有名なルース・ベイダー・ギンズバークは、ポール・マリーを高く評価していたそうです。
続いて、サリー・イェイツというトランプ政権が発足し、ムスリムのアメリカ入国禁止を大統領令で発したとき、それはアメリカ憲法に違反すると明言し、司法省から追放された(当時、司法長官代行だった)。
トランプの命令は、宗教によって入国について差別するものなので、司法省がそんなことを認めるわけにはいかないと明言したのです。
イェイツは、本当に優秀な政府の弁護士は個人的な栄誉や誰か別の人の栄誉のためではなく、法のために動くということを示した。本当に優秀な政府の弁護士は、大統領が欲しいものを何でも手に入れるようにするイエスマンとして動くのではないのだ。
ムスリムが多数を占める国からの渡航を禁止するトランプの大統領令が出されたことから、空港でアメリカに入国できず、最悪の場合はシリアへ「送還」される。これを阻止するためにベッカ・ヘラーは動き出した。そして、大手ローファームのプロボノ案件として行動してもらうことに成功した。
そういうことがあるんですね、アメリカの大手ローファームはプロボノ案件を扱うことにもなっているので、そこに喰い込んだわけです。1時間半のうちに、1600人もの弁護士が呼びかけに応じたというのです。すごいことです。そして4時間のうちに3000人の弁護士がボランティア活動を引き受けたのでした。
ニューヨーク市内の大手ローファームで働いている弁護士がケネディ空港に続々と集まってきた。4つのターミナルに100人の弁護士が配置された。そして、ケネディ空港の外には何千人もの支援の人々が集まったのです。
アメリカの民主主義の底力を感じます。これを受けて、裁判所は、弁護士たちの申立に応じて「送還」を差止する緊急命令を出したのでした。
アメリカのヘイト勢力が怖いのは、ロケットランチャーや半自動小銃で武装した集会が開かれるということです。これに抗議するのは、まさしく命がけになります。
極右の武装団体が公然と武装をしたまま町中を行進するなんて、日本では想像も出来ません。
「自宅のドアを開けたら、すぐそこ、10フィードしか離れていないところに、半自動小銃とナチスの方を持った人たちがいるのが見える。これが、どんなことも想像できますか...」
アメリカでは妊娠中絶を犯罪とする州があり、それを武力で実現しようとする勢力がいます。これまた怖い話です。
著者は弁護士資格をもつ女性ジャーナリストです。
女性に法を足すと、魔法の力が生まれる。これを自分たちは毎日証明している。
このように断言する著者に、心より賛同の拍手(エール)を送ります。
(2024年7月刊。3500円+税)
2025年1月28日
九月、東京の路上で
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 加藤 直樹 、 出版 ころから
1923年9月1日、午前11時58分、関東大地震が発生した。昼食どきだったので、火災が発生し、広がった。同時多発的で、しかも強風にあおられ、東京市の4割以上、横浜市でも8割が焼失した。倒壊・焼失家屋は29万3千棟、死者・行方不明者は10万5千人以上。被害総額は当時の国家予算の3.4倍。
このとき、「朝鮮人暴動」の流言が広がり、実際に朝鮮人へ危害を加えることになった。
9月2日の未明、品川警察署は数千の群衆に取り囲まれ、「朝鮮人を殺せ」と人々は叫んでいた。
当時、日本に仕事を求めて多くの朝鮮人がやってきていて、女工や建設労働者として働いていた。少なくとも8万人以上とみられていた。彼らの半数近くは日本語が話せなかった。
自警団は、「パピプペポと言ってみろ」「15円50銭と言ってみろ」と、朝鮮人には発音が難しい言葉を言わせて判別していた。
内務省の警保局長は2日、「朝鮮人が各地で放火しているので、厳しく取り締まるよう」という趣旨の通牒を発した。「流言」が事実として公認されてしまった。
世田谷区千歳烏山(からすやま)にある烏山神社の境内に13本の椎の木が植えられている。これは「殺された朝鮮人13人の霊をとむらって地元の人が植えたもの」と語り伝えられているが、よくよく真相を調べてみると、実は、朝鮮人を虐殺した地元の自警団員12人が殺人罪で起訴されたことから、郷土愛として起訴された被告への「同情」として植樹されたものだった。朝鮮人虐殺は当時の状況では仕方のないことだったとされたというわけです。
多くの朝鮮人・中国人が虐殺されたが、一人の軍人も裁かれることはなかった。
「このたびのことは、天災と思ってあきらめるように」と役人から申し渡されたという。
亀戸警察(江東区)では南葛労働組合の幹部を逮捕・連行してきて、虐殺した。平沢計七や川合義虎など10人以上の人々が殺害されたことが判明している。
埼玉県内でも200人以上の朝鮮人が虐殺された。その下手人たちは起訴されたが、執行猶予が95人、実刑になったのは21人、無罪2人だった。
デマを信じて行動した人々は、それこそ普段は「善良な市民」だったのでしょう。それが、殺人鬼のように「殺せ、殺せ」と叫んで、実際行動に移ったわけです。
先日の兵庫県知事選挙で斉藤知事を「正義の味方」と誤信して、駅前に出かけて拍手し手を振っていた人々と同じ現象ではないでしょうか。心底から恐れおののきます。
そんな状況も考えたら、関東大震災のときの朝鮮人大虐殺は決して過去のことではないことを今しっかりと確認する必要があると思います。それにしても、デマなのか、本当(真実)なのか、簡単には分からないことが多くなったというのも事実ですね...。
福岡県弁護士会が昨年12月14日に著者を招いて開いた講演会の会場で購入した本です。
(2024年3月刊。1980円)
2025年1月27日
世界を支配するアリの生存戦略
生物
(霧山昴)
著者 砂村 栄力 、 出版 文春新書
外来アリのすごさは、普通のアリにはない社会性を進化させることによって得られた底なしの繁殖力にある。外来アリは、スーパーコロニーという無数の巣が相互に連携しあう巨大なコロニーをつくり、超効率的な社会活動を行う。
ヒアリはアメリカでも撲滅されず、被害や対策のため年間50~60億ドルという巨額のコストが生じている。日本でも18都道府県で111もの確認事例が出ている。
世界の侵略的外来種ワースト100の中にアリ類が5種も含まれている。アルゼンチンアリ、ヒアリ、コカミアリ、アシナガキアリ、ツヤオオズアリ。
アリは本体的に毒針をもっている。毒針を退化させたアリは、ギ酸という毒を腹部末端からスプレーのように噴射する能力を獲得している。
シロアリはアリの仲間ではなく、ゴキブリの一グループ。シロアリは、真社会性を獲得したゴキブリ。
世界でもっとも分布を拡大していて、温帯域の経済国を席捲しているのは、アルゼンチンアリ。アルゼンチンアリに対して影響力の強い天敵は今日まで特定されていない。
アルゼンチンアリの巣には、複数の女王がいる。女王は1日に数十個ほどの卵を産む。
日本には、4種類のスーパーコロニーが存在する。大陸をこえ、世界を席捲するスーパーコロニーをメガコロニーと呼ぶ。スーパーコロニー内では年に1度、巣内の女王の90%が働きアリに殺される。女王処刑は冬に行われ、寒空の下、働きアリが巣の外へ女王を引きずり出し、首に咬みついて殺す。働きアリは、血縁度の低い女王を選んで殺しているらしい。これによって、スーパーコロニー内の血縁度が調整されている。いやあ知りませんでした。女王が処刑されるなんて...。
アメリカでは、ゴキブリよりもアリのほうがもっとも問題となる家屋害虫。それで、害虫対策用品の名前にもアリのほうが先に来ている。
侵略的外来アリは、アブラムシの甘露のように糖分に富んだ液体状の餌を非常に好む性質がある。それを、アリの駆除対策に活用されている。
アリはすごい生物だけれど、外来種の繁殖を許すわけにはいかないということもよく分かる新書です。
(2024年8月刊。1050円+税)
2025年1月26日
高倉健の図書係
人間
(霧山昴)
著者 谷 充代 、 出版 角川新書
高倉健は無数の読書家だったことを初めて知りました。
山本周五郎。「周五郎さんの言葉に励まされ、勇気をもらっていた」
時代小説を中心に、人生をひたむきに生きる人間の哀歓を描き出した山本周五郎は、高倉健がひときわ好きな作家だった。真田広之にも、「この本を読め」と言って渡している。
三浦綾子。「いろいろな人間が出てきて、あえぎながらも乗り越えていく」
「時間があったら本(活字)を読め。活字を読まないと顔が成長しない。顔を見れば、そいつが活字を読んでいるかどうか分かる」(内田吐夢監督)
読書家の高倉健から、著者は「図書係」の役目をまかされた。1980年代後半のころ。
高倉健は、慎重に出演作品を選ぶことで有名だった。
高倉健は、小学校に上がってすぐ肺浸潤に冒され、兄妹から離されて親戚のおじさんの家で闘病生活を過ごした。母親は毎日、ウナギを買ってきて、黒焼きにして食べさせ、肝まで飲ませた。そのおかげで健康を回復したものの、毎日のウナギは辛かった。それで高倉健にとって、川魚類は一番苦手な食べ物になった。
高倉健は比叡山の滝に打たれに行ったことがある。滝行は、最初に右腕を出して流れ落ちる滝に当て、ついで左腕と、順に身体のあちこちに水をかけていく。そうしないと心臓麻痺を起こしてしまう。準備を終えると、滝に打たれながら合唱し、一心にお経を唱える。
高倉健と取材旅行に行くと、「いつも一人で過ごす休暇と同じにしたい。散歩も自由時間も食事のメニューも」、「コーヒーは砂糖なし、ミルクたっぷりでお願いします」。「旅先に持ってくるのは、本と好きな映画のビデオだけ」、「好きな本を読んでぐっと来るものがあれば、その旅は最高だよ」。なーるほど、ですね。超有名人でしたから、ときどきは一人になりたかったのでしょうね。真似できませんが...。
高倉健が亡くなって、もう10年がたつのですよね。すごい役者でした。『幸せの黄色いハンカチ』は最高でしたね。いい本でした。
(2024年11月刊。940円+税)