少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

盾としての付添人(14・4月号)

これは、当番付添人制度が始まったばかりの頃の事件である。

少年Mは、やくざの見習をしていた。家出をして、そのやくざの家に寝泊りし、くっついて回り、家の掃除をしたりしていた。そして、この年の2月、あるゲームセンターの倉庫に忍び込み、景品用に保管されていた「ポケモン」のぬいぐるみを盗み、追いかけてくる店員を突き飛ばして逃げた。Mは、そのやくざの子供にプレゼントするために、ぬいぐるみを盗んだのだった。

私がMと面会してみると、ちゃんと挨拶の出来る少年で、「やくざの見習で礼儀作法を勉強しました」という。やくざの見習をしていることをどう思うのかと尋ねると、「勉強になります」と、悪いと思っている様子はなかった。

家裁で記録を閲覧してみると、補導歴は30回、シンナー吸引歴40回。警察や検察官の意見も、「父親はおらず、母親は監督能力なし。少年院送致しかない」としている。

その母親に会ってみることにした。母親はうどん屋の店長として忙しく、当初、Mのことにかかわっている暇などないという態度だった。やくざの見習については「本人の意思だからどうしようもない」。お母さんが協力してもらわないと少年院行きになりますよといっても「そのほうが本人のためにはなるのではないか」という。うどん屋の近くのミスタードーナツで長いこと説得し、ようやく「本人がそうしたいというなら、うちの店で働かせてもよい」との返事を得ることが出来た。

さて、問題は、どうやってMとやくざの縁を切らせるかということだ。

面会に行って、Mに対して、やくざの見習を続けるとどういうことになるのか色々と話をした。母親にも面会に行ってもらった。Mは、お母さんが泣いているのを見て、ようやく縁を切る気持ちになったようだった。私は、「では具体的にどうしたら縁が切れると思う?」と尋ねると、Mは、「兄貴は何時でもやめていいと言っていたから、このまま行かなければいいんです」という。しかし、それでは本当に縁が切れるかどうか何の保証もない。

私は、Mにやくざに宛てた絶縁状を書かせることにした。Mは、そのやくざに恩義を感じており、絶縁状を書くことに最初は抵抗していたが、私は「絶縁状も書けないようでは、裁判官に君が本気だと言うことは伝わらないぞ」といって半ば強引に書かせた。むろん文章はM本人に考えさせ、苦労しながらも何とか書き上げてくれた。

私は、それを宅下げしてもらい、弁護士名の表書きをつけて、そのやくざに宛てて書留郵便で郵送した。表書きには、「以後Mには絶対に接触しないでください。ご意見があれば全て代理人の当職にお願いします」と書いた。

審判の日が来た。裁判官に対して、Mは、自分の愚かさにやっと気づいたこと、今後一切やくざとは縁を切ること、母親のもとで働きたいことを訴え、母親も、監督を誓った。しかし、裁判官の表情は厳しかった。

Mと母親を退席させて、裁判官が私と調査官に向かって言った。「やくざとの付き合いが出来てしまった以上、しばらくの間、施設に収容して時間をおいたほうがいいのではないですかね。絶縁状を出したとはいえ、またやくざのほうから接触があったら本人は断りきらんでしょう」。それを聞いていた私は、カッと来て、ついはったりを言ってしまった。「私も縁あって付添人になった以上、最後までMをやくざから守りますよ。もしやくざから接触があったときは、私が楯になって防ぎます」。調査官も「まあ、施設に収容しても、出てきたときには同じ問題が起こりえるわけですから、弁護士さんがついている今の内に、落ち着かせたほうがいいのでは」と、援護射撃をしてくれた。それで、裁判官も「そこまで付添人がおっしゃるなら、それを信頼してお任せしましょう」と、保護観察を決意してくれた。

再びMと母親が審判廷に入れられ、決定が言い渡されると共に、裁判官から「弁護士さんが楯になってくれるとおっしゃっていますから、もしもやくざからの接触があったら、必ずすぐに弁護士さんに連絡して、対処してもらいなさいよ」と説示していた。私は、それを聞きながら、内心、大変な仕事を引き受けてしまったなあ・・・、扶助事件でここまでやらんといかんのかなあ・・・と、少し後悔の念も起こってきたが、成り行き上やるしかないと観念するほかなかった。

結局、その後やくざからの接触もなかったようで、私の心配は杞憂に終わった。本件のように、少年事件において、外部からの圧力や影響で少年が非行に走るケースは少なくない(私自身がその後に担当した少年も、地域の番長的人物から、繰り返し万引きを命じられているというケースであった)。

そのような場合、社会内において、法的な楯となって少年を守ることができるのは、弁護士たる付添人だけであろう。この意味でも、当番付添人は、本当に意義のある制度だと思う(大変だけれども)。

弁護士 松井 仁

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