弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年7月 6日

砂の器・映画の魔性

社会


(霧山昴)
著者 樋口 尚文 、 出版 筑摩書房

 映画大好き人間(フランス語ではシネフィルと言います)の私にとって、日本映画の最高傑作は『七人の侍』であり、それに次ぐのが、この『砂の器』ではないかと考えています。もちろん、他にも『二十四の瞳』だとか、『生きる』というのもありますが...。
 この本は『砂の器』に関してあらゆる角度から総括したものと思えます。すごいです。製作現場の裏話まで、当時のノートまで掘り起こして裏づけています。
著者の主張が最後に要約されていますので、それを紹介します。
 松本清張の作品のなかでは問題も多い長大な原作を脚本家にして製作者でもある橋本忍が大胆な「奇想」でまるで別物に改変し、それゆえの無理の多いところを野村芳太郎監督の「緻密」が細心にカバーしたところに生まれた、非常に奇異なるベンチャー映画である。
 作り手の稀有な「奇想」と「緻密」の掛け算が生んだメロドラマ性は、そこに傾けられた熱気の迫力もあいまって、日本人独特の心性に強く訴えかける特異な映画に仕上がった。
 中国の映画監督との対談もあり、中国の映画監督に対して『砂の器』は大きな影響を与えたし、中国でも大好評だったようですが、『七人の侍』ほど国際的には評価されていないようだと知ると、少しばかり残念に思いました。
 この本には、『砂の器』で子役(「秀夫」役)だった人(春日和秀氏)が登場します。子役を15歳でやめたあと、自動車関連の仕事をしていて、自分が『砂の器』で子役をしたことを妻子にも言っていなかったというのです。
 『砂の器』に出演したのは小学1年から2年生までのことで、この1年間はほとんど学校にも行っていないとのこと(今では考えられません)。
 セリフはないけれど、目力(めぢから)がすごいという評判をとっています。そして、額にひどい傷ができるような転がり方をロケ地で実際にさせられたそうです。加藤剛は、その傷を隠そうとしています。そして青森の竜飛(たっぴ)崎でのロケのときは厳寒のなかで加藤喜に抱かれて携帯カイロのようにされていたというのです。
 この『砂の器』は、松竹の城戸四郎社長が製作に反対して13年間も「お蔵入り」をして、「橋本プロ」の企画して、ようやく陽の目を見ることができたのでした。
 映画が完成して上映されたのは1974(昭和49)年10月のこと。私はこの年4月に弁護士になっていますので、恐らく川崎か東京の映画館で見たように思います。大評判になりました。泣かずにはおれない映画です。しかも号泣です。老若男女の幅広い客層で、映画後半には場内のそこかしこで観客の嗚咽(おえつ)が聞こえ、終映後のロビーには満足と称賛の声があふれていた。この年の映画配給収入の第3位となる7億円を売り上げた。
この映画の肝(きも)のひとつが出雲にある亀嵩(かめだか)地方が東北のズーズー弁と同じということです。その意味で亀嵩駅が登場するわけですが、実は本当の亀嵩駅は全然使われておらず、近隣の液の風景をパッチワークのように描き出したとのこと。すごいですね、さすが映画です。
女優の島田陽子は清純派として有名だったわけです(当時21歳)が。加藤剛とのベッドシーンでは、「気持ちをちゃんと作ってください」と監督から指示されたとのこと。大変なプレッシャーです。そして、ヌードになるとき、監督に申し入れたとのこと。「私があまりに胸がないので、お見せするのに忍びないと思って...」。すると、野村監督は、「こんなに幸薄い女性の胸が大きかったらおかしいでしょう」と言い返したとのこと。いやはや、なるほど、そうかもしれません。
 ぜひまた、『砂の器』を観てみたくなりました。
(2025年6月刊。2750円)

  • URL

2025年7月 5日

サルとジェンダー

人間


(霧山昴)
著者 フランス・ドゥ・ヴァ―ル 、 出版 紀伊国屋書店

 小学4年生と1年生の孫がいます。どちらも男児です。見るからに元気モリモリで、いつだってエネルギーにみちあふれています。おとなしくお人形さんで遊ぶなんてことはありません。二人での取っ組みがケンカに発展するのはザラです。
類人猿の男の子たちの尽きることのないエネルギーには舌を巻く。はね回り、ものに飛び乗り、飛び降りる。取っ組みあって、顔中で大笑いしながら地面を転げ回り、互いに激しく攻撃を加える。熱狂的なまでに乱暴で騒々しく活力を見せつける。
これに対して、類人猿の女の子たちは、そんな男の子たちを見ても寄りつかないで、他の遊びをする。
 霊長類の女の子は、赤ん坊に心を奪われる。男の子よりもはるかに強い関心を示す。子を産んだばかりの母親を取り囲み、赤ん坊に近づこうとする。子育てのトレーニングをすると、あとで子どもを産んだとき、授乳したり、守ったり、運んだりして育てるのに役立つ。
 チンパンジーは、シロアリの巣に小枝を差し込んでシロアリを釣って食べる。その様子を娘たちは熱心に母親を見守る。女の子は、こうして、どういうものが適切な道具になるかを学ぶ。ところが男の子は自分を頼みにし、母親の手本はそれほど重視しない。息子たちは、母親の手本の影響は受けない。
 男女間の違いは、白か黒かのように、はっきりしているわけではない。他のオスほどオスらしさを示さないオスがいつもいるし、お転婆なメスも必ずいる。
 チンパンジーのなかにも、地位をめぐる駆け引きをしない男が必ずいる。筋骨隆々の巨体をしていても、対決はせず、身を退(ひ)く。トップにのぼり詰めることはないが、最下位に沈むこともない。難なく自分を守ることができるからだ。それでも他の男たちからは無視される。危険を冒す気のない男は、上位者に挑むとき何の助けにもならない。女たちも、こんな男には関心を示さない。男や他の女に嫌な目にあわされたとき、守ってくれそうにないからだ。そのため、支配欲のない男は、比較的おだやかではあるものの、孤立した生活を送ることになる。
 チンパンジーの男社会って、まるで人間社会そのものですよね。著者は、チンパンジーのオスにはなりたくないと言います。
類人猿の女は、セックスに積極的で、さまざまな男と交尾しようとすることが多い。
 チンパンジーとボノボは、ともに気安くセックスする。イルカとボノボは、両方とも、絆(きづな)づくりや平和的共存のために頻繁に生殖器を刺激したり、性的な愛撫をしたり、交尾そのものをする。
 チンパンジーの青年期の女は、オレンジやマンゴーのような色鮮やかな果物を押しつぶし、肩にのせて自体の身体を飾りたてる。
 霊長類の群れは、禁じられた性行動であふれている。密会のとき、チンパンジーの女は、交尾のクライマックスでも声を上げない。
鳥類学者がDNAを調べると、父親の違う卵がたくさん見つかった。鳥のメスたちは積極的に第三者を追い求めている。
チンパンジーの女は、自分の意見に反するセックスはしない。チンパンジーにレイプ(強姦)はありえない。
 チンパンジーでもボノボでも、女たちの集団的な権力は男をはるかに上回る。
 男の子には青、女の子にはピンクというのは、衣料業界とおもちゃ業界によって作り上げられたもの。かつては、逆転していた。1981年の雑誌は次のように書いている。
 「ピンクのほうが、はっきりした強い色で、男の子にふさわしい。ブルーは、繊細で優美であり、かわいらしいから女の子に向いている」
 これが逆転したのは、最近のこと。いやはや、驚きましたよ...。常識って、変わるものなんですね。
 チンパンジーの男たちは、日和見(ひよりみ)主義で、連携の形成と解消を繰り返す。最大ライバルでさえ、将来の盟友になりうるし、盟友が最大のライバルにもなりうる。彼らは、あらゆる選択肢を残しておく。チンパンジーが「政治をする」という事実を、私は著者の本によって知り、大変な衝撃を受けたことを思い出します。
 優しくて平和的な女というのは錯覚であり、崩れつつある。とはいっても、チンパンジーの女たちはみな、自分の家族に尽くすし、忠実な友だちも2、3人はいて、彼女たちは、こうした関係を守り、対立を避けている。
 ボノボの女たちは、連帯して男の過剰な暴力を抑えこむ。女どうしの絆は、彼女たちにとって決定的に重要。なので、彼女たちは、多くの時間をグルーミングに費やす。
 著者は私と同世代(1948年生)ですが、残念なことに2024年3月にガンで亡くなっています。1泊の人間ドックのとき、病室に持ち込んで一生けん命に読みました。大変勉強になりました。
(2025年3月刊。3200円+税)

  • URL

2025年7月 4日

憲法事件を歩く

司法


(霧山昴)
著者 渡辺 秀樹 、 出版 岩波書店

 今の最高裁はひどいものです。安保法制が違憲であると全国で訴えた裁判は全部、上告棄却してしまいました。しかも、問答無用式で、何ら実体的真実を究明しようともしませんでした。そして、弁護士出身の裁判官など、さっぱり存在感がありません。彼らのほとんどはいわゆる五大法律事務所出身です。大企業と日頃つきあっていると、人権感覚がまるで摩耗してしまったのでしょう。残念でなりません。むしろ、検事(三浦守)と学者(宇賀克也)がなんとかがんばっているという感じです。
 有名な砂川事件が起きたのは1956年7月のこと。1959年3月、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、日本政府が米軍の駐留を許容しているのは「戦力の保持」に該当するので憲法違反だから、被告人は無罪としたのです。まさしく画期的な判決。これに慌てたアメリカは、日本政府に圧力をかけて飛躍上告させた。そして最高裁判官の田中耕太郎(あまりにおぞましい人物なので、当然のことながら呼び捨てします)は、駐日アメリカ大使と密談を重ねていて、合議の秘密をもらし、アメリカ政府の指示するとおりに動いたのでした。アメリカの国立公文書館に文書が残っていたのを日本人ジャーナリストが発掘したのです。そのことが明らかになってからも、裁判官たちは田中耕太郎をかばい続けていますので、結局、今の裁判官の多くも田中耕太郎と同類だということになります。
 同種の恵庭事件のときは、最高裁が憲法判断せずに無罪判決で終わらせように指示したようです。遺族が証言しています。
 長沼ナイキ訴訟のときは、当時の札幌地裁の所長である平賀健太が担当裁判官(福島重雄判事)に圧力をかけ、それが明るみに出て、大問題になりました。ところが、問題を起こした平賀所長ではなく、福島裁判官のほうが「偏向」だとして攻撃されたのでした。福島裁判官は、その後、冷遇されたけれど屈することなく、定年退官のあと弁護士になり2025年2月に94歳で亡くなった。
 自衛隊をイラクに派遣するのは違憲だとする裁判で、名古屋高裁(青山那夫裁判長)は、理由中で明確に憲法違反と断じた。そして、平和的生存権を訴訟上の具体的な権利として認めた。
 人間裁判として有名な朝日訴訟(原告は朝日茂)で東京地裁(浅沼武裁判長)は、憲法25条は人間に値する生活を可能にする程度のものでなければならないという、当然といえば当然の、画期的判決を出した。
 この浅沼武裁判長は退官後弁護士となり、私も関わった灯油裁判の被告企業側の代理人として出廷してきていました。裁判のひきのばしを図った(と思った)ので、私は、「もっと勉強して裁判を早くやるように」と野次を飛ばしたことを思い出します。あとで先輩から、「あんたも勇気があるね」とほめられた(皮肉られた)ことを覚えています。
 私が大学生のころ、そして司法修習生のころ、三菱樹脂事件がありました。東北大学法学部を卒業して入社したころ、試用期間満了前に「依願退職」するように告げられたのです。要は、大学生のとき生協で活動していたので、思想的に難があると思われたのです。
 東京地裁も東京高裁も高野さんが勝訴したところ、宮沢俊義が会社側の見解にそった意見書を書いたため、最高裁は東京高裁に差し戻すとの判決を出した。これにくじけず運動したところ、和解が成立。高野さんは13年たって会社に戻り、その後は順調に昇進し、子会社の社長にまでなっています。よほど人柄が良かったのでしょう。私も何度か話を聞いたことがありましたが、誠実そのものの人だと実感しました。
 私は刑事裁判のなかで憲法違反を主張したことがあります。戸別訪問罪です。欧米の選挙運動は戸別訪問を主体としています。庶民がお金をかけずにやれるのが戸別訪問ですから、買収・供応の温床になるという口実で禁止しているのはまったく間違いだと考えています。しかも、私の担当した事件は、市会議員が商店街に一軒一軒、手渡しで「講演会に来んかんも(来てください)」と言って歩いたというだけなのです。オープンな店でビラを配るのが「買収・供応の温床になる」なんて、夢にも考えられませんが、戸別訪問みなし罪として起訴されたのです。一審の福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官)は憲法違反と断じて無罪としました。残念なことに、その後、福岡高裁も最高裁も有罪(公民権停止なしの罰金刑)にしてしまいました。そのうえ、平湯裁判官は、その後も「支部まわり」を続けさせられました。途中退官して弁護士になってからは少年事件を専門分野の一つとして活躍されましたが、少し前に病死されました。
 憲法をめぐる裁判をふり返った、意義ある本です。
(2025年4月刊。2500円+税)

  • URL

2025年7月 3日

エヌビディアの流儀

社会


(霧山昴)
著者 テイ・キム 、 出版 ダイヤモンド社

 TSMCにしろ、このエヌビディアにしろ、台湾系アメリカ人が興(おこ)した企業なのですね。日頃、IT関係に疎(うと)い私でも、エヌビディアという世界的超大企業の存在は知っていましたので、その内情を少しばかりのぞいてみたくて読んでみました。
 エヌビディアは、大きくなるにつれ、生き残るためには未来になるべく多くの保険をかけることが肝要だと考えた。エヌビディアが競合他社と一線を画すのは、長期的な実験や投資に前向きであり、その自由な活動を収益化に結びつける能力が高いこと。
 目先の利益だけを追い求めるのではなく、ちょっと先まで考え、今はムダに思えることでもやってみるという姿勢が肝要なんですよね。最近の日本企業に欠けている視点のように思います。いかにも視野の狭い企業人が大学の研究にまで口を出して、今すぐもうかるものにばかり目を向けさせようとするのです。それでは先が伸びません。
 ChatGPTは、公開してわずか2ヶ月で月間アクティブユーザーが1億人を突破した。これは史上もっとも急成長した消費者向けアプリ。
 2023年に生成AIの需要が爆発的に伸びたとき、生成AIを完全にサポートする準備が整っていたハードウェア・メーカーはエヌビディアだけだった。
 エヌビディアには社員を引き留める柔軟な報酬制度がある。社員は入社時に証券口座を受けとり、入社1年目の終わりに初回の株式報酬の4分の1を受けとる。4年たって株式を満額行使できるようになってすぐ退社するのを防ぐため、エヌビディアは、毎年、追加で株式を付与している。これによって、社員が会社に残る理由はますます増えていく。
 そして、特別な評価に値すると認めた社員に対しては、年次の勤務評定を待たず、いつでも社員に直接様式を付与する。このような、エヌビディアの実力主義的で柔軟で機敏な報酬制度は、きわめて低い離職率に一役買っている。エヌビディアの離職率3%未満は、業界平均の13%を大きく下回っている。
 エヌビディアは弱肉強食の競争文化が生まれるのを積極的に防いでいる。
 「ひとりで負ける者はいない」というのが哲学。困ったら、積極的に応援を求めることが奨励されている。ふむふむ、これはいいことですよね。
 エヌビディアは大学を支援するだけでなく、学生たちも支援している。いちばん大事なのは、改善しようとする姿勢。
 エヌビディアの会議は、ホワイトボードを活用する。全員がまっさらなホワイトボードから始め、過去を忘れて現在、重要なことだけに集中する。ホワイトボードを使うときは、厳密さと透明性の両方が自然に求められる。ホワイトボードの前に立つたび、一から始めなければならないので、自分の考えをなるべく詳しく明快に説明する必要がある。
 存在感を保ち続けるためには、投資するしかない。投資を止めたとたん、淘汰されてしまう。成功にとって大事なのは忍耐力。人格は、挫折が逆境を乗り越えてこそ磨かれる。
 エヌビディアという会社の名前は、開発中のNVIチップに敬意を表したもの。
 少しだけエヌビディアというIT超大企業の内幕を知ることができました。
(2025年2月刊。2400円+税)

  • URL

2025年7月 2日

志と道程

司法


(霧山昴)
著者 宮本 康昭 、 出版 判例時報社

 裁判官としての再任を不当にも拒否された著者が満州から敗戦後に苦労して母と子3人で日本に帰国した体験を踏まえて、司法反動化の象徴でもあった再任拒否に至る状況をほとんど実名で紹介しています。改めて著者の人間としての芯の強さと再任拒否の不当性に思い至りました。裁判官としての著者のすごさは、転任するたびに旧任地の人々がたくさん見送りに駆けつけたことにあらわれています。
 初任地の福岡から新潟地裁長岡支部へ転任したとき(1964年3月)、裁判所の職員だけでなく、大学の先輩後輩、家族、親戚、はては近所の人まで駆けつけて、旧博多駅のコンコースが見送りの人で埋まったというのです。
さらに、再任拒否されたあと、熊本簡裁の判事としてまだ身分が残っていて、著者が仕事で長岡支部に立ち寄ったとき(1972年ころのようです)、ときの支部長が「今日の午後は長岡の裁判所は休業にする」と宣言し、庁舎2階の大会議室に全職員が、電話交換手から守衛さんまで、全員が集まって、楽しい時間を過ごしたというのです。信じられません。考えられないことです。よほど印象深い支部長だったのでしょう。
青法協攻撃、司法反動化の米兵となったのが雑誌『全貌(ぜんぼう)』でした。薄っぺらな冊子ですが、このころ書店の片隅で売られていました。これに、「裁判所の共産党員」として青法協裁判官部会の裁判官の名簿を載せたのです。
この攻撃を受けて、青法協から分離独立しようという動きが出てきました。主唱者は町田顕(あとで最高裁長官になる)で、若い推進者が江田五月(あとで政治家に転身。私が横浜地裁で修習中に青法協の小さな勉強会にチューターとして役の裁判官としてきてもらったことがある)。このときまで、著者は町田顕を裁判官の活動の中での指導者だと考えていたとのこと。町田と江田の二人は、対決を回避して当面を糊塗することに頭を働かせるばかりのエリートの弱さだと著者は鋭く批判します。
最高裁の岸盛一事務総長は、裁判官が青法協を脱退するのを「業務命令」だとまで言って強引に推進した。それまで岸盛一はリベラル派の刑事裁判官だと評定があったのに、「なんという変わりよう。裁判官としては、これで終わったな」と、著者は思ったのでした。
 青法協会員だった350人の裁判官は、脱退したかどうかで、その後はきれいに分かれた。「司法権力はエゲツなく、何十年たっても執拗だ」と著者は断言します。
脱会届を出した158人のうち、最高裁判事が6人(うち1人が長官)、高裁長官が12人、所長は64人。青法協に残った200人のうち、高裁長官になったのは2人だけ、地・家裁所長が3人。いやはや、歴然たる差別です。
著者に尾行がついたり、スパイ役をする裁判官までいたという話が出ています。尾行したのは素人のようですから、専門の公安刑事ではなく、裁判所の職員だったのでしょう。著者宅の電話も盗聴されていたようですが、これは高度の技術を要しますから、恐らく公安警察でしょうね。
再任拒否にあっても著者は泣き叫ぶこともなく、外から見ると、いかにも冷静沈着に行動しました。判事としての再任がなされなくても簡易判事として残れることが判明したら、その簡裁判事の仕事をまっとうしたのです。これは並みの人にできることではありません。どうして、そんなことが出来たのか。
その秘密がこの本の前半に詳しく語られています。著者の一家は戦前、中国東北部(満州)に渡り、日本敗戦時は9歳、父親はソ連軍からシベリアに連行されて、母と著者と妹2人が生命から日本に帰ってきたのでした。
父親は熊本県山鹿市出身で、満州では領事警察官でした。1945年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻してきたとき、父親は著者たちに青酸カリの錠剤を渡した。そして、青酸カリを飲むゆとりがないときに備えて、小型の拳銃(コルト銃)を著者に渡して、「この拳銃で、まず母を、それから妹たち2人を、最後に自分を撃て」と命じたのです。これを受けても、著者に母や妹を射殺することに何ら罪悪感はなく、恐怖心もなかった。ただ、父の言ったとおりにできるかどうかだけが気がかりだった。いやはや、なんということでしょう。9歳ですよ。
それが、ソ連軍の侵攻が予定より遅れたことで、著者たちは死なずにすんだのでした。「ボクは9歳からが余生なんだよ」と著者は思ったというのです。
一度は捨てたこの命。ここまで思い定めたら、司法反動の嵐のなかで「クール」な対応をしたのは、ある意味で当然だったことでしょう...。すごい経験です。感動そのものでした。
世の中で忘れてはいけないことがあることを痛感させられる本でした。今後ひき続きのご活躍を祈念します。
(2025年6月刊。2420円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー